2012年7月21日土曜日

真珠の耳飾りの少女

昨日、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(左図)を観た。ポスターなどですっかりお馴染みになっているのでもう観たことがある気になっている、そんな絵の一つだった。そういう絵によくある
ように、思っていたよりはずっと小さな絵だった。
絵の前には長い行列ができていた。閉館間際には行列も短くなるだろうと、先に他の絵を観て回った。東京都美術館のリニューアルオープン記念の「マウリッツハイス美術館展」だったが、何が嬉しいといって、リニューアル後は金曜日の夜間開館をするようになったことだ。最近は夜間開館をする美術館が増えて便利になった、と喜んでいたが、夜間開館が普及しただけ閲覧者も増え、今回のような人気のある企画展は混んでいる。先月の「ボストン美術館展」では、「これじゃ、バーゲンセール時のデパートだ」と思ったが、今回もけっこう混んでいた。
マウリッツハイス美術館は、多くはないが選りすぐりの作品を所蔵している「絵画の宝石箱」だ、という解説の通り、確かな鑑識眼によって収集された作品群だった。小ぶりな絵が多かった。オランダの黄金時代の絵は裕福な市民の家に飾られていた物だから、教会や宮殿用の絵よりはずっとコンパクトで題材も分かりやすく、日本の家に置いても違和感がない。その親しみやすも日本で人気がある理由の一つだろう。特にフェルメールに人気があるのは、画面に漂う静謐さのためだろうか。茶の間の一角を切り取ったような日常生活の一コマ、静けさの漂う整然とした室内は、小津安二郎の世界と相通ずるものがある。
フェルメールはまた、ゾラが描写したレースの修繕をしている女を想い出させる。『居酒屋』の主人公ジェルヴェーズの隣人で、「白いレースや指先のこまかい仕事が静けさを反映したのかと思われるほど、貴婦人めいた物静かで色白な顔」をした寡婦だ。鍛冶工の息子と二人住まいの家はいつも塵一つないすがすがしさで、窓ガラスは鏡のように明るく光り、細かい手仕事が落ち着いた静寂を醸し出している。服もこざっぱりとして、収入の四分の一以上を貯蓄し、常に礼儀正しく、「厳格な誠実さと変わらぬ親切と勇気」を備えた一家だ。フェルメールを始めとしたオランダの画家達の絵から私が感じるのも、「勤勉、倹約、貯蓄、清潔、秩序正しさこそが美徳」という働く市民の世界観だ。

「真珠の耳飾りの少女」の前の行列は、閉館の20分前にはだいぶ短くなっていた。それでも絵の前で立ち止まることは許されず、その前をゆっくりと歩きながら観た。肩ごしに振り向く少女の瞳も、私を追っていた。モナ・リザの絵みたい、と思った。実物を観たことはないが、「モナ・リザ」も歩きながら観ると、彼女の目がその人を追っているように見えるそうだ。
「モナ・リザ」をダ・ヴィンチは生涯、手元に置いて手を加え続けたが、フェルメールも「真珠の耳飾りの少女」は亡くなるまで所有していた。この2枚の絵は、各々の作者のピュグマリオンだろうか? 画家の愛情や執着心が並々ならぬ生命力を絵に吹き込んでいるように思う。優れた作品の中でも特に人目を惹き、その前を立ち去り難くさせる絵には、そんな作者の想いが常に込められているのではなかろうか。

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