2008年11月8日土曜日

In The Gloaming―「薄暮のなかで」私訳Ⅲ

  昨日、1ヵ月ぶりに翻訳学校へ行きました。通常は隔週の金曜日に講義があるのですが、先生のご都合で1回休講となったので、前回から4週間ぶりの講義になりました。校舎も、先生も、私たち受講生も、格段に変わりはありませんでしたが、少しばかり懐かしい気がしました。
  以下は、講義で翻訳中の In The Gloaming の私訳の続きです。前回分は10月10日に掲載しました。

薄暮のなかで Ⅲ

 彼は微笑し、物問いたげに彼女を見た。
「母さんは、一日が終わるのが切ないんじゃないかって、いつも思ってたけど、そうじゃなくて、夏の夜のスコットランドのハイランドみたいに、あたりが紫の光に包まれる、美しいひとときなんだって、言ってたね」
「そうよ。地面がみんなヒースに覆われたみたいで」
「スコットランドに行けなくて、残念だった」と彼は言った。
「それでもスコットランドの男よ、おまえはね。少なくとも、私のほうの血筋では」と彼女は言った。スコットランドへ行かないかと誘ったことがあったが、彼は興味を示さなかったのだ。その時はもう大学生で、自分のしたい事ははっきりしていて、それはジャネットのとはまったく違っていたのだ。「たそがれ(グロウミング)の話をした時のことを覚えているなんて、驚いた。おまえは、七歳ぐらいだったはずだもの」
「最近は、いろんなことを思い出す」
「そう?」
「とても小さかった時のことばかりだけど。母さんに、また世話してもらっているからじゃないかな。たまに目を覚まして母さんの顔を見ると、ベビーベッドをのぞきこんでいた母さんを思い出せそうな気がするんだ。そのとき着ていた服まで」
「あら、まあ!」ジャネットは朗らかに笑った。
「いつも、とってもいい顔をしてたよ」と彼は言った。
 思いがけない言葉に、彼女は驚いた。そして思い出した――レアードのベビーベッドにかがみ込んだら、自分が赤ん坊の頃、母親の顔を見上げたことを、突然思い出したのを。「おまえの言うこと、分かるわ」
「そう、分かってくれるよね?」
 彼は、ジャネットがドキリとするほど、じっと彼女を見た。思わず片足を振り子のようにブラブラ振っていたのにジャネットは気づいて、止めた。
「ママ。しておかなきゃいけないことがまだ幾つかあるんだ。例えば、遺言状を書くとか」
 ジャネットの心臓は止まりそうになった。彼の前ではいつも、彼が良くなるようなことを言っていたのだ。他の可能性について話し合う自信はなかった。
「ありがとう」彼は言った。
「なんで?」
「そんなことするにはまだ時間がたっぷりあるじゃない、とか、その手の気休めを言わないでいてくれて」
「ありきたりなことを言いたくなかっただけよ、時間がないと思っているわけじゃないわ」
「まだまだ先のことだと思う?」
 彼女はためらった。それに気づいて、彼は少し身を乗り出した。「時間はたっぷりあると思うわ」と彼女は言った。
「おれが健康でも、遺言状を作っておくっていうのはいい考えだろう?」
「そうね」
「手遅れになる前にやっておきたいんだ。母さんだって、おれが突然、看護師たちに何もかも遺すなんてことして欲しくないだろう?」
 ジャネットは声を立てて笑った、彼の冗談がまた聞けて嬉しかった。「分かった、分かった。弁護士に電話するわ」
(続く)

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