昨日は、横浜美術館の「プーシキン美術館展」へ行った。年に2、3回の休日出勤があるが、昨日がその日で、仕事が午後2時前に終わったので横浜へ行けた。こうした楽しみがあるから、休日出勤には不平を感じない。代理休暇はもちろん取れるが、出不精なので休日に遠出するのは億劫だ。
この美術展のお目当ては、アンリ・ルソーの『詩人に霊感を与えるミューズ』(図)だった。ルソーは生前はさほど評価されず、作品が反故として古道具屋で売られていたこともあるぐらいで、作品は散り散りになって世界中の美術館で所蔵されているため、たった1枚の作品を観るために遠出して美術展へ行くことがよくある。
モスクワのプーシキン美術館の所蔵品は2人の実業家、セルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフのコレクションに負うところが大きい。フランスでも評価が定まらなかったピカソやマティスに着目した彼らの鑑識眼は本物だが、もし『詩人に霊感を与えるミューズ』も彼らのうちのどちらかが購入したのなら、並の美術評論家より遥かに優れた審美眼の持ち主だったということになる。
この有名な絵には2枚のバージョンがある。最初に描いたのはプーシキン美術館に、2作目はバーゼル美術館に所蔵されている。ルソーの友人であり庇護者だった詩人ギョーム・アポリネールと、その恋人で画家のマリー・ローランサンの全身像だが、画面の前面に「詩人の花」であるカーネーションを描くつもりでニオイアラセイトウを描いてしまい、改めてカーネーションを描き入れた「修正版」を描いた、というのも有名なエピソードだ。2つの作品を比べると、最初のほうがよりヴィヴィットで心に迫る。アポリネールの顔もより実物に似て写実的だ。2度目に書き直したのは、記憶を頼りに描いた、より抽象化され美化された肖像という感じがする。
美術展では、最初に展示作品全体を駆け足で観てから一番気に入った作品を時間をかけて観るのが常で、今回はこの作品を最初にじっくり観た。人物よりも背景の樹木や、木々の間からのぞく青空のほうがリアルで、心を惹きつけられる。「樹木は、背景というより、彼の絵の陰の主役」だと岡谷公二氏が『アンリ・ルソー 楽園の謎』(平凡社)で述べているが、まったくその通りだ。彼の故郷ラヴァルは樹木の豊かな地方都市で、どんな小さな庭にも樹が繁り、春には鳥の囀りで町中が大きな鳥籠になったという。パリの殺伐としたアトリエに住む貧しい画家の望郷の念、現実よりも彼方のもの、過去のほうをよりリアルに感ずる詩人の想像力の飛翔を切なく感ずる。
それは、私にも樹木への愛着があるからだ。最近は早起きして一駅分歩くようにしているが、途中で井の頭公園を通り抜けるのるが楽しみだ。背の高い樹木が重なり合って冷んやりとした木陰を作り、あまり手入れされ過ぎずない野趣を残した趣きが好きだ。学生時代からよく来ているので、来るたびに過去の思い出が蘇り懐かしく思う。この公園の緑を見渡せる場所に住むのが、学生時代からの夢だった。今は小さな公園の向かいに住み、ささやかな樹木の植込みを眺めながらこのブログを書いている。「緑豊かな土地に憧れる都会人の郷愁」という点で、彼に共鳴している。
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