2010年5月31日月曜日

アンリ・ルソー―熱帯への夢                 「オルセー美術館展2010―ポスト印象派」展を観て


先週の金曜日、久し振りに国立新美術館へ行った。オルセー美術館展を観るためだ。お目当てはアンリ・ルソーの「蛇使いの女」(右図)だ。この絵は子どもの頃から好きだった。熱帯の風物の絵やデザインが好きなのだ。それも現地の人が描いたのではなく、異邦人の目というプリズムを通して見た、楽園としての熱帯が。
以前、ベラルーシ料理店でパーティーがあったとき、クイズの景品として大判の布巾を頂いた。北国の陽の淡さを想わせる淡い薄緑の地に、棕櫚の枝にぶらさがる猿が大きく織り出され、両縁のボーダーに象、象亀、虎などのシルエットがオレンジ色で織り出された物だ。このデザインに北方人の南国への憧れを感じたが、ルソーの熱帯の絵もまさにそういう嗜好から生まれた作品だ。その中でも特に好きなのが「蛇使いの女」だった。

オルセー美術館展には115点の絵が出品されているが、まず「蛇使いの女」を観に行った。10の展示スペースのうち9番目が「アンリ・ルソー」というスペースで、「蛇使いの女」はそこに展示されている。彼の作品はもう1点、「戦争」も出品されている。「蛇使いの女」の前には半円の人の輪ができていた。思っていたより遥かに大きな絵だ。後で調べたら、縦169センチ、横189センチだった。
一目見て「上手い!」と思った。彼の絵には「ヘタ上手」なのがあるからだ。「フリュマンス・ビッシュの肖像」のように写実性を目指した作品にそれを感じるが、「蛇使いの女」の筆致は熟練した画家のものだ。そんな技術の完成度云々を飛び越えて人の胸に飛び込んで揺さぶる迫力がある。それはルソーの熱帯への夢の烈しさだ、と思った。
白い満月の浮かぶ密林に笛の音が流れる。横笛を吹くのは黒人の女。柔らかな音色に蛇やペリカンが誘われ出る。竪琴を弾くと野獣も草木も聞き惚れたという、オルぺウスの神話を彷彿とさせる。密林のオルぺウス。
女、密林、音楽、動物―ルソーの好きな物ばかりが描かれたこの絵は、ルソーの楽園なのだ。女と蛇の組み合わせは、月並みだがエデンの園を想わせる。ルソーのエデンの園。このイヴの顔立ちは暗くてはっきりしないが、よく観ると黒人の骨格ではなく白人の骨格に見える。白人の容姿をした黒い膚の美女。ルソーは実際に見たフランスの風景や人物を描くときより、憧れと幻想から絵筆を執るときに本領を発揮する画家だと感じた。

「蛇使いの女」と「戦争」を堪能してから入口に引き返し、展示の順に絵を観た。モネ、シニャック、セザンヌ、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、フェリックス・ヴァロットン等々の傑作に圧倒され、出口に近い「蛇使いの女」の前にまた来た時、改めて感動した。生前から評価されていた大家の傑作群への感動が吹き飛ぶほどの存在感。絵の前には相変わらずの人だかり。
この迫力はどこから来るのだろう? 空想家にとって、夢想の世界での出来事は現実よりリアリティがある。そういう人物が心の眼で見た熱帯。北の都市パリに住む貧しい画家が、実生活とは対極の世界に憧れた、その憧れの切実さが観る者の心を揺さぶるのだ。

展示を見終わって、売り場で買い物をした。「蛇使いの女」の絵葉書、ポスター、マグネットと、岡谷公二の『アンリ・ルソー 楽園の謎』(平凡社)だ。岡谷氏の講演をブリヂストン美術館の土曜講座で聴いたことがある。「岡鹿之助とアンリ・ルソー」という演題で、興味深く、かつ勉強になる話だった。話の内容もさることながら、美学美術史なんて実社会には役立ちそうもない学科を卒業されて美術史家になられた、好きの道に徹した生き方には羨望を感ずる。ルソーだってそう思うだろう。画業だけでは生活できずに、様々な副業をしていたのだから。

