9月13日に掲載した、アリス・エリオット・ダークの In the Gloaming の私訳の続きを以下に掲載します。第1回では題を「暮れなずむ薄暮のなかで」と訳しましたが、翻訳の先生から「薄暮が暮れる」という言い方はおかしいのでは、と指摘されましたので、「薄暮のなかで」と改題しました。
「薄暮のなかで」 私訳Ⅱ
それはその夏、初めて外のテラスで夕食を取った日暮れのことだった。食後に、マーティン――レアードの父親――は、電話をかけに席を立ったが、ジャネットはテーブルを片付ける前に籐の椅子に残り、一休みしていた。煙草が恋しくなるようなひと時だった。風がそよとも吹かない、こんな日暮れ時には、子ども達に、十八番の煙草の輪を作ってやったものだ。彼らの言う通りに、一つの輪の中をもう一つの輪がくぐり抜けるようにしてみせたり、三つの輪を続けざまに並べてみせたり、空まで昇って行きそうな、大きな縄のような輪を作ってやったりした。せがまれる通りに、飽きるまでそうしてやったが、やめていいと言われるまで、煙草を四分の一箱も吸うこともあった。意外にも、アンもレアードも、煙草を吸うようにはならなかった。それどころか、煙草は止めてと、ジャネットに口やかましく言い、ついに止めた時は二人とも喜んだ。それをほんの少しは残念に思ってくれたら、と彼女は思った。それはつまり、彼らの子ども時代の一部が終わったということなのだから。
いつもの癖で、ジャネットは最初の蛍――一番星に気がついた。芝生は暗くなり、一日中むっつりしていた花々は突然、芳香を放ち始めた。彼女は籐椅子の背に頭をもたせかけて、目を閉じた。やがてレアードの息遣いを耳で追い始め、いつの間にか彼の生命のリズムに合わせて呼吸をしていた。そうして彼のそばにいると、とても心が安らいだ。一体、何人の母親が三十三歳の息子と、こんなゆったりしたひと時を過ごせるだろう? 彼が赤ん坊だった頃と同じぐらい、多くの時間を共にしている。いや、ある意味では、もっとかもしれない。成長期の思い出が、彼への想いを深くしていた。こうして二人で静かに座っていると、かつてのようにレアードを身近に感じた。彼はまだ、衰えてゆく肉体の中にいる。彼がまだここにいる、そのひと時を楽しんでいた。
「たそがれどき(グロウミング)」突然、彼が言った。
彼女は夢見心地にぼんやりとうなづいてから、背をしゃんと起こし、レアードの方を見た。「なに?」と訊ねはしたが、ちゃんと聞こえていた。
「ガキのころ、母さんがおれを、はめ殺し窓の所へ連れて行って外を見せてくれて、スコットランドじゃ、今時分を『たそがれ(グロウミング)』っていうんだって、言ったんだよ」
ジャネットのはだが、ぞくりした。彼がまた話し出したことを、あまり大げさに考えないようにと戒めて、小さく咳払いをした。「それを、おまえは『憂鬱(グルーミー)』って言ったんだと思ったのよ」
(続く)
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