2015年6月28日日曜日

今週末の出来事など:印刷会社の見学、最近、鑑賞した映画や小説について

 昨日の土曜日の午後は印刷会社を見学した。5月から受講している出版技術講座の講義の一環だ。光陽メディアという印刷会社で、神楽坂の、こんな街中の建物の密集地帯に印刷工場があるのか、と思われるような地帯にある会社だ。もっともそれは本社で、本格的な工場は埼玉にある。私達が見学させて頂いたのは本社内にある、コンピュータで紙面のレイアウトを組んだり、画像を撮影したりするオペレーションの現場や、オンデマンドの機械などだ。埼玉工場の印刷現場はプロジェクターで観せて頂いた。印刷会社は、本社は都内にあるが、工場は郊外へ移転していく流れのようで、2013年の冬にリーブルテックという印刷会社の埼玉工場を見学させて頂いたことがある。その際も思ったのだが、印刷機器はこれ以上開発しようがないと思われるほど技術開発がし尽くされ自動化が進んでいるが、文化や技術が頂点に達する時には、その技術自体が無用になるような新たな技術や文化が普及するもので、電子書籍の普及はこうした高度な印刷技術そのものを無用にしてしまうのだなぁと思った。
 とは言え、紙の書籍や雑誌はまだまだ作り続けられるだろうし、印刷の仕組みが分かって、この出版技術講座の中でも最も実地に役立つ授業だった。

 帰宅して、「ミラノ、愛に生きる」(ルカ・グァダニーノ監督、2009年)という映画のDVDを観た。ミラノの上流家庭のマダムを主人公に、一見、幸福そのものに見えた実業家の一族が、子ども達の結婚や留学、事業の躓きなどによって水面下の不協和音が次第に露になり崩壊していくというストーリーだ。各種の賞を受賞した作品だが、期待が大きすぎた為か私はさほど面白いとは思わなかった。
 ただ、ふと気づいたのは、最近、観たり読んだりした映画や小説は、ヒロインが自分より年齢や社会階層が低い男性と結ばれて幸福になる、というストーリーが多いということだ。先週末に観た「暮れ逢い」(パトリス・ルコント監督、2013年)という映画も、ダイアン・ハイブリッジ作『あまりに年下の彼』(1998年)という小説もそうだった。私が子どもの頃の女の子のファンタジーは、どちらかと言えば恵まれない環境にいる少女が、年齢や社会階層が自分より上の「王子様」と結ばれて結婚する、というものだった。「ミラノ、愛に生きる」のヒロイン、エンマもそうしたシンデレラストーリーの体現者だったわけだが、イタリア人に、「上流」階級の一員になりおおせるという努力の末に、自分は本当は孤独だった事に気づき、一切を捨てて「年下の彼」の所へ行く、それが彼女にとっての「幸福」なのだ、という結末だ。女性が強く賢くなり、経済的・社会的に恵まれていることと、内面の幸福は必ずしも一致しないという事に気づくようになってきたから、こうしたアンチ・シンデレラストーリーが供給されるようになったのだと思う。
 もっとも私自身は旧い型の人間で、古典的なシンデレラストーリー、恋愛と社会階層の上昇がセットになったファンタジーの方が好きではある。例えば「青いパパイヤの香り」(トラン・アン・ユン監督、1993年)がすぐに思い浮かぶ。1950~60年代のベトナムを舞台に、ヒロインのムイが少女の頃から仄かな恋心を抱いていた青年の家に奉公することになり、主人もムイに惹かれるようになり、裕福な婚約者と別れてムイをパートナーに選ぶという話だ。

0 件のコメント: