2009年12月1日火曜日

ランパー

今日も栗きんとんパイを作った。昨日は栗を丸ごと入れたが、今日は刻んで入れた。こちらの方が食べやすい。このパイは甘いので、口直しに紅白なますを付けた。こうして気分は次第に正月モードになっていくが、正月は一月先だ。今からこんなふうでは、いざ正月が来たらお節料理に飽きていやしないだろうか。

朝食と昼食兼用の食事はブランチだが、昼食と夕食兼用の食事は何と言うのだろう。ランパーか?
今日は「ランパー」に鶏腿肉のポットローストを作った。蓋をした鍋で鶏を蒸し焼きにする、オーブン料理だ。長谷川恭子著『イギリス料理のおいしいテクニック』(柴田書店)のレシピだ。クリスマスには、どんな方法で鶏を焼こう?

英国人の料理教室で、七面鳥の丸焼きを作ったことがあるが、味は鶏のほうがいいと思った。「見た目は七面鳥、味は鶏」といったところだろうか。

『なりたいな、投資の名人』

来週、濱田美里の料理教室でお節料理を作るので、予習を始めた。一昨日は紅白なますを、昨日は栗きんとんを作った。栗きんとんは途中で何度も味見をしたので、出来上がった時点で味覚と視覚でお腹が一杯になっていて、食欲が失せていた。でも、これを冷凍パイシートに詰めてオーブンで焼いたら、美味しかった。この「きんとんパイ」は、『なりたいな、料理の名人 第7巻 おめでとうの正月料理』(岩崎書店)のレシピだ。
児童用の料理の本は、私のような初心者にはとても便利だ。一般向けの料理本は料理の完成写真しか載っていないし、その写真さえないこともあるが、児童書は調理の工程の写真やイラストも載っているし、調理用語の解説もしてくれる。料理に限らず、未知の事柄に関して手っ取り早く知識を得たい時、児童書は役に立つ。『なりたいな、投資の名人 第10巻 たのしい海外投資』なんという本はないだろうか?

2009年11月29日日曜日

料理と作り手のメンタリティ

今日は、ベイグド・ライスプディングと栗の渋皮煮を作った。今日のライスプディングは、まぁ上手くいった。私の場合、初めて作る料理は3度目でコツが分かり、3度目で食べ飽きるようだ。というわけで、ベイグド・ライスプディングは及第したことにして、別の菓子に移ろう。

栗の渋皮煮は2度目だが、初めてでも上手くいったので、今回は楽勝だ、多めに作って近所にお裾分けしようと思っていたのだが、失敗だった。甘味を煮含ませる段階になってメイプルシロップが足りないことに気づいて蜂蜜を足したのだが、その蜂蜜も残り少なくて、甘味料が少ないまま煮たら、甘味の足りない味になってしまった。
プロの調理師や料理研究家と素人の違い、あるいは素人でも相当に美味しい料理が作れる人とそうでない人との決定的な違いは、神経の細やかさにある。自分の大雑把さをつくづく感じた。

神経の細やかさという点では、日本料理は随一ではないかと思う。そんなに多くの他国の料理を食べたり、調理している現場を見たわけではないので、自分の狭い見聞からそう思っているだけだが。日本、英国、フランス、中国、ベトナムの料理の本を読むと、家庭料理のレベルにおいても日本料理は包丁遣いや盛り付け方をやかましく指導して、見た目にまで気を遣う神経の細かさは抜きん出ている。それは、日本料理がなるべく素材そのものの味を活かそうとするからだ。その最たるものは刺身だが、刺身は切り方や盛り付け方の上手い下手で、旨そうにも不味そうにも見えるものだ。

そういう細やかな神経を要求されるためか、いい板前には気難しい人が多いような気がする。昔、ホテルでウェイトレスのアルバイトをしていた時、主に和食レストランで働いていたのだが、厨房にはちょっとピリピリした雰囲気が漂っていた。ウェイトレスやウェイター間の上下関係も厳しく、給仕の仕方や食器の並べ方などをやかましく指導されたものだ。それが中華レストランへ手伝いに行ったら、厨房の雰囲気は大らか、ウェイトレス・ウェイター間の上下関係も緩やかで、同じホテルとは思えないほどだった。中華料理は日本料理よりはアバウトだから、どういうタイプの料理を作るかで作り手のメンタリティも変わってくるのか?と思ったものだ。

