昨夜は「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を観に、国立新美術館へ行った。美術展へ行くのが久し振りだったせいもあろうが、感動がやや薄かった。印象派の作品展だったのだが、イタリアなんかの古い美術館には「なんじゃこりゃ」と思うような、素人愛好家には価値が分からない作品から大家の代表作まで、ガラクタから特級品まで収集された層の厚みを感ずるのだが、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの所蔵品は、憧れの地の大家の作品を一生懸命に集めました、それも代表作というよりは、いい作品ではあるけれど中級品をせっせと集めました、という感じがして、ちょっと鼻白むのだ。
日本の美術館の西洋美術のコレクションも同じスタンスだ。日本人が印象派を好むのは、それ以前の時代の作品は歴史やキリスト教やギリシャ神話が下敷きになっているため、そうした知識がないと本当には理解できないのに対して、印象派の題材は都市や郊外の風景、家族の団欒といった分かりやすいものだからだろう。そんなわけで印象派にはちょっと食傷気味のところへまた印象派の作品を観たものだから、感動が薄かったということもあるだろう。
なんて文句ばかり書いているが、その前で思わず立ち止まってしまういい作品もあった。一番良かったのはモネの「ヴェトゥイユの画家の庭」(図)だ。向日葵が咲き誇る夏の庭に、子ども達が佇んでいる絵だ。
1 件のコメント:
A wonderful exhibition Kyoko. I went with my father and mother on their recent visit to Tokyo. My father is an amateur painter and quiet a good one. He was very impressed.
Phil
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