『アンリ・ルソー 楽園の謎』は、ルソーの評伝だ。美術館からの帰りの電車の中で読み始め、徹夜で読み終えた。ルソーの故郷ラヴァルはかつては樹木の多い町で、どんな小さな庭にも樹が繁り、春は鳥の囀りで町中が大きな鳥籠になったそうで、ルソーの樹木への愛着はそこに根差しているのだという指摘に、なるほどと思った。
「蛇使いの女」は友人の母親から依頼された作品で、発注者のインド旅行の話から想を得たという。してみると、これはインドの夜の絵なのだ。大きな絵なので広いアトリエで描いたのかと思っていたら、住居兼用の狭いアトリエで描かれ、部屋一杯を占めていたという。こうした原始林を描くときは不安と胸苦しさに襲われて、窓を開け放したそうだ。それほど頭の中のイマージネーションをありありと視覚化できる能力というのは、常人離れがしている。神の姿や声を見聞きしたという聖人達の同族だ。聖ルソー。

この本にはアポリネールの写真が載っている。彼の肖像画「詩人に霊感を授けるミューズ」にそっくりだ。肖像だから似ていて当たり前なのだが、ルソーの肖像画は時にヘタ上手風になるので、一目でモデルが分かるほど特徴をよく捉えているのが印象的だった。同じ題の作品が2つあるが、先に描いたほうの肖像は本人によく似ている。やっぱりルソーは上手いのだ。
この絵はアポリネールに全然似ていないと新聞に酷評されたが、ルソーもアポリネールも、この作品のモデルが誰かは言っていなかった。それなのに、どうしてアポリネールだと分かったのだろう。やはり、本人に似ているのだ。

2010年5月24日月曜日

Jブンガク

初めてのシュークリーム
昨日は一日中、雨だった。雨音とCDを聞きながら、抹茶のシュークリームを作った。シュークリームを作ったのは初めてだ。子どもの頃からの好物だが、初めて作る時はシュー皮がうまく膨らまないものだということをよく読んでいので、作る気になれないでいた。先日食べた、ヒロタの京抹茶シュークリームが美味しかったので、作る気になった。失敗するだろうと思っていたが、割合にうまく焼けた。ただし、生地をスプーンですくって横に平べったい形で置いていったので、平たい形に焼け上がった。まるで大福だ。本当は縦に高い形でないと、中にクリームを詰めにくいのだが。今度はちゃんと絞り出し袋で生地を絞り出して、縦型の生地を焼こう。

今日は、昨日焼いたシュー皮に抹茶アイスを詰めて、抹茶シューアイスにした。

Jブンガク
昨夜から夏目漱石の『道草』を読んでいる。4月中旬から聴いているNHKの「Jブンガク」の6月のテキストだから。『道草』は、親族間の付き合いの煩わしさに振り回されて本意の生活ができないでいる男の話で、その主題にも、登場人物の心理にも大して共感が沸かないわりにはスルスルと読めてしまう。不思議な魅力のある長編だ。
この「Jブンガク」の4月前半のテキストは、太宰治の『ヴィヨンの妻』だった。あいにくと、この時はこの番組を知らなかったので聴き損ねた。講師のロバート・キャンベル氏の解釈を聴きたかったのだが。

昨夜は太宰の「如是我聞」も読んだ。志賀直哉への批判ということで、両作家とも好きな私は興味をもって読んだ。文芸誌の座談会で志賀から自作を批判されたことに立腹した太宰が、別の文芸誌に載せた反志賀論だが、志賀を「おまえ」呼ばわりして、もう言いたい放題である。こんな身も蓋もない個人攻撃を書く作家も作家なら、それを掲載する編集者も編集者だ。それを面白がって読む読者も読者だが。自分がこんなに野次馬だとは知らなかった。

これが収録されている『太宰治全集 第11巻』(筑摩書房)には、太宰の死に付いて書いた志賀の記事も載っていた。お互いに相手の作品を深く読んでいるわけではなく、ごく限られた作品を表面的に読んで批判し合っているような、長屋住まいの亭主同士の口論に限りなく近い、楽屋落ちの喧嘩だ。「なんだとは、なんだ」「なんだとはなんだとは、なんだ」「なんだとはなんだとはなんだとは、なんだ」式の喧嘩。

