2013年4月20日土曜日

ミュシャ展

 昨夜はミュシャ展へ行った。会場は森アーツセンターギャラリーだ。「あなたが知らない本当のミュシャ」というキャッチコピー通り、祖国チェコスロヴァキアの独立とスラヴ民族の復興に尽力した思想家・活動家としてのアルフォンス・ミュシャの活動と、そこから生まれた作品の数々は初めて観た。
彼の後半生での社会活動はまったく素晴らしいし、意義がある。だが一絵画ファンとしては、芸術家としての彼の絶頂期はパリでポスターやパッケージをデザインしていた時だったなぁと思う。政治的なイデオロギーが前面に出た絵画や小説は、私は好きではないのだ。小説を読み耽っていた思春期も、プロレタリアート小説にはアレルギーがあった。
 ミュシャが「これぞ私の使命」だと心血を注いだ歴史画の大作より、生活の糧としていくぶん肩の力を抜いて描いたポスター類のほうが、傍の目には面白い。
 その理由の一つは、油彩画家としては強烈な個性がないこともある。下手だったというのではない。デッサンは上手いし、娘と息子を描いた「人形を抱くヤロスラヴァ」(図)と「ジリの肖像」には惹きつけられた。
 他の画家にも言えることだが、身近な人々の肖像画は愛情から来る深い洞察が感じられて格別心を惹かれるもので、「ヤロスラヴァ」のほうは写真のようだった。8歳頃の肖像で、その年頃の少女の肌と心の瑞々しさ、目の前に果てしなく続くように見える人生への期待と怯えが伝わってくる。
 晩婚のミュシャには子ども達は孫のように無条件に慈しむ存在だったようだ。特にヤロスラヴァは肖像画としても絵のモデルとしてもよく描かれている。ポスターピースの「ヤロスラヴァの肖像」では、彼女は「スラブの純潔な乙女」として象徴化され、聖化されている。彼は、妻より娘のほうをより愛していたのではなかろうか? 
 ヤロスラヴァの一連の肖像画は素晴らしい。が、他の油絵なると、昨晩、観たばかりだというのにあまり印象に残っていない。北国の画家らしく色彩が淡いが、印象が薄いのはそのせいではない。人の心に入り込み、鷲摑みにするような強烈な力がないのだ。
 それがポスターとなると! この商品は是非とも買わなくっちゃ、この芝居は観に行かなくては、と思わされる。ここのミュージアムショップは展示会場より混んでいた。レジの前には行列が並び、「5分から10分、お待ち下さい」とスタッフがアナウンスしていた。ミュージアムショップでの行列なんて、初めて見た。彼のデザインは1世紀後の東洋人の購買欲をも刺激する。まさに消費社会の使者だ。
 私もお土産を買った。「人形を抱くヤロスラヴァ」の絵葉書と、チケットホルダーだ。サラ・ベルナールのポスターがプリントされていて、片面が「ジスモンダ」、もう片方は「椿姫」だ。ミュシャのポスターの中では、出世作の「ジスモンダ」が一番好きだ。
 処女作にはすべてがある、と言われるが、「ジスモンダ」のポスターにもミュシャの魅力と特徴のすべて、ビザンチン的、スラブ的な意匠が凝らされている。

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