2008年11月22日土曜日

In The Gloaming ―「薄暮のなかで」私訳Ⅳ

  昨夜はレアード・コーニングの『白い家の少女』を読み返し、今日は、やっとホームズのThe Disappearance of Lady Frances Carfax(「フランシス・カーファックス姫の失踪」)を読み終えました。

  昨日は翻訳講座へ行き、In The Gloaming の翻訳を進めました。今日掲載するのは、11月8日に掲載した箇所の続きですが、一部省略があります。レアードがジャネットへ様々な質問をして親子の会話が弾む場面があるのですが、そこは授業ではカットされました。今日、掲載するのは、翌朝以降の場面からです。講義の日程の都合で、中篇を全部訳すのは難しいので、今後も翻訳を割愛する箇所が出てくると思います。と書きつつ、何人の方がこの連載を読んで下さっているのかギモンですが。

薄暮のなかで Ⅳ

 翌日、レアードがまたむすっとしていた時はジャネットも心配したが、その夜も、それに続く夜も、夕暮れは魔力を発揮した。彼女は戸外のテーブルに夕食を整え、マーティンが書斎の胃袋に飲み込まれてしまうと、彼女とレアードは話し始めるのだった。二人の周りの空気は、互いに知りたい、知って貰おう、として醸し出されるエネルギーに満ちているようだった。他の人達も、これほど誰かと深く関わり合うことがあるのだろうか、と思った。彼女は、誰とも、こんなに深く結び付いたことはなかった。明らかに彼女とマーティンは決して本当には結びついてはいない、魂と魂とでは。友人達に関しては、どんなに忠実で信頼できる相手でも、こちらが相手を遠ざけてしまわないよう、いつも気を遣わねばならなかった。もちろん、友人達には彼女と縁を切るという選択肢があり、マーティンはいつでも離婚を請求できるが、レアードは“囚われの聴衆”のようなものだった。否応もなく相手の話を聞かなければならない。親と子は、お互いに切っても切れぬ縁で結び付けられているのだ。そのわりには、お互いの話を理解する度合いは、驚くほどわずかだ。みんな、注意を払うのを早々と止めてしまい、相手のことはすっかり分かったと思ってしまう。ジャネット自身も、そうした間違いを犯していた。彼女は娘の家へ行き、アンが家の中をこざっぱりと片付けているのを見ると、いまだに驚いていた。彼女にとって、アンはいまだに、セーターはクローゼットの隅に、キャンディーの包み紙はベッドの下へ投げ込む、だらしのないティーンエイジャーだった。レアードが、女の子たちに興味を示さないことにも、まだ驚いていた。彼は女の子に興味があったではないか? ジャネットは、彼の帰りに耳を澄まして、目を覚ましたまま横になり、彼が受けた性教育の知恵を活かして、きちんと避妊してくれたら、と願ったことを思い出した。
 今や、そうした思い込みを払拭するチャンスだった。彼女はレアードのすべてが好きなわけではないし――まだよく分からない面も沢山あるが――何もかも、すっかり知っておきたかった。毎朝、目が覚め、少したってから頭がすっきりしてくると、レアードがふたたび小さくて完璧な赤ん坊になり、今日一日、その成長が楽しみにできるかのように、愛と感謝に胸が疼いているのに気づくのだった。そしてすぐに、二人のたそがれどきが待ち遠しくなる。半ば冗談に、半ば期待を込めて、日刊紙の星占い欄を読む代わりに、日没の時刻を調べるのが新たな習慣となり、夏が衰えるごとに日没が早くなるのを見て、満足を覚えた。それは、たそがれどきまで長く待たなくていい、ということを意味したから。その時間をさらに縮めようとして、朝も遅くまで眠っていた。おかしいのは、自分でもわかっていた。恋にのぼせた女の子のように、馬鹿げた振る舞いをしていた。二度と経験しないだろうと思っていた感情が、今こうして蘇ってきたのだ。ジャネットはその想いに浸り、たそがれどきを待って生きていた。レアードの意識が活発になった印に瞳が輝き始める、そのときために。それから、本当の一日が始まるのだ。
(続く)
 

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