そう感じた方も多いと見える。同時代の文壇関係者達もこの「論争」に言及しており、それ等も収録されていた。両者とも優れた、しかし異質な作家なのだから、太宰はあんなに志賀の批判を気にせずとも良かったのに、という主旨だったが、同感だ。大先輩にムキになって刃向かって行くドン・キホーテ的な、「永遠の思春期」風のところが、太宰の魅力でもあるのだが。

どちらの作家がより好きかともし尋ねられたら、迷ってしまう。二人とも対極的と言ってよいくらい異質で、その異質さゆえに同じぐらい好きなのだ。自分の内面性は太宰に似ていると思う。だからこそ正反対の志賀の、あの揺るぎない自己肯定感に立脚した骨太の作風や文体に憧れる。文章を書くときはいつも何人かの作家を心に思い浮かべているが、そのうちの一人が志賀なのだ。

2010年5月18日火曜日

語りかける風景展を観て―ヨーロッパの光の淡さと点描画


語りかける風景展を観に、Bunkamuraザ・ミュージアムへ行った。ストラスブール美術館が所蔵している約80展の風景画が出展されていて、今日が初日だ。見応えのある作品ばかりで、2時間かけて観た。特に良かったのはフェリックス・ヴァロットン「水辺で眠る裸婦」(1921年)、ギュスターブ・ブリオン「女性とバラの木」(1875年)、ポール・シニャック「アンティーブ、夕暮れ」(1914年)(右図)だ。名前を知らなかった画家の作品も多く、私の美術の知識なんて「はとバスで巡る東京名所」のレベルだと思ったが、ヴァロットンを知ったのが一番の収穫だった。

ヴァロットンの「水辺で眠る裸婦」
この作品は、全裸の女が草の生い茂る川辺で眠る姿が画面の左手に大きく描かれ、右手の遠景の川面に、男達を乗せたボートが小さく描かれている。女の金髪の頭は深紅の布に置かれている。単純な線だが、写実的で力強い筆致だ。文明社会では通常あり得ないシチュエーションだがリアルさがあって、これもマジック・リアリズムと言えるのだろうか。遠景のボートは女の夢だろうか。アンリ・ルソーの「夢」(1910年)、密林に置かれた深紅の長椅子に横たわる裸婦を連想させる構図だ。

ヨーロッパの光の淡さ
シニャックの「アンティーブ、夕暮れ」は、モザイク風の点描画だ。点描画は大して好きでもなかったが、この夕暮れの港に帰港する船の絵を観て、点描画はいいと思った。そうして、ヨーロッパの淡い陽光と、それに照らされた微妙な光の陰影と色彩の濃淡に富んだ眺めの中でこそ、点描画は生まれ得たのだと思った。
ムンクの絵などは特にそうだが、ヨーロッパの風景画を観ると、光の淡い土地だなと思う。そうして反射的に、マダガスカル大使館で観た絵を思い出す。マダガスカルの画家が描いた現地の風景だろうが、沈みつつある夕陽が空を染めている画だった。その夕陽と空のピンクの鮮やかさは、日本の朱色の夕焼け空を見慣れた眼にはシュールだった。アフリカの夕陽はあんな色をしているのだろうか。大地を灼く熱帯の太陽の下では光も影も濃く、均質で、点描画のような微妙な色の濃淡からなる技法は生まれないだろうと思った。そうしてまた、このところ太宰治に凝っているので、十年ぶりに青森に帰郷した彼が、久し振りに見る津軽平野の稲田の緑や陽光は淡く薄く、心細かった、と書いていたのを思い出した。

2010年5月17日月曜日

ジョルジョ・サンクはどこへ?

今日は頂き物の多い日だ。近所のAさんからは新玉葱を、Bさんからはお手製の胡瓜の漬物を頂いた。

夕方、新宿の喫茶店ジョルジョ・サンクへ行った。が、建物ごとなくなっていた。ジョルジョ・サンクの入っていたビルは取り壊され、空き地に仮設店舗が建っていた。スフレが食べられなくて残念だ。代わりにルミネで、抹茶のロールケーキと柚子の紅茶を買った。