2009年11月28日土曜日

オーブン料理

昨日、今日とベイグド・ライスプディングを作った。アガサ・クリスティの作品にライスプディングだかライススフレだかが出てきて、どんな味がするのだろう?と昔から思っていたのだ。初めて作ったライスプディングは、ココナッツミルクで米を煮るタイプのエスニック菓子で、こちらの方が元祖ライスプディングだと思う。それがヨーロッパ流に牛乳を使ってオーブンで焼くようになったのがベイグド・ライスプディングだろう、と思っている。

今日はオーブンの上下両段を使った料理というのをやってみたかったので、上段で鶏の骨付き腿肉とじゃが芋と玉葱を、下段でライスプディングを焼いたのだが、これが上手くいかなかった。鶏と野菜を焼く適温は200度、ライスプディングは140度で、鶏と野菜に合わせてオープンを200度に設定したら、ライスプディングはあっという間に沸騰して表面がパリパリに焦げてしまった。食材は、こちらの思うように焼いたり煮えたりしてくれないものだ。魚はこちらが目を離したすきに焦げたがる習性を持っている、と北大路魯山人も書いていたけれど。

子どもの頃からの愛読書の一つに、ハリー・クレッシングの『料理人』(早川書房)がある。英国らしき国の田舎町が舞台で、町の有力者に雇われたコックが、料理の腕で主人達を魅了して次第に彼らの生活に入り込み、主人の娘と結婚して家を乗っ取る、というストーリーだ。詰め物をした野鳥を大きな野外オーブンで焼く場面など、料理に関する記述が沢山あり、こんな物を食べてみたい、作れたらいいなぁ、と心の中で涎を垂らしながら読んだものだ。

2009年11月26日木曜日

またパンプキンパイ

今日もパンプキンパイを作った。月、水、木曜日と作り続けだ。南瓜には生姜が合うとある本には書いてあり、別の本にはローズマリーが合うとあったので、どちらがより合うか試したかったのだ。生姜風味のパンプキンパイとローズマリー風味のを交互に作り、今日は両方作って食べ比べてみた。結論としては生姜のほうがいい。ローズマリーは香りには作用するが味に与える影響は生姜ほどには強くはなく、生姜は香りだけでなく南瓜の旨みをより引き立てるので。
という結論が出たところで、うまい具合に南瓜を使いった。当分、南瓜は見たくない。南瓜もバナナの仲間入りだ。
バナナというのは、バナナをどっさり買って一月ほど毎日食べ続けたことがあるからだ。ベトナム料理に凝っていた時期で、有元葉子の『わたしのベトナム料理』(柴田書店)に載っていたバナナのクレープを作るために、未熟なグリーンバナナをアメ横で買ったが、これが一房単位で売っていたのだ。バナナのクレープは三度ほど作って飽きてしまい、あとには二十数本のグリーンバナナが残った。他に調理方法を思いつかないまま放っておいたら熟して黄色くなってきたので、それを使って毎日いろんな菓子を作った。それでも使い切れないうちに腐ってしまう物もあったが。ようやく食べ終えた時はホッとした。というわけで、しばらくバナナは買いたくない。
同じ物を食べ続けるとうんざりするのは、「またアレか」と思って、味覚より先に知覚が飽きてしまうからだ。大好物の牡蠣なら大丈夫かと思って昼食、夕食、翌日の朝食と三度食べ続けた時は、脳が拒絶反応を起こした。それを考えると、毎食食べても飽きない米は偉大な存在である。

