2010年9月18日土曜日

ベトナムフェスティバルへ行く

今日はベトナムフェスティバルへ行った。ベトナムの食と文化と音楽を紹介し、もって日越の交流を図ろうという催しで2008年から始まった、そうだ。今年は9月18日と19日の開催で、会場は代々木公園だ。
私の目的は、ベトナムの雑貨と食材を買うことだった。フォーを食べる時に使うアルミ製のレンゲが前から欲しかったのだが、なかなか見つけられないので、そのレンゲと、フォーや目新しいトロピカルフルーツなんぞがあったらそれも買い、旅行会社のパンフレットがあれば頂いて来よう、という軽い気持ちだった。思いの他の盛況で、休日のひとときを楽しめた。
東京を中心としたベトナム料理とタイ料理のレストランが模擬店を並べ、一部にはアオザイや雑貨や食材の模擬店もあった。都内にこんなにベトナム料理店があったのか、ベトナムに関心がある方がこんなにいたのかしらんと思ったほどの人出で、中でも一番繁盛していたのがエスニック食材の店だ。小さなテントは客で一杯、店員は次々にさばけてゆく商品の補充に大わらわで、レジの前は行列だった。ここでフォーとジンジャーティー、レトルトの「サイゴン風チキンカレー」を買い、他の様々な店でアルミ製のレンゲと柄の長いスプーン、ドリアンとランブータン、ベトナム菓子を買い、ベトナム旅行のパンフレットを集め、ベトナム料理研究家の伊藤忍さん達の模擬店の「肉団子入りつけ麺」で遅い昼食にした。甘辛いつけ汁が美味しかった。

野外ステージでは様々なアトラクションが行われていたが、私はアオザイショーの後半と「オペラ 日越超絶友好歌劇団」を観た。この「歌劇団」のメンバーは、なんと3名だった。中国的な大仰なネーミングに、こちらの方が恥ずかしくなってしまった。日本人のソプラノ2名―その内の1名はひょっとしたらメゾ・ソプラノかもしれないが―と、ベトナム人らしき男性1名で、オペラとミュージカルの名曲を5曲歌った。ソプラノ達は良かったが、男性のほうは声量はあるのだが、上手いとは言い難かった。発声法がオペラ歌手のものではないようで、謎の人物だ。しかし、ベトナムに関りのある曲を歌ったのは彼だけだ。彼はミュージカル「ミス・サイゴン」の曲を歌った。他は欧米の歌だった。ベトナム人のオペラ歌手が浪々と歌うベトナムの名曲、を期待していたので拍子抜けしたものの、オペラ歌手の歌を生で聴くのは数年ぶりだったので、思いのほか楽しんでいた。最後の「カルメン」の「ハバネラ」は特に良くて、心から拍手を送り、浮き浮きした気持ちで席を立って、会場を後にした。

帰りがけに明治神宮へ寄った。先日、通訳や旅行会社の方と話した折に、外国人が特に喜ぶ観光スポットとして明治神宮が挙げられ、「どこがそんなにいいのだろう」と思っていたので寄ってみた。
なるべく外国人の、ことに石やレンガやコンクリートの建造物に馴れた欧米人の眼差しで眺めようとしたので、ふだんは見慣れた木造の大きな鳥居もエキゾチックに見えた。都心にあんなにも深く広大な緑の木立ちがあるということだけでも大したものだ。鎌倉の鶴岡八幡宮にでも行った心地がした。
「神社で結婚式なんかがあると、(外国の)女の人なんか喜んで必ず写真を撮るよ」と、先述の通訳氏が言っていたが、その神前結婚式が行われていた。以前に見たことがあるので、結婚式もさることながら、その場に居合わせた外国人達、ことに白人の反応を見るほうが興味深かった。1人の白人の女性は、新婦新郎とその親族達の短い行列を熱心に見つめていた。

帰宅後、ベトナム旅行のパンフレットを広げて、思うさま机上のプランに耽った。旅で一番楽しいのは、この段階だろう。

2010年9月16日木曜日

栗の渋皮煮

今日は栗の渋皮煮を作った。ほぼ1年ぶりに食べる秋の味覚に、去年、初めて栗の渋皮煮を作った時のことを思い出した。栗は大好物だ。昨秋は料理を始めたばかりだったので、渋皮煮ばかり作っていたが、今年はもっと他のお菓子や料理も作ってみたいと思っている。

今日も朝から雨で、「秋の長雨」という言葉を実感する。昨夜から『作家の食卓』(平凡社)という本を読み始めた。昨日書いた、『作家のおやつ』と同じシリーズのムックで、著名な作家達の食にまつわるエピソードや、その食卓を再現した写真で、彼女達の食に対する、ひいては生活全般に対するあり方を伝えている。昨夜、読んでいて最も共感したのは、円地文子の「旬を味わうのは、楽しい趣向の一つである」という言葉だ。

