2013年4月27日土曜日

貴婦人と一角獣展

 金曜日の仕事帰りに「貴婦人と一角獣展」を観た。会場は六本木の国立新美術館だ。
 「貴婦人と一角獣」は6枚一組のタペストリーで、貴婦人と一角獣とライオンが様々なポーズを取りながら寓意を表している。5枚は五感を、「触覚」「味覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」を表し、1枚には「我が唯一の望みに」という文字が織り込まれ、それが何を指すかは様々な説がある。
 私は絵画以上にタペストリーが好きだ。絵筆よりも不自由な手段で絵やデザインが器用に描かれているところになぜだか惹きつけられる。ペルシャ絨毯や刺繍、モザイク画なども大好きだ。その類の作品の中で一番好きなのが、この「貴婦人と一角獣」だ。「我が唯一の望み」と「視覚」の図柄を機械織りしたクッションを持っている。その実物が日本で観られるとは思ってもみなかった。
 期待を持って行き、それ以上に感動した。予想以上に大きなタペストリーで、いずれも縦横3メートル以上ある。それが6枚掛けられているのは壮観だ。ヨーロッパの城はなんと大きかったのだろう!
 その大きさで貴婦人の表情やドレスの襞、宝石の輝きやオレンジの樹が、絵の具で描いたのかと見紛う繊細さで織り込まれている。特にドレスの質感は、素材自体が布なので絵画より写実的でリアルだ。この異常なほどに細かい手仕事とそれを完成させた執念に心を打たれた。1枚を織るのに何年かかるのだろう。それが6枚も! 
 これを織った職人達は当時は名もない存在だったかもしれないが、本物のアーティストだ。彼らがこの企画展を覗けたら、自分の腕前をまったく誇りに思うだろう。文化的な背景がまったく違う500年後の異国人達をもこんなに感動させられるのだから。
 6枚の中では「我が唯一の望み」が最も完成度が高く、一番最後に製作されたらしいが、私が好きなのは「触覚」()だ。理由は単純、この作品の貴婦人だけが髪を結わずに腰までの金髪を波打たせているから。ボッティチェリの「ビーナスの誕生」のように長い金髪を波打たせた美女の絵が私は好きだ。タイムマシンを一生に一度だけ使えるとしたら、私はこのビーナスのモデルになった女性に会いに行く。
 
 展覧会の図録はめったに買わないが、今回は買った。帰りの電車の中で読み始めたが、勉強になっている。タペストリーは部屋の装飾、防寒、間仕切りに使われたというから、屏風と掛軸を合わせた役割をしていたのだろう。中世の頑丈だが無骨で寒々とした石造りの城にこんな華やかなタペストリーが掛けられただけで、部屋の雰囲気は明るく居心地良くなるだろう。
 このタペストリーが国有化される前の持ち主の居城、ブサック城を何度も訪れたジョルジュ・サンドは、タペストリーのある居間に続く寝室に滞在し、心ゆくまで鑑賞したことをエッセイに書いている。なんと贅沢な一時だったことか。

 帰宅して我が家のクッション、「我が唯一の望み」と「視覚」を改めて見た。機械織りの粗雑さに初めて気が付き、「視覚」の図柄が実物とは左右が反転していることにも気が付いた。今ならこのクッションは買わない。何事も「本物」を観た後では、そのコピーのつまらなさに気が付いてしまうものだ。

2013年4月20日土曜日

ミュシャ展

 昨夜はミュシャ展へ行った。会場は森アーツセンターギャラリーだ。「あなたが知らない本当のミュシャ」というキャッチコピー通り、祖国チェコスロヴァキアの独立とスラヴ民族の復興に尽力した思想家・活動家としてのアルフォンス・ミュシャの活動と、そこから生まれた作品の数々は初めて観た。
彼の後半生での社会活動はまったく素晴らしいし、意義がある。だが一絵画ファンとしては、芸術家としての彼の絶頂期はパリでポスターやパッケージをデザインしていた時だったなぁと思う。政治的なイデオロギーが前面に出た絵画や小説は、私は好きではないのだ。小説を読み耽っていた思春期も、プロレタリアート小説にはアレルギーがあった。
 ミュシャが「これぞ私の使命」だと心血を注いだ歴史画の大作より、生活の糧としていくぶん肩の力を抜いて描いたポスター類のほうが、傍の目には面白い。
 その理由の一つは、油彩画家としては強烈な個性がないこともある。下手だったというのではない。デッサンは上手いし、娘と息子を描いた「人形を抱くヤロスラヴァ」(図)と「ジリの肖像」には惹きつけられた。
 他の画家にも言えることだが、身近な人々の肖像画は愛情から来る深い洞察が感じられて格別心を惹かれるもので、「ヤロスラヴァ」のほうは写真のようだった。8歳頃の肖像で、その年頃の少女の肌と心の瑞々しさ、目の前に果てしなく続くように見える人生への期待と怯えが伝わってくる。
 晩婚のミュシャには子ども達は孫のように無条件に慈しむ存在だったようだ。特にヤロスラヴァは肖像画としても絵のモデルとしてもよく描かれている。ポスターピースの「ヤロスラヴァの肖像」では、彼女は「スラブの純潔な乙女」として象徴化され、聖化されている。彼は、妻より娘のほうをより愛していたのではなかろうか? 
 ヤロスラヴァの一連の肖像画は素晴らしい。が、他の油絵なると、昨晩、観たばかりだというのにあまり印象に残っていない。北国の画家らしく色彩が淡いが、印象が薄いのはそのせいではない。人の心に入り込み、鷲摑みにするような強烈な力がないのだ。
 それがポスターとなると! この商品は是非とも買わなくっちゃ、この芝居は観に行かなくては、と思わされる。ここのミュージアムショップは展示会場より混んでいた。レジの前には行列が並び、「5分から10分、お待ち下さい」とスタッフがアナウンスしていた。ミュージアムショップでの行列なんて、初めて見た。彼のデザインは1世紀後の東洋人の購買欲をも刺激する。まさに消費社会の使者だ。
 私もお土産を買った。「人形を抱くヤロスラヴァ」の絵葉書と、チケットホルダーだ。サラ・ベルナールのポスターがプリントされていて、片面が「ジスモンダ」、もう片方は「椿姫」だ。ミュシャのポスターの中では、出世作の「ジスモンダ」が一番好きだ。
 処女作にはすべてがある、と言われるが、「ジスモンダ」のポスターにもミュシャの魅力と特徴のすべて、ビザンチン的、スラブ的な意匠が凝らされている。

2013年4月1日月曜日

飛鳥山へ

  昨日は日曜日。目が覚めたら午後4時45分だった。
 こんなに爆睡したのは何年ぶりか。ピザトーストを作って食べ終えると、「笑点」の時間になった。ふだんはこの番組のオープニングの曲で週末の終わりを実感するのだが、昨日は目が覚めると週末が終わっていた。
 金曜の夜と土曜日に花見へ行ったのと、そのために泊まりがけで遊びに来てくれた友人をもてなすちょっとした事前の準備などでいくらか気が張っていたのの反動だろう。金曜日は六義園の夜桜を、土曜日は飛鳥山公園の散り始めた桜を見た。
 公園内の北区飛鳥山博物館で「ボンジュール、ジャポン」展を観て、飛鳥山が幕末は郊外の行楽地だったことを知った。今の高尾辺りへ行く感覚で、江戸の庶民は飛鳥山へ遠出したのだ。今では商業地帯兼住宅地だが。東京という街はどんどん増殖し拡大しているのを、改めて実感した。