2009年11月25日水曜日

濱田美里の鯖のおろし方教室

今日は、オッと、もう昨日になってしまったが、濱田美里さんの料理教室へ行った。鯖を三枚におろし、しめ鯖の鮨、塩焼き、龍田揚げ、潮汁にした。濱田さんが築地で仕入れた、新鮮で脂の乗ったいかにも旨そうな鯖で、さばきがいがあった。
どの料理も美味しく仕上がったが、強いて言えば龍田揚げが一番美味しかった。『魚を一尾、さばけたら!? 濱田美里のお魚教室』(河出書房新社)を見ながら何度か魚をさばいてきたが、写真や解説だけではどうしても分からない点があり、プロの手さばきを実際に見、指導を受けて、初めて会得できたことが多々あった。まさに、百聞は一見にしかず。
この教室は定員12名で、きめ細かな指導が受けられた。大昔に通っていた料理教室は大人数で、その日に教わった献立の一部しか実際には調理できなかったのが大いに不満だった。
出来上がった料理はみんなで頂いたが、食べる前に半数以上の方が携帯電話で撮影していた。ブログに載せるのだろか? そうして写真撮影をしている受講生達を、濱田さんがデジカメで撮影していた。
濱田さんの本は3冊持っているがどれも和服姿なので、料理教室でも和服をお召しになっているかと思っていたら、果たして和服に割烹着姿で、それがまた板に付いていた。著作からイメージした通りの明るい気さくな方で、レッスンの間中みんなの笑いが絶えなかった。リピーターの受講生が多いのもうなづける。岐阜から参加しているリピーターが2人いた。

すっかり鯖臭くなって帰宅したが、帰りがけに、安納芋と粉末のクローブを買った。安納芋は薩摩芋の一種で、糖度が高くて美味しいのだ。料理教室が始まる前にマリアージュフレールで買った、ラプサンスーチョンのお茶うけにと思って。濱田さんの『おいしい! オーブン料理』(ソフトバンククリエイティブ)を参考に、オーブンで焼き芋にした。
こんなふうに、日に一度は濱田さんの本を開いている。畑から採れたての新鮮な野菜はどう料理しても美味しいが、八百屋やスーパーの店頭に並ぶ頃にはその鮮度が落ちている。時間をかけて低温で焼いたり、弱火で煮込むことで、野菜が本来持っている甘味を引き出せることを教えてくれたのが、濱田さんの著作だった。
クローブは「かぼちゃのデザートタルト」を作るために買った。『おいしい! オーブン料理』に載っていたレシピだ。ひと眠りしたら作ろう!

2009年11月23日月曜日

印象的なスイーツ

今日はパンプキンパイを作った。お菓子の本にシナモンと生姜は南瓜の甘味を引き立てるとあったので、試してみたかったのだ。初めてにしては合格点の出来栄えだった、ということにしておこう。南瓜とシナモンと生姜の組み合わせは、不思議な香りと味がした。絶妙の三重奏。
手作り菓子のよさは、好きな香辛料を組み合わせたり、甘味量を調節して、好みの香りや味を作り出せるところにある。自分で菓子を作るようになってから、市販の菓子は買う気がしなくなった。万人向けの味にするため、保存性を高めるために大量の砂糖が使われているのに気づいたからだ。プロのパティシエが作った出来たての菓子のほうが私が作る物より何倍も美味しいには違いないが、そういう物は日常的には買えないし。

市販のケーキにはない味だと思って印象的だったのは、他に「マルフーガのグレーズケーキ」がある。『Olive Bar―有元葉子のオリーヴオイルレシピ』(ソニー・マガジンズ)に載っていた物で、バターの代わりにオリーブオイルを使い、小麦粉とローズマリーを合わせ、オリーブオイルと蜂蜜のグレーズをかけて作るケーキだ。冷蔵庫に残っていたフレッシュのローズマリーを痛まないうちに使い切ってしまおう、この風変わりな(と私には思えた)ケーキを作るのは一生に一度だ、という気持ちから作ったのだが、「ローズマリーの香りが印象的な、大人のためのスイーツ」というキャッチコピー通り、本当にローズマリーの香りが印象的な洗練された味で、しばらくは口が利けないぐらいうっとりした。自分はローズマリーの独特な刺激の強い香りが好きなのだと気がついて、また作ろうとドライのローズマリーを買った。
ローズマリーという名前も、なぜか知らないがひどく好きだ。アイラ・レヴィンの『ローズマリーの赤ちゃん』も好きだ。ちょっと脇道に逸れるけど。この本を読みたいと思ったきっかけは、「ローズマリー」という主人公の名前の響きが気に入ったからだ。「メリーの赤ちゃん」や「ジェニーの赤ちゃん」では読む気がしなかったと思う。私という読者に限っては、この本のタイトルは絶好の吸引力があったのだ。
話を元に戻すと、このケーキは有元さんが輸入販売も手がけている、イタリアのマルフーガ社のオリーブオイルを使っているから「マルフーガのグレーズケーキ」なのだが、私は近所で買った味の素社のオリーブオイルを使ったので、「味の素のグレーズケーキ」になった。これでは夢がない、日常的、庶民的過ぎて。マルフーガのオリーブオイルは一番小さな瓶で250ml、2,625円だが、そんなふうに高価な、異国的なイメージもこのケーキの魅力の一つである。料理、ことにお菓子は名称も重要だと思う。名前から喚起されるエキゾチックな、美味しそうなイメージも、お菓子を味わう要素の一つだから。今日、パンプキンパイを作るときは2冊の本を参考にしたが、片方の本では「パンプキンパイ」、もう一方では「かぼちゃのデザートタルト」になっていた。同じ物を指していても、呼び方次第で湧き上がるイメージが変わるものだ。