2010年5月16日日曜日

スフレの週末

昨日、今日とスフレを作った。昨日はバニラスフレで、今日はラムレーズンスフレだ。今日のはうまくいった。80点かな。料理の本の写真のようには、うまく膨らまない。
参考にした本は、藤野真紀子の『スフレ』(雄鶏社)だ。10年前に買い、幾度も眺めながら、なかなか作れずにいた。料理の腕があまりにも未熟だったのだ。最近になり、簡単なレシピならどうやら作れるようになって、ようやくスフレを作ったという次第。自分の腕よりは上の料理の本を買い、何年も眺めるだけで、最近になって活用し始めた、という本が何冊もある。

ここ数日、スフレのことばかり考えていたので、新宿のジョルジョ・サンクへ行きたくなった。この喫茶店で初めてスフレを頂いて、好きになったのだ。舌の火傷しそうなスフレを、しぼまないうちにと大急ぎでスプーンですくって頂く、あの楽しい忙しなさ。紅茶はフランスの物だろうか、素敵な香りがした。アールグレーが特に良くて、この店を紹介してくれた友人は「宝石のような香り」と言っていた。明日、行ってみよう。

2010年5月15日土曜日

「放蕩息子」の帰還

昨夜、太宰治の「帰去来」「故郷」「新ハムレット」を読んだ。「帰去来」は義絶された太宰が10年振りに青森の生家を訪れる話で、それから間もなく母親が危篤になり、今度は妻子も連れて帰郷したおりの話が「故郷」だ。「新ハムレット」は、シェークスピアのパロディーだ。
「帰去来」で再会した母親は優しかったが、太宰がどんな仕事をしているのかよく分かっていなくて、本屋を営んでいるのだろうと思っている。太宰は自分を認めてもらいたくて、十円紙幣を2枚、母親と叔母に差し出すと、2人は顔を見合わせてクスクス笑う。母親はお金を財布にしまい、その財布から熨斗袋を取り出して彼に渡す。中には多額の小遣いが入っていた。
当時の太宰は作家としての立場を確立し、娘も生まれ、落ち着いた生活を送っていたのだが。帰郷の汽車の中で、太宰は新聞に載っていた自作の書評を読む。その作品が「新ハムレット」だ。その中でハムレットの親友ホレーショーは、ハムレットの母親に言う。
「僕のような取り柄のない子供でも、そんなに、まともに(母親から)敬愛されると、それでは、しっかりやろうと思うようになります。王妃さまは、あんまりハムレットさまを悪く言いすぎます。それでは、ハムレットさまの立つ瀬が無くなります。……ハムレットさまを、もっと大事にしてあげて下さい」
私には、太宰が母親やその背後にいる家族たちに、とりわけ父親の死後に太宰の面倒を看てきた長兄に、こう言っているように聞こえるのだ。
「苦しみながらも僕は生きてきました。闘ってきました。あなた方にはずいぶんご迷惑をかけてきたけど、それは申し訳ないと思っているけれど、あなた方が僕の根源的な苦しみに気づいて下さっていたら、僕だってあんな滅茶苦茶はしなかったんです。今では僕も作家として、父親として、人並みな暮らしをしています。昔の放蕩息子じゃないんです。今の僕を認めて下さいよ」
太宰の生家は、使用人も入れると30人を超す大家族だった。母親は病弱で、太宰の養育は叔母や使用人任せで、幼い時に女中や下男から性的な悪戯をされ、自分の身体は穢されてしまったと苦しむ。それを両親に訴えることもできず、慰めを女性たちや酒に求め、自殺未遂を繰り返した太宰。彼の母親なり父親なりが、早いうちに息子の身に起きた異変に気づいていたらなぁと思う。哀しい親子だ。