2010年9月15日水曜日

秋が来た

今朝、目が覚めたら、虫の音が満ちていた。
今朝は、と言っても、もう昼に近い時刻だったが、パンケーキを焼いた。栗の渋皮煮を作ろうと思って、昨日、メープルシロップを買い、味見をしているうちにパンケーキを食べたくなったのだ。
最近はすっかりご飯党になっているので、パンケーキを焼くのは久し振りだ。子どもの頃、日曜日の朝食はパンケーキとオニオンスープだった。それでパンケーキを焼くと、日曜の朝ののんびりした雰囲気が蘇る。家の裏庭には無花果の樹が一本あった。今でも無花果を食べると、もいだばかりの実を庭の蛇口で洗って登校前に食べた、小学生の夏の朝の情景が思い出される。今日は無花果のコンポートも作った。赤ワインで煮たのだが、香りづけにシナモンと八角を入れた。八角、またはスターアニスは中華料理によく使われる香辛料で、前から気になっていたのだが、今日、初めて買ってみた。癖のある独特の甘い香りが気に入った。

先日、『作家のおやつ』(平凡社)という本を読んだ。薄手のムックで、ほぼ一晩で読んだ。いい企画だと思った。作家、随筆家、詩人、翻訳家、映画監督、漫画家など、なんらかの形で「書く」ことに携ってきた著名人達のお気に入りのおやつを、豊富な写真と、身近にいた人々のエッセイで紹介しており、食べ物への嗜好や、それに対する態度から、その人の人柄や生活ぶりがぼんやりと浮かび上がってくる。まさにブリア=サバランの言うごとく、「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言い当ててみせよう」だ。

この本を読んで感じたのは、人間の味覚は意外に保守的なものだということだ。だいたいが、その人が育った家庭や土地でよく食べたお菓子や果物を、終生好んでいる。よく言われる「故郷の味」「おふくろの味」というやつだ。そうして、この本で取り上げられている著作家達はだいたいが中産階級出身の知識人なので、目の玉が飛び出るような高価なお菓子や珍味というのはなかった。仕事の合間につまめる小型の菓子―キャンディー、クッキー、プティフール、老舗の上生菓子、地方の銘菓、お煎餅などだ。
いちばん興味深かったのは森茉莉の項だ。彼女の食にまつわるエッセイは繰り返し読んだので特に目新しい点はないが、文字の上でだけ知っていたお菓子を写真で見るのは新鮮な感じがした。森茉莉の味覚は信用できるので、彼女が薦める料理やお菓子は食べたり作ったりしてみようという気になるし、自分の好物を彼女も好んでいたのを知ると嬉しい。彼女は、紅茶はプリンス・オブ・ウェールズを好み、シュークリームが好きだったというが、私もそうだ。明治時代のレシピ通りのシュークリームを作り続けている自由が丘風月堂の「シュ・ア・ラ・クレーム」の写真が載っていて、それを見つつ、森茉莉のエッセイを読み返しているうちに、「卵黄と、牛乳と、ヴァニラの香いが唇一杯にひろがる」カスタードクリームを食べたくなった。ふだんは、さほどカスタードクリームが好きではないのだが、森茉莉の文章は、それがさほど美味しい物ではないと知ってはいても食べたくなってしまう、味覚のイマージネーションを掻き立てる力が抜群なのだ。

と言うわけで、今晩のデザートは桃のグラタンだった。カステラに桃のコンポートを乗せてカスタードソースをかけ、グリルでさっと焼いた物だ。数年前に買ったお菓子作りの入門書に載っていたレシピで、いつか作りたいと思っていた。数日前に作った桃のコンポートが余っていたし、カスタードが食べたかったのでちょうどよかった。簡単にできるわりに見栄えが良く、まぁ美味しかった。
それにしても数日前まではオーブンを使うと暑苦しくて不快だったのに、今日はそんな感じはなかった。夕方から降り出した雨のために肌寒いくらいだ。いよいよ秋だなぁ。明日は栗の渋皮煮を作ろう。

2010年9月12日日曜日

涼しくなって

9月8日に東京国立近代美術館の上村松園展へ行った。この日は朝から雨が降っていたが、最寄りの地下鉄の駅を出た時は雨が最高潮に達していて、数年ぶりに経験する土砂降りだった。歩道と横断歩道の段差の所にできた水溜りで革靴をびっしょり濡らしてしまい、おかげで大昔に予備校で教わった英語の不規則動詞の暗記法を数年ぶりに思い出した。それはこういうものだった。「ピッチピッチ、チャップチャップ、run, ran, run」

