2008年6月30日月曜日

薔薇キャベツ

 キャベツのような薔薇とは何か?
 トマージ・ディ・ランペドゥーサの『山猫』 (岩波文庫 赤 716-1)で、パリで買った薔薇がシチリアでは肉色のキャベツになってしまった、というくだりを読んで以来、気になっていた。Bunkamura ザ・ミュージアムの「薔薇空間」展で左の絵を見て、これだと思った。学名ロサ・ケンティフォリア、英名キャベジ・ローズだ。
 もっとも、正確を期すために調べたら、『山猫』の薔薇はポール・ネイロンで、蓮の花のように平たい形状なのを、たったいま知った。

 以下は、知人へ宛てたメールからの抜粋(2008年5月12日)。


「今は『山猫』を読んでいます。

ヴィスコンティが映画化した作品の原作で、イタリア語原典からの初の直訳とのことです。
その直前に読んでいたのが米国のミステリー・シリーズで、ワシントン市警察の黒人刑事が主人公の、スラム街や異常殺人などが出てくる、面白いけれど殺伐とした物語でした。
そこからシチリアの名門貴族の世界へ入ったので、対比に眩暈を感じました。
イタリアという国の豊かさと重層性をシミジミ感じます。
その歴史や食生活の豊富さ、庶民のしたたかさ、貴族の生活の奢侈と怠惰と、その腐敗の中からのみ生まれてくる得も言えぬ魅力に魅了されています。
映画ではアラン・ドロンが演じた、タンクレーディという公爵が出てきます。
放蕩者だが勇敢で、利に聡く、いずれは政界での出世が見込まれ、女も男も逆らい難い魅力をそなえた美青年という、複雑な人物です。
彼の父親は、放蕩で先祖からの財産を全て食い潰しているのですが、そんな環境の中からのみタンクレーディのような特異な魅力のある人物が生まれるのだ、というくだりがありましたが、真の洗練は膨大な無駄と消費の中からのみ生まれてくる、という説には同感です。」

2008年6月29日日曜日

コローの複製画

6月21日(土)
 友人と、国立西洋美術館の「コロー――光と追憶の変奏曲」展へ行った。記念に、右の「ヴィル・ダヴレー――水門のそばの釣り人」の小ぶりな複製画と絵葉書を買った。複製画を買ったのは15年ぶりだ。飽きっぽいので、見飽きたら実用に回せる絵葉書と違って買わないようにしていたのだが、買ったのには訳がある。コローは晩年になっても「周りの人を幸せにしたい」と言っていた、と音声ガイドが解説していた、と友人が言ったからだ。見るたびに「人を幸せに」という気持ちを思い出すように、と絵葉書よりインパクトのある複製画も買った。

 「幸福」について、ここ数ヵ月来考えている。尊敬している方がよく言及しているからだ。「日本と日本人を元気にしたい」と公務員になり、その後ベンチャー企業、某社社長へ転身された方で、この20年間にやって来たことは一貫して「日本と日本人を幸せに」ということだった、とおっしゃっている。理想主義者はえてして身近な人からは敬遠されるものだが、この方は身近な人々からも好かれ、尊敬されいてる。「幸福にしたい日本人」の中にはご自身も含まれているはずで、この方にとっての幸福の形態とは何だろう、そして私自身にとっての幸福は、私が周囲の人々を幸福にできるとしたらどんなことか、を考えてきた。幸福の形態は人それぞれだ。私にとっては、精神的な事柄も含めて、できる限り美しく洗練されたものに囲まれて暮らすことだ。それと、周囲の人々との幸福はどう結び付くのだろう? 

 その答えをコローがくれた。絵を描くことが、彼流の他人を幸せにする方法だった。確かに、私は彼の絵で幸せになった。「ヴィル・ダヴレー――水門のそばの釣り人」を観た時は絵の中へ引きずり込まれた。森の池の小船で釣りをする男の絵だが、画家がこの土地をよく知っているのが伝わって来る。旅先の絵やコンクール出展用の凝った大作より、画家がよく知っている土地や人々を描いた作品のほうが真実味があって心の琴線に触れるのだが、そんな絵だった。パリ近郊のヴィル・ダヴレーにはコローの父親の別荘があり、彼もよく訪れていた土地だ。そこを題材にした他の絵も、土地をよく知っている者の視線で描かれているので、懐かしさを感じたほどだ。その中でも最も惹かれたのが「水門のそばの釣り人」で、絵の中に入り込みたい心地だった。美術展で一つでもそんな作品に巡り合えたら幸運だ。

 このところ憂鬱で、昨夜はコロー展行きを延期してもらおうかと思ったほどだが、行って良かった。絵が好きな人間は絵を観るべきだ。いい絵を観れば幸福になれる。いい絵とは、画家の魂が込められた絵だ。心が込められた絵、音楽、料理、言葉――真心が込もったものは全て人を感動させ、幸福にさせる。他人を幸福にする方法も人それぞれだ。私は気持ちのいい言葉と行動で、心を込めた応対、心をこめた仕事ぶりなどで周囲を幸福にできる。そのためには感謝を忘れないこと。日々接する人を幸福に、という気持ちを忘れぬように――なにしろ私は忘れっぽいので――と、コローの複製画を買った。彼が「周りの人を幸せにしたい」と言っていたことを教えてくれた友人にも、感謝した。