2010年5月14日金曜日

ボストン美術館展のバニラちゃん


ボストン美術館展を観に、森アーツセンターギャラリーへ行った。16世紀から20世紀のヨーロッパの絵画80点が展示されている。名作揃いだが、モネとエル・グレコは凄い、と改めて感じた。何を今さら、だが。
ボストン美術館はモネのコレクションで知られているそうで、風景画10点がまとめて一室に展示されていた。「ジヴェルニー近郊の積みわらのある草地」(1885年)が一番良かった。飼料用の藁の山が積み上げられた空き地に、辺りを囲む樹々の根元の間から遅い午後の陽が射し込んでいる、その草地に落ちた光の加減がなんともリアルで、今までに様々な場所で見た草地に落ちる夕陽を思い出させた。さすが「光の画家」。
エル・グレコは「祈る聖ドミニクス」(1605年頃)が出展されていた。跪いて祈る聖人の全身像だ。写実性が重んじられた時代に、許され得る限り人物をデフォルメした独自の筆致、一目で「お、エル・グレコ」と分かる個性の強烈さが素晴らしい。アーティストはこうでなくてはいけない。唯一無二の存在であらねば。
展示作品の中からどれか一点だけ進呈する、ともし言われたら、ヴァン・ダイクの「チャールズⅠ世の娘、メアリー王女」(1637年頃)がいい(左上図)。水色のドレスと真珠の頸飾りで正装した、巻毛のローティーンの全身像だ。少女の瑞々しさと気品がいい。「バニラちゃん」って言う感じ。この絵葉書を買った。150円なり。庶民のささやかな眼の悦び。

帰りに、六本木の明治屋でバニラオイルを買った。週末にバニラスフレを作る予定なので。どんな時にも食い気を忘れないところが私らしい。

太宰治は大沢樹生?

五月晴れ
窓から見える柿の木の青葉が、日ごとに濃くなっている。「く」の字型に曲がった細い枝と枝の向うに、水色の空と白い雲が広がっている。これが「五月晴れ」か、と思った。

抹茶のスフレ

昨夜、抹茶のスフレを作った。うまく膨らまなくて、失敗。スフレを作るつもりはなくて、フルーツグラタンなんぞを作っている時は予想外に膨れて「勝手にスフレ」になるくせに、スフレを作ろうとする時は決まってうまく膨れない。週末に再挑戦しよう。

太宰治は大沢樹生?
新潮日本文学アルバムの『太宰治』を読んだ。作家の生涯を写真や資料で辿るシリーズ本だが、太宰の生家を見て驚いた。まさに「御殿」だ。こんな大金持ちの四男坊に生まれたら、家名に相応しい存在たるべく矜持を持って出世街道を歩むか、家名に押し潰されてロクデナシの放蕩児になるか反抗児になるしかあるまい。
高校時代から大学時代の彼は、ハイカラな美青年だ。俳優の大沢樹生風のバタ臭い顔立ちで、お坊ちゃん育ちの品の良さと弱々しさが感じられ、奇妙に母性本能をくすぐられる。年増好みの優男だ。
最近は気がつくと、彼のことを考えている。友達にも、伴侶にもしたくはない生活破綻者だが。高校時代に既に自殺未遂事件を起こしていて、心中未遂、芸者との結婚、アルコールや薬物への依存症の過去のある男を、一体どういうつもりで井伏鱒二は堅気の娘と見合いさせたのだろう。

2010年5月10日月曜日

太宰治の「浦島さん」

太宰治の「浦島さん」
太宰治の「お伽草紙」を読んだ。4つのお伽話、こぶ取りじいさん、浦島太郎、カチカチ山、舌切り雀の太宰バージョンだ。どの作品も、鋭い観察眼から生まれる独特の風刺が効いていて面白いが、「浦島さん」が一番笑えた。浜の旧家の総領息子で、風流人気取りの夢想家の浦島太郎―たぶん、太宰の長兄のカリカチュア―と、リアリストで庶民的で剽軽な毒舌家の海亀のやり取りは、高等漫才だ。この亀は落語の三枚目そのままで、屁理屈を言う浦島太郎に対して、「気取らなけれあ、いい人なんだが」と呟いたり、乙姫に見惚れる浦島太郎の横腹をヒレでちょこちょこくすぐって、「どうです、悪くないでしょう」と囁いたりするのだ。

抹茶のベニエ
このところ、抹茶のお菓子に凝っている。一昨日は銀座三越で抹茶のチーズケーキを買い、昨日は抹茶のベニエを作った。坂田阿希子著「抹茶のお菓子」(家の光協会)のレシピだ。ベニエはフランス版ドーナツだが、鍋を食卓に置き、揚げるそばから粉糖をかけて熱々のを頂いた。味は、甘味が少し足りなかった。今日も何かしらん、抹茶のお菓子を作る予定。