2009年11月22日日曜日

英国菓子のことなど

「ティータイムチーズタルト」を作った。山田詩子の『ティータイムのイギリス菓子』(文化出版局)に載っていたレシピだ。ベイグドチーズケーキを作ったのは初めて。まぁまぁの出来栄えか。
菓子はその土地土地の伝統時な嗜好飲料と相い関っている。ベトナムや日本の菓子には緑茶が、イタリアやフランスの菓子には珈琲が、英国の菓子には紅茶が合う。私は紅茶党なので、このところ英国の菓子に凝り始めた、というか、菓子の本を熱心に読んでいる。『ジュリー・カレンの英国伝統のホームメイドお菓子』(河出書房新社)という英国人の著作もいいが、日本ではちょっと入手しにくい材料、専門店やインターネットでは購入できるが近所のスーパーには置いていない材料を使ったレシピも多いので、初心者には日本人の著作の方が向いている。

アンヌ・マルティネッティとフランソワ・リヴィエールという(たぶん)フランス人の『アガサ・クリスティーの晩餐会 ミステリの女王が愛した料理』(早川書房)も読むぶんには面白いが、動物の内臓を使った料理など、日本では入手しにくい材料のレシピが結構ある。「クッキング・フォトエッセイ」と謳っている通り、読んだり、写真を眺めるだけでも十分にクリスティーの世界を堪能できるが。

この本がクリスティーの『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』に言及していたので読みたくなり、今日から読み始めたが、本を閉じるのが惜しくて一晩で読んでしまった。「クリスティーのオリエント発掘旅行記」という和訳の副題が示す通り、クリスティが夫の考古学者の遺跡発掘調査に同行した中近東の旅行記、発掘現場の見聞録だ。普通の人にはできない特殊な体験を、クリスティのような世界的な作家が書いたのだから、最高の食材を一流のシェフが調理した料理のごときノンフィクションに仕上がっている。『オリエント急行の殺人』を連想させるオリエント急行での旅、『メソポタミヤの殺人』を彷彿とさせる発掘現場の宿舎での暮らしなどがユーモラスな筆致で描かれているが、特に気に入ったのは1匹の猫と1人の建築技師のエピソードだ。
その猫は、鼠殺しのプロフェッショナルだ。シリアで借りた家で鼠の跳梁跋扈に悩まされ、鼠退治のために借りて来たのだが、餌は与えられずに鼠捕りで自給自足するように躾けられた猫らしく、「沈着冷静、科学的、感情に左右され」ずにビジネスライクに鼠捕りに取り組み、人間が大きな物音を立てると苛立たしげな目を向け、その顔つきがあまりに険しいのでクリスティ達は囁き声でしゃべり、皿やグラスの物音も立てぬようにして食事をするのだ。猫の威嚇にしゅんとする大人達の姿がありありと浮かんできて可笑しい。鼠は5日間ですっかり姿を見せなくなったので猫は返されたが、その後も鼠は二度と現れなかったという。『パタリロ!』のスーパーキャットがなぜか浮かんできて、二重に可笑しかった。
建築技師のほうはマックという青年で、人間にまったく興味を示さない点でこの猫とよく似ている。些細な事には動じない、感情を表に表さないというパブリック・スクール式の教育が行き過ぎたような人物で、人間とは思えぬほど感情を表さず、口数も極端に少ない。現代ならインターネットオタクになっているタイプだが、クリスティがヒステリーを起こしたほど鼠が跳梁跋扈する家でも平然と眠れる、タフ(あるいは鈍感?)な男で、不自由な生活にも不平を言わずに順応して仕事に勤しみ、日を重ねるごとに人間らしい感情の片鱗や欠点も見せるようになって、クリスティも愛着を覚え始める、その変化の過程が生き生きと描かれている。マックが人間らしくなってきた、とは言ってもそこはやっぱり変人で、自分の変人ぶりを自覚していないほどの変人なので、それを周囲の人々に笑われても何が可笑しいのかさっぱり分からない、その様子がまた可笑しいのだ。

