2008年11月9日日曜日

遅刻魔の誠実さとは?

  2週間ほど前に、自宅のパソコンのスクリーンセーバーの文字を変えました。「知行合一・至誠天に通ず」から「至誠通天」だけにしました。「知行合一」は、尊敬しているX 氏の座右の銘で、スクリーンセーバーに入れておられると聞き、始めはそれを真似していたのです。黒いスクリーンセーバーを横切るピンクの太字の「知行合一」はかなり目を引き、何気なく目にするたびに気が引き締まったものです。
  知っていることや考えたことは実践せよ、という「知行合一」という言葉は、好きな言葉の一つではありますが、私が一番好きなのは「至誠天に通ず」(至誠通天)なので、「知行合一」だけではオリジナリティがなさすぎると思い、後から「知行合一・至誠天に通ず」にして、数ヵ月間そのままにしていました。でも、文字数が多すぎるのですよね。後方の「に通ず」あたりは文字がモザイク状になって、よく読めませんでした。それで思い切って一番好きな言葉だけにしようと、「至誠通天」へ変えました。
  X氏は「知行合一」を地で行っている方ですが、私が「至誠天に通ず」という言葉にこだわるのは、実践できていないからです。なにより誠実な人間でありたいと願いながら、実際は逆のこともよくしてしまう、誠実さの花壇の周りに、いつも芽を出そうと待ち構えている不誠実の雑草と闘っている気がします。おそらく誰の心にも潜んでいる不誠実さ、ずるさは、『星の王子さま』のバオバブの木のようなものではないでしょうか。バオバブはあまり大きくなるともう引き抜けないし、数が多くなりすぎると星を破裂させてしまいます。ロス疑惑の三浦和義氏の最期や、小室哲哉氏の詐欺事件は、たとえ社会的には成功していたとしても、身近な人々や物事に対する不誠実さが積もり積もった結果はああなるのだという教訓として、私の目には映ります。だからこそ、自他の誠実さというものは、どんな些細なものであれ大切にしなければならない、そして真に誠実な心で願った誠実な目標は、いつかは必ず実現されるだろう、という自戒と期待を込めて「至誠通天」をスクリーンセーバーに入れたのですが・・・・・・これを読んだ私の身近な人たちは、どう思っておられることでしょう?(皆さん、待ち合わせにしょっちゅう遅れてごめんなさい。)

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