2010年5月6日木曜日

太宰治の「富嶽百景」

洗濯物の乾きが早くなった。もう夏だ。

昨夜、太宰治の「富嶽百景」を読んだ。彼の作品にしてはじめつきが少なくて、独特の剽軽な持ち味が出ている秀作だ。こんなにいい作家だったかしらん、と見直した。べつに私がどう思おうと、彼が優れた作家であることに変わりはないけれど。
彼は小説より、こうした随筆のほうが面白い。自分を美化せず、卑下もせず、淡々とユーモラスに出来事を語っている。作家の随筆なので、虚構や誇張も混じっているのかもしれないが、小説として読んでも随筆としても面白い。
富士を見渡す、甲府の御坂峠の茶屋に二階借りをした、初秋から初冬までの滞在記だが、特に茶屋の娘とのやりとりがいい。作家として崇拝を受けていい気持ちになり、しかし男としては警戒されていることに気が付いて傷ついたり、茶屋のおかみが外出して娘が一人の時に客が来ると、用心棒代わりに―なんて頼りない用心棒!―店へ降りて行き、後で客の棚卸しをしあったり。峠の向こう側へ嫁ぐらしい金襴の花嫁姿の客が来て、余裕たっぷりな態度で富士山を眺めて大あくびなんぞをしたので、太宰は「馴れていやがる。あいつは、きっと二度目、いや、三度目くらいだよ」と言い、娘は「図々しいのね。お客さん、あんなお嫁さんもらっちゃ、いけない」と言い、結婚を間近に控えた彼は顔を赤らめる。ああ、彼って実に人間味のある、優しい、いい人だなぁと思った。だから女性にもてたんだろうけど。

2010年5月4日火曜日

有島と谷崎と太宰を読み比べて

有島武郎の「或る女」と谷崎潤一郎の「春琴抄」と太宰治の「おさん」を続けて読んだ。「或る女」の前編を読み、それから「春琴抄」「おさん」、「或る女」の後編と読んだので、3人の作家の女性像の違いを鮮明に感じた。
彼らの中では谷崎が最も好きなのだが、有島の女性像と比べると谷崎ワールドの女性達はいかにも平面的だということを初めて感じた。谷崎は男を翻弄する毒婦型の女を好んで描いたが、彼が描くような完璧な悪女は虚構の世界の住人としては面白いし、男性優位の世の中でこれだけ自己本位に徹せられる女性は痛快だとは思うものの、そこまで「悪女」になり切れる女は現実には滅多にない。肉親の情にほだされることもあれば、千人の男を手玉に取ってきた女が千一人目の男によって真の恋に目覚め、それまでの生き方を悔いて苦しむこともある。

「或る女」のヒロイン葉子は、その点ではリアリティのある人物だ。美貌で勝気で男を操る手管も心得えた葉子は、確かに奔放な妖婦型の女ではあるが、情事に心をふるわせ、男の心を独占できぬことに苦しみ、彼への愛と肉親への愛に心を引き裂かれもするし、家事に采配を振るう良妻賢母の一面もある、矛盾に満ちた、ということはリアリティに満ちた存在だ。
モラルや法律を冒すとき、たいていの人は心の痛みを感ずる。谷崎ワールドの悪女達は、そうした葛藤を経ずにやすやすと既成概念を超え、また、それが許されるだけの美貌と魅力を備えているが、「美しくさえあれば何をしてもいい」というのは、谷崎のような耽美主義者や、その世界の中でだけ通用する観念で、現実には、美貌よりも道徳や慣習や法律のほうが強いのだ。
森鴎外の小説はたいして面白いとは思わないのだが、それは彼の頭の中が整然とし過ぎて、登場人物の葛藤があまり感じられないからだ。その点、「舞姫」はいい。日本のエリート青年とドイツのダンサー、日本なら芸者に類するような少女との恋、それが真剣なものであるだけに謗りを受けてエリートコースから脱落した青年が、結局はエリートコースへ復帰する路を選んで現地妻を捨てる、その葛藤に共感できるからだ。

