先週末に、市川崑監督の「おはん」をテレビで観た。前日に宇野千代の原作『おはん』(新潮文庫)を読み終えたばかりなので、すっと「おはん」の世界へ入っていけた。いつもながら、市川監督が文芸作品を映像化する手腕は見事だ。小説の世界の真髄を捉え、おおむね原作に忠実だが時には原作にはないエピソードを加え、それが作者自身も気づかなかったかもしれない登場人物の深層心理や性格を表現している。
『おはん』は、一言で言うなら「子は鎹(かすがい)」の物語だ。あるいは、1人の草食系男子を巡る草食系女子と肉食系女子の三角関係のドラマだ。プラスとマイナスは惹かれ合うので、肉食系女子が最後に勝利する。
粗筋は、草食系男子の幸吉が、芸者遊びがもとで別れた妻、おはん(草食系)と再会し、密会を重ねるうちに、情婦のおかよ(肉食系)と別れて再びおはんと所帯を持とうとするが、その引越しの日に2人の間の息子が亡くなる。幸吉はおかよのもとへ帰り、おはんは1人で町を出る、というものだ。幸吉がおはんとまた暮らしたいと思った大きな理由の一つは息子への愛着だ。引越の夜におかよの家へ戻るぐらい、2人の女の間で気持ちが揺れていたのだから、子どもが亡くなってしまうと、男への執着心がよりが強いおかよの方へ惹かれ、からめ捕られていってしまうのだった。
この、おかよさんは甲斐性者だ。芸者で、紺屋の旦那だった幸吉と深い仲になり、前の旦那から貰った家で同棲を始める。抱えの芸者から自前の芸者になり、自分でも置屋を営んでいる。昼は家事に勤しみ、倹約して積み立てた金で2階を建て増しして夫婦の居間を造り、そこで朝から幸吉にモーションをかけたりする。今は古道具屋になった幸吉の店へ手作りの菓子を差し入れたり、雨の夜はお座敷着のまま傘を持って幸吉を迎えにも行く。姪を養女にして芸者に仕込むが、深く慈しみもする。愛情を求めることにも与えることにも貪欲な、婀娜っぽい年増だ。
元妻のおはんは正反対のキャラクターだ。おそらく親の薦めで幸吉と見合い結婚をし、幸吉が遊び始めて、家運を傾けるとかそんな状況になったのだろう、親に強いられて里へ戻り、出産をする。実家は代々の米屋で、弟夫婦の代になっている。出入りの多い賑やかな家の中で、おはんは仕立物をしながら息子とひっそり暮らしている。器量も人柄も月並みなコプ付きの出戻りに再婚の話はなく、内気で控え目なために浮いた話もない。いたって堅気な商家の女だ。
静と動のエモーションの間で揺れ動く男の気持ちは、映画のほうがよく分かった。大原麗子が演じるおかよはいい女だけれど気が強すぎて、石坂浩二演じる幸吉を顎で使うところがある。姪が田舎から出てきたシーンで、姪の荷物を幸吉に運ばせたり、姪の顔を拭く手拭いを持って来させたりする。現代の一応「対等な」夫婦関係ではよくある光景だが、戦後間もない時期の男性にとっては時々やり切れなくなって、吉永小百合演じるおはんのような弱々しい女に会い、「俺は男だ。エライんだぞ」という感覚を取り戻したくなる気持ちが理解できた。小説では、そこらへんの微妙な心理がよく分からないのだ。題名が『おはん』だし、語り手の幸吉はおはんのことを良いふうに描写しているので、「じゃ、なんでおかよさんときっぱり手を切れないのさ」と、もどかしい。
題名は『おはん』だが、これは「おかよ」の物語なのかもしれない。宇野千代自身の生き方は、おかよ=肉食系だ。それに、なぜ語り手が男性なのだろう。作者は女性なのに。
女性が書いた小説を男性が映画化したことで、両性の心理がより深く理解できるようになっている。映画のラストシーンは、おかよの姪のお披露目の日だ。晴れの装いでお座敷へ出るおかよと姪の乗る人力車の後を、幸吉が走りながら着いて行く。親譲りの紺屋を潰し、男としての最低限の自立性を担保する砦だった古道具屋も畳み、芸者屋の旦那というか箱屋になりきった幸吉が、情婦のおかよの後を身も心も追い掛けて行く。幸吉という男のキャラクターや生き様を見事に表したシーンだ。小説では、相変わらず細々と古道具屋を営んでいることになっている。これはこれで鄙びた味わいがある。小説の語り口は淡々として細やかで、映画ではよりビビッドでドラマティックになっている。小説家が創り上げた世界を壊さずに自分なりの解釈を加え、物語や人物を展開させていく市川崑の手腕は本当に大したものだ。
私が男なら、おはんもおかよもお断りだ。それは現代を生きる中年女の感覚でそう書くのであって、この小説世界に住む男だったら、生活のパートナーにはおはんを選ぶ。おかよの方が人間としては魅力的だが、女性にしろ男性にしろ、強烈な自我の持ち主は周囲の人を振り回すので、身近で長いこと一緒にいると疲れるのだ。自分なりの目標や個性がはっきりした人は、それに寄り添って自分を支えてくれるおはんタイプのパートナーと相性が良く、逆に、これと言った人生の核を持たない人は、明確な目標や価値観を持って生き、強い牽引力で生活に彩りを与えてくれる人と相性がよいのだと、自分自身や身近な人々を見ていても思う。『おはん』のストーリー展開と結末はよく練られており、身近にもこんな事があるなぁと思わせる。宇野千代の観察力の鋭さと人生経験の多様さも、本当に素晴らしい。
ところで、映画ではユーモラスな狂言回しで、三角関係の緊迫した空気に息抜きを与えてくれるおばあさんが、「落語家の春風亭昇太師匠のおかあはんでっか?」と思ったくらい顔が似ていた。配役を調べたら、ミヤコ蝶々だった。名前だけは知っていて大女優だと思っていたら、漫才師でもあったのね。
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