2013年7月21日日曜日

アンリ・ルソー 『詩人に霊感を与えるミューズ』

昨日は、横浜美術館の「プーシキン美術館展」へ行った。年に2、3回の休日出勤があるが、昨日がその日で、仕事が午後2時前に終わったので横浜へ行けた。こうした楽しみがあるから、休日出勤には不平を感じない。代理休暇はもちろん取れるが、出不精なので休日に遠出するのは億劫だ。
 この美術展のお目当ては、アンリ・ルソーの『詩人に霊感を与えるミューズ』(図)だった。ルソーは生前はさほど評価されず、作品が反故として古道具屋で売られていたこともあるぐらいで、作品は散り散りになって世界中の美術館で所蔵されているため、たった1枚の作品を観るために遠出して美術展へ行くことがよくある。
 モスクワのプーシキン美術館の所蔵品は2人の実業家、セルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフのコレクションに負うところが大きい。フランスでも評価が定まらなかったピカソやマティスに着目した彼らの鑑識眼は本物だが、もし『詩人に霊感を与えるミューズ』も彼らのうちのどちらかが購入したのなら、並の美術評論家より遥かに優れた審美眼の持ち主だったということになる。
 この有名な絵には2枚のバージョンがある。最初に描いたのはプーシキン美術館に、2作目はバーゼル美術館に所蔵されている。ルソーの友人であり庇護者だった詩人ギョーム・アポリネールと、その恋人で画家のマリー・ローランサンの全身像だが、画面の前面に「詩人の花」であるカーネーションを描くつもりでニオイアラセイトウを描いてしまい、改めてカーネーションを描き入れた「修正版」を描いた、というのも有名なエピソードだ。2つの作品を比べると、最初のほうがよりヴィヴィットで心に迫る。アポリネールの顔もより実物に似て写実的だ。2度目に書き直したのは、記憶を頼りに描いた、より抽象化され美化された肖像という感じがする。
 美術展では、最初に展示作品全体を駆け足で観てから一番気に入った作品を時間をかけて観るのが常で、今回はこの作品を最初にじっくり観た。人物よりも背景の樹木や、木々の間からのぞく青空のほうがリアルで、心を惹きつけられる。「樹木は、背景というより、彼の絵の陰の主役」だと岡谷公二氏が『アンリ・ルソー 楽園の謎』(平凡社)で述べているが、まったくその通りだ。彼の故郷ラヴァルは樹木の豊かな地方都市で、どんな小さな庭にも樹が繁り、春には鳥の囀りで町中が大きな鳥籠になったという。パリの殺伐としたアトリエに住む貧しい画家の望郷の念、現実よりも彼方のもの、過去のほうをよりリアルに感ずる詩人の想像力の飛翔を切なく感ずる。
 それは、私にも樹木への愛着があるからだ。最近は早起きして一駅分歩くようにしているが、途中で井の頭公園を通り抜けるのるが楽しみだ。背の高い樹木が重なり合って冷んやりとした木陰を作り、あまり手入れされ過ぎずない野趣を残した趣きが好きだ。学生時代からよく来ているので、来るたびに過去の思い出が蘇り懐かしく思う。この公園の緑を見渡せる場所に住むのが、学生時代からの夢だった。今は小さな公園の向かいに住み、ささやかな樹木の植込みを眺めながらこのブログを書いている。「緑豊かな土地に憧れる都会人の郷愁」という点で、彼に共鳴している。

2013年7月4日木曜日

グルーズの少女

 
東京藝術大学大学美術館の「夏目漱石の美術世界展」へ行った。平日の昼間にもかかわらず、思いのほか混んでいた。考えてみれば美味しい企画だ。美術愛好家と文芸愛好家、その両方の愛好家達の来場が見込める訳だから。この企画を考えた学芸員の着眼点は素晴らしい。
 展示作品は、美術愛好家の漱石が作品の中で言及した絵画、同時代の画家達の作品、彼らが装丁した漱石の小説などだ。小説の中に出てくるが実在しない作品を2点、実際に制作させてもいる。夏目漱石の美術観がよく分かった。
 彼の好みは文人趣味だ。作家だから当たり前だが。絵そのものが圧倒的な存在感を放つ力強い作品より、物語の一場面を描いたり、物語を連想させるような叙情的で優美な作品を好んだようだ。私にもその傾向があり、彼と同じく英国愛好家でもあるので、彼の趣味には馴染みやすかった。
 一番気に入ったのは、ジャン・バティスト・グルーズの「少女の頭部像」(図)だ。少女というよりは若い女だ。大人になりかけた少女、未熟と成熟のあわいの揺らぎの時期で、官能的でありながら幼く、清純だ。『三四郎』に出てくるそうだが、覚えていない。ヒロインの美禰子がこんな雰囲気だそうだが、これなら若い三四郎が惹かれるのも無理はない。私もこの絵の前に長いこと立っていた。男性達もこの小さな肖像画の前で足を止めるので、絵の前はいくらか混んでいた。
 
 今日は朝から東京国際ブックフェアへ行き、駆け足で会場を周った。イタリアの本だけはじっくり見たが、ブックデザインが素晴らしかった。
 お昼はアメヤ横丁で、屋台の上海料理を頂いた。「小籠包専門店」の看板を掲げるだけあって、出来立ての小籠包は少し不恰好だが熱々で美味しかった。
 というわけで、今、舌には小籠包の味が、網膜にはふくよかで官能的なグルーズの少女の映像が焼き付いている。

2013年7月2日火曜日

ひさびさの古書店巡り

 今日は久しぶりに神保町へ行った。仕事で神保町にある翻訳会社を訪ね、4時半で仕事は終わったので、その後2時間ばかり当てもなく大型書店や古書店、額縁屋を見て周った。仕事のための本も少しは見たが、たいていは自分が本当に読みたい本―文芸書や歴史の本、美術書、料理の本などを手に取った。何を買ったというわけでもなく、特に役立つ情報が得られたわけでもないが、とても贅沢な2時間だった。