「或る女」は、有島版「アンナ・カレーニナ」だ。美貌と才気に恵まれた葉子は恋愛結婚に失敗し、両親を亡くし、娘と2人の妹を抱えて、気に染まぬ青年との再婚を承諾させられる。渡米した婚約者のもとへ赴く航海中に、上級船員の倉知と恋に落ち、婚約者と再会はしたものの、はっきり破約せぬまま帰国する。このために倉知は離婚し、解雇され、軍事スパイとなる。彼と葉子は内縁関係を続けるが、倉知の心は冷めてゆく。彼を生涯の伴侶と思っていた葉子は嫉妬に狂い、ヒステリーを起こし、健康を害し、衰弱した身体のまま外科手術を受けて死亡する。
不倫の愛ゆえに世間から孤立し、その閉ざされた世界の中で愛に生きようとする女と、愛だけでは生きられぬ活動的な男との心の掛違いが拡大していく悲劇、女の発狂と死、という結末はまさに「アンナ・カレーニナ」だ。もっもと葉子は、アンナほど純粋ではない。婚約者の親友で、実直な青年を、ただ罪を犯させたいがために誘惑しようとするコケティッシュな女でもある。

ただ誘惑するために男を誘惑し、翻弄する女の一人として、ダフネ・デュ・モーリアの「レベッカ」が思い浮かぶ。美貌と才知で出会う人すべてを魅了するレベッカは、義兄や使用人をも誘惑するが、そうした恋愛遊戯は気晴らしに過ぎない。乳母でもあった腹心の家政婦だけを心の友とし、男という男を嘲笑い、愛に囚われぬがゆえに冷静で自由で、ごく身近な人々以外にはその二重生活を気取られることなく、上流婦人としての体面を保った生活をしていた。
「或る女」を読んで感じたのは、レベッカのように誰も愛さずに人は生きていけるのだろうか、という疑問だ。「誘惑する女」だって、自分が吐き出した恋の糸に自ら絡め取られてしまうこともあろう。それが人間というものだ。その弱さを持っているからこそ、葉子にはリアリティがあるのだ。彼女のような勝気な才女が、知性によって野性を漂白されてしまった穏便なインテリ青年達を物足らなく思い、行動によって生きる海の男に惹かれる気持ちはよく分かるし、妹の片方を可愛く思い、もう片方を憎く思ったり、何かと娘を心の支えにしながら、男のためには犠牲にしてしまう「女は母より強し」の心理もよく分かる。
気に入らぬ方の妹が葉子の丹精によって美しくなり、自分の情人や崇拝者の関心が彼女に移り始めた時の複雑な感情の起伏、それはかつて葉子の母親が葉子に対して感じた感情のリフレインなのだが、そうした女性の肉親間の微妙な心理の綾を、どうして有島は知り得たのだろう? あまり日本文学を読んでこなかったのでエラそうな事は言えないが、「或る女」は日本の小説としては珍しいほど骨組みのしっかりした、ストーリーにも人物にも奥行きのある作品だと思った。

太宰の「おさん」は、先日、三鷹を散歩したおり、太宰の住まいにあったという百日紅を見て、その百日紅が出てくる小説として紹介されていたので読んでみた。戦争で人が変わってしまった夫が愛人と情死する、その終わりの日々を妻の視点から描いた短編で、太宰自身の最期を予告するような話だ。
太宰は女性の一人称の語りを得意としているが、女性を描いているのではなく、女性を媒介として男性を描いているのだ。「ヴィヨンの妻」の語り手の詩人の妻、元は長屋住まいのおでん屋の娘と、「斜陽」の語り手の令嬢が、同じ山の手言葉で話しているのはおかしい。太宰の作品は代表作以外は読んでいないので断言はできないが、彼が描く女性は下層階級に属する人であっても山の手言葉で、つまり彼が本来属していた上流階級の人々の言葉で話していて、この点だけでもリアリティに欠ける。彼の作品の登場人物で共感できる女性は、「饗応夫人」の「奥さま」だけだが、これは太宰自身を戯画化した人物のように思える。「おさん」と「ヴィヨンの妻」の語り手の夫も、「斜陽」の語り手の弟も、太宰を戯画化したロクデナシの飲助だが、そんなふうに彼の小説はどれをとっても主要人物が彼の戯画像で、女性の語りを通してその男が描かれるという構造になっている。結局、彼は小説を通して様々な角度から見た自画像を描き続けたのだろう。その自分を見つめる視線が恐ろしく客観的なところが、彼が優れた作家たるゆえんなのだが。

それにしても、名家の出の太宰が貧乏たらしい世界を書き、庶民の出の谷崎が上流階級や花柳界の華やかな世界を書いたという対比は面白い。