この日から秋が来た。ニュースでは相変わらず猛暑を伝えているし、寝苦しい夜もある。しかし、それは衰え行く季節の最後のあがきだ。店頭にはもう栗も梨も柿も並んでいる。そうして夏の間は食べる気も作る気もしなかったビスケットを作りたくなった。バターとオーブンを使うビスケットやパイは、ヨーロッパの涼しい気候には良く合うだろう。冬にオーブンを使うと我が家の狭い台所はすぐ暖かくなって、まことに具合がいい。しかし夏にオーブンを使うと暑くてたまらないし、バターと小麦粉で作るビスケットやパイの生地なんぞは湿気と暑さでべチャーと伸びて、うまくまとまらないのだ。
夏の始めに「モラセス」という糖蜜のシロップを買った。ジンジャービスケットを作るためだ。この「糖蜜」は英国の小説にときどき出てくるので、どんな味がするんだろうと前から思っていた。これは精製していない砂糖のシロップで、食べてみたら何のことはない、黒蜜の味だった。これを買って間もなく蒸し暑さが厳しくなり、ビスケットなぞの洋菓子を作る気がしなくなったので、ほとんど使わないまま放っておいた。やっと涼しくなったので、これを使ってビスケットを焼こうという気になっている。

2010年9月6日月曜日

コンデスミルクティーを飲みながら

今日は、鶏手羽先のヌックマム揚げと空心菜のヌックマム炒めを作った。ベトナムの惣菜料理だが、手軽に作れるわりに「手羽先ってこんなに美味しかったかしらん」と思う味だった。暑い季節には暑い国の料理が合うなぁ、と夏ごとに思う。手早く作れるし、暑さに対抗する力を蓄えてくれるように感ずるのだ。

今日は久し振りに赤ワインを買った。フルボトルで千円前後の赤に美味しい物はなかなかなかろうと思っていたが、これはいけた。私が好きな白ワイン、北海道ワイン株式会社の「おたる」ワインは香料を入れているのではないかと思うほど芳醇な葡萄の香りがして、味わいもフルーティーだが、このメーカーの赤ワインが近所の西友に出ていたので買ってみたのだが、こちらも葡萄の香りが豊かでフルーティーな味だった。というわけで、今日の夕食は簡単ながら満足できる物だった。

先週、出光美術館の「日本美術のヴィーナス展」へ行った帰りに、銀座のベトナム料理店「ラ・スコール」へ寄った。白身魚の揚げ焼きと、ご飯とスープを注文した。ホールに出ていたシェフに何の魚かと尋ねたら、ナマズだという答えだった。ナマズ! 記憶にある限りでは食べたのは初めてだ。ベトナムではよく食べるらしいけど。
デザートは、バインフランと蓮茶にした。バインフランはベトナムのプリンだ。コンデスミルクを使った濃厚な味で、現地ではアヒルの卵を使うそうだが、「ラ・スコール」では合鴨の卵を使っている。今まで食べたことのない程こってりとしたプリンだった。どうしたらあんなに濃い味が出るのだろう? 自分でも作ったことはあるが、あんなに濃い味にはならない。

ここ数日、凝っているのがコンデスミルク入りの紅茶だ。コンデスミルクを入れて飲むベトナムコーヒーの、紅茶バージョンだ。ベトナムでは、グラスにコンデスミルクを入れ、グラスの上に置いたコーヒーフィルターでコーヒーを淹れる。白いコンデスミルクの上に黒いコーヒーがぽたぽたと滴り落ち、白と黒のツートンカラーの層ができる。それを見るのが好きで、紅茶党の私はコンデスミルクの上に紅茶をゆっくりと淹れる。急に淹れるとすぐにコンデスミルクと混ざって白濁し、ツートンカラーにならないので、一滴ずつ淹れるつもりで気長にゆっくりと注ぐと、ミルクティー色の紅茶と白いコンデスミルクの二層の飲み物になる。それが見たくて、今日は厚手のグラスを買った。飲む時はかき混ぜてしまうのだが。味は極甘のチャイだ。ふだんは紅茶に砂糖は入れないのだが、このコンデスミルクティーは今の蒸し暑く、気力も萎えてしまうような気候に妙に合うのだ。「熱中症対策には水分と塩分の補給を」とよく言われるが、糖分の補給も必要なのではないかと感じる。そうして、大学の恩師から聞いたエピソードを思い出す。
私の第二外国語はロシア語だった。ロシア語の先生の一人は、モンゴル語も教えておられた。と言うより、モンゴル語の方がご専門だった。モンゴル留学中に敗戦を迎えてシベリアへ送られ、捕虜収容所でロシア語を習得されたのだ。収容所では、料理係を割り当てられた。捕虜達は肉体労働をさせられるので、ふだんは塩味の濃い食事を好んだが、雨などで仕事が休みになる日は、普段の味付けの料理を出すと「しょっぱい」と言われたそうだ。
カンボジア在住の日本人が、「カンボジアは暑くて、立っているだけで汗が出て疲れる」と言っていたが、過酷な気候は知らぬ間に体力を消耗させるので、激しい労働の後では濃い塩分や糖分を欲するように、厳しい暑さの下でも、身体は自然と濃い甘味や塩気を欲するようになるのではないかと思う。