12月27日(金)は仕事収めで、午後は職場の大掃除だった。その後、国立西洋美術館の『モネ、風景をみる眼-19世紀フランス風景画の革新』 を観た。最近は夜間開館でも混んでいることがあるが、この日は空いていた。仕事収めの日に美術館に来る人なんて、本当に絵が好きなんだろう。ふだんの夜間開館日は私と同じく仕事帰り風の方か、学生が多いが、今回は30、40代のご夫婦も多かった。出口ではキャリーバッグを引く女性を見かけた。帰省の電車に乗る前の時間を都合して来たのだろうか。
出展作品は国立西洋美術館とポーラ美術館の所蔵品のため以前に観た物もあり、目新しさはなかったが、新たに知ったことや気づいたこともあり、有意義だった。新たに気づいたことの一つは、モネの作品の題材の斬新さだ。蒸気を上げて田舎道を走る機関車を描いた「貨物列車」(図)は、厳格に写実的ではないのに対象をよく捉えていて写実性があり、本当に遠くに走る蒸気機関車を見た気持ちがした。そして、コンパートメントに差し向かいで座るホームズとワトスンの姿が浮かんだ。地方の事件現場に赴く途中で、車窓に広がる草原、点在する民家や電柱を眺めながら列車の速度を推理し、事件に付いて語り合い、報道記事を読む。彼らが乗っているのは貨物列車ではなく客車だけれど。煙を上げる蒸気機関車や工場の煙突、整備された街並みを走る自動車といった郷愁を誘う景色の原風景は19世紀に出現し、当時としては最新技術の産物で、それを描くのがいかに斬新なことだったか、突然、実感できた。ギリシア神話や聖書の一場面でもなく、神の栄光を讃えるためでも教訓を垂れるためでもなく、ただ目に映る景色をありのままに描こうとする姿勢が、宗教画や歴史画の伝統に縛られた保守的な人々にはショッキングで、拒絶反応を引き起こした経緯も。
モネが約80年にわたって描いた様々な作品を観た後で、晩年の睡蓮の池の絵を観た時は感動した。旅先の目新しい景色が画家の絵心をそそるのはよく分かるし、優れた作品も多いが、朝な夕な見慣れた風景や人々を描いた作品ほど心を打つものはない。「睡蓮の池」シリーズはまさにそうした作品群だ。「自分の最高傑作はこの庭だ」とモネは言ったそうだが、画家が設計した「絵のような庭」、モネの美意識が結集した広い庭園だ。画家達の妻や恋人の肖像画や写真を見ると、その画家が好んで描く美人像に似ていることがよくある。彼の美意識にマッチした容貌ゆえに愛されたのか、彼女への愛ゆえにその容貌が美人の原型になったのかを考えたりするが、モネの庭とそれを描いた連作にも同様に合わせ鏡のような作用を感じる。無限に反復し合うモネの美の世界に私は立ち会っているわけだ。
1年のいい締めくくりができた。昼の大掃除の疲れで、鑑賞の最後のほうはいくぶん疲れてお腹も空いていたけれど。
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