2014年4月13日日曜日

The Two Art Exhibitions


I went to the art exhibition, "The Beautiful: The Art for Art's  Sake; The Aesthetic Movement 1860-1900" at Mitusbishi Ichigokan Museum on Friday.
The master-piece which my cup of tea is that "Mother and Child (Cherries)" by Frederic Leighton (the figure on the left).







I also went to "Pre-Raphaelites: Victorian Avant-Grade" at the Mori Arts Center Gallery last Friday, which was 4th of April.
The master-piece which my cup of tea of this exhibition is that "Proserpine" by Dante Gabriel Rossettie (the figure on the right).

2014年2月9日日曜日

シャヴァンヌ展

  金曜日にBunkamura のシャヴァンヌ展へ行った。彼の絵は好きでもなければ嫌いでもない、というのが正直な感想。私にとっては、歴史的な文脈において初めて価値が分かる作品だ。写実的で立体的なアカデミックな絵が全盛の時代に、中世を想わせる平面的な構成と淡い筆致の独特の画風は斬新で、ピカソやスーラといった革新的な画家達に強い影響を与えたこと、普仏戦争で疲弊した時代に古代の理想郷を描いてフランス人に希望を与えた、ということなどを知って存在意義が分かる画家だ。出展作品の「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」は島根県立美術館の所蔵だが、一昨年、この美術館に行った時に観た記憶がない。企画展の日本画の鑑賞に意識が集中して常設展はついでに観た感じなので、たんに記憶にないだけなのかもしれない。いい絵なら覚えているはずだから、記憶にないのはやはり私の好みではないのだ。
 今朝のEテレの『日曜美術館』で、作家でキュレーターの原田マハ氏が、シャヴァンヌの「幻想」を、「いま観ても古くない、そこがすごい」と言っていたが、確かにその点は優れている。およそ150年前の作品なのに、「現代作家が描きました」と言われても信じてしまう。普遍的な美しさ、理想を追い求め、キャンバスに固定するのが彼の画業だったのだろう。どのグループにも属さず独自の画風を切り開き、生前から評価された画家として、偉大な芸術家ではあると思う。出展作品の中で一番気に入ったのは「海辺の乙女たち」(図)だ。中世風の長い金髪をおろした、ニンフと人間の中間的な感じの乙女達の半裸像だ。

 これは今年に入って初めての美術館行きだった。先月は思いがけない用事が重なって美術館に行きそびれ、ちょっと欲求不満気味だった。


2014年1月15日水曜日

ラ・メール・プラールのスフレオムレツ

今日は私の誕生日。
という訳で午後は仕事を休んで、ラ・メール・プラールで昼食にした。モン・サン=ミッシェルにあるスフレオムレツで有名な店の支店で、有楽町にある。
スフレオムレツは、スフレケーキのように卵白を泡立てて作る。料理事典でこの料理を知り、幾度か作ってみた。玉子料理にまつわるエッセイ集『玉子ふわふわ』(早川茉莉編集、ちくま文庫)に収録されたエッセイによると、モン・サン=ミッシェルの本店では非常に高温のオーブンでさっと焼いてオムレツを作るそうだ。それを読んで以来、ガス全開の強火で作ってきたが、確かにフワッとしたオムレツにはなるが、外が焦げているわりに中は生っぽい半熟のところがあったりして、「これでいいのか?」といつも疑問に思っていた。
最近読んだ平野由希子氏の『自慢したくなる卵の料理』(講談社)に、スフレオムレツのレシピが載っていた。中火で温めたフライパンでパターを熱し、溶けたところへ卵液を流し入れ、弱火にして焼くのだ。これだと火がちゃんと通り、生焼けの部分のない美味しいオムレツになった。
で、元祖スフレオムレツに大きな期待をもって行った。巨大なオムレツ(写真)だった。卵を少なくとも4個は使っているだろう。高温でサッと焼いたらしく端は生焼けのところもあったが、全体的には火が通り美味しかった。この料理は卵が多いほうが上手く出来そうだ。ふだんは卵2個のオムレツで満腹なので、食べ切るのは一苦労だった。とても美味しかったが、当分、スフレオムレツは結構だ。
と言いつつ、帰りがけに卵を買った。帰宅したら、前述の『自慢したくなる卵の料理』が届いていた。図書館で借りて気に入ったので、アマゾンで注文していたのだ。

2014年1月12日日曜日

ナタリー・エニック氏の講演

 今年最初の金曜のアフター5は、ナタリー・エニック氏の講演を聴いた。社会学者で、フランス国立科学研究センターの研究員で、演題は「芸術家の誕生-フランス古典主義時代の画家と社会-」、場所は恵比寿の日仏会館だ。画家や彫刻家がどのように「職人」から「芸術家」になったのかという面白そうな話で、恵比寿は近いし(参加費は無料だし)、と軽い気持ちで出かけたが、久し振りに聴講中の居眠りをしてしまった。内容は素晴らしかったが、私にはちょっと難し過ぎた。美術史的な話かと思っていたのだが、社会学的な観点から見た芸術家全般の話だった。ラファエロなど具体的な画家の名前が挙がると関心のテンションがぐっと上がるが、「この時代の画家たち」という集合名詞になると関心が薄れる。関心の満ち干きの繰り返しで関心の薄い話題が続くとふっと1週間分の疲れを感じ、眠気に襲われた。
 私は同時通訳で聴いたが、質疑応答の際の4名の質問者はみなフランス語だった。そのうちの1人はフランス人らしかったが。一番長く質問した方は「たかしな先生」と呼ばれていた。美術史家の高階秀爾氏で、エニック氏とフランス語で美術に付いて論じ合っていた。
 森茉莉がエッセイで父、森鴎外とその友人である明治の知識人達との交際に付いて書いているが、こんな会話を聞きながら育ったのだろうか。本物のインテリは、自分が「知識人」だとは自覚していないように見える。生まれながらに裕福な人々が「自分は金持ちだ」とは思っていないように-生まれた時から裕福で、友人・知人もみな裕福だから、それが当たり前だと思っているのだ。
 自分の無学ぶりを改めて思い知らされた一夜だった。「無知の知」に気が付いた、それがこの夜の最大の収穫だった。