久し振りのフルボディ

昨日、久し振りにフルボトルのワインを買った。たぶん十数年振りだ。「ピノタージュ」という南アフリカの赤ワインだ。フルボディの赤が好きなのだが、手頃な価格のワインはミディアムボディかライトボディが多いので購入意欲が沸かなかったのだが、「ピノタージュ」はフルボディだったので。フルボディは久し振りなので期待して飲んでみたら・・・値段相応の味だった。近所のスーパーで1,098円の品だったので、まぁこんなものか。でも、香りは深いフルボディの香りだった。

それから、昨夜は初めて鯖の三枚おろしをやってみた。『魚を一尾、さばけたら!? 濱田美里のお魚教室』(河出書房新社)を見ながら。この本を買ったのは2月ほど前だが、三枚おろしをやるのは2度目だ。初めは秋刀魚でやってみたが、惨憺たる出来栄えだった。今回はわりと上手くいった。来週、濱田美里さんの料理教室に参加するのだが、そこで鯖の三枚おろしをやるので予習のためにやってみたのだが、濱田さんも指摘しているように、初心者には鯖のような魚、ある程度の大きさがあり身の固い魚が向いている。
おろした鯖の半身はしめ鯖にし、半身の半分を「塩さばのオリーブ焼き」にした。中村成子の『柚子 小さなゆずの村から』(メディクス発行、ブッキング発売)を見ながら。料理初心者なので、調理のたびごとに2、3冊の本を広げている。この本は柚子を使った料理とお菓子の本で、今まで作ったうちで美味しかったのは「ポテトサラダ 柚子マヨネーズ」と「柚子羹」(柚子のゼリー)だ。

2009年10月10日土曜日

皇室の名宝展とアメ横

昨日は東京国立博物館の「皇室の名宝展」へ行きました。平日ですが混んでいました。展示品の一つ一つが特級品で、観るのに4時間以上かかりました。大作を観るのは体力が入ります。どれもこれも良かったけれど、一番気に入ったのは並河靖之の「七宝四季花鳥図花瓶」です。

博物館へ行く前に、アメ横でドネルケバブのブランチをとりました。ドネルケバブは串刺しにした焼肉で、それを野菜と一緒にピタパンに挟んで頂くのですが、味はまぁまぁでした。単品で500円、ドリンク付きで600円の屋台の簡易食としては美味しいです。それより興味深かったのは屋台の主人のトルコ人の頭の良さです。客あしらいは上手いし、私とは日本語で、韓国人だか中国人の客とは相手の言語で話していました。
アメ横は色んな人種、言語が入り乱れていて面白いです。センタービルの地下は中国語が飛び交っているし。博物館の帰りにそこへ寄りました。エスニック食材の買出しのためです。今回の戦利品は以下の通り。
・グリーンバナナ
・こぶ蜜柑の葉
・米の粉
・花椒
・フライドガーリック
・ココナッツロング
・ココナッツミルクの缶詰
・ふくろ茸の缶詰
・ランブータンの缶詰
ランブータンはトロピカルフルーツの一種で、写真で見ると皮を剥いたところはライチーに似ています。ベトナム料理本に出てくるので買ってみました。しばらくは缶詰にプリントされた写真を眺めて楽しむつもりです。缶詰や瓶詰めのいい点って、そこですね。昨日買ったカシスマスタードの瓶詰はカシスの濃いピンク色を楽しんでいます。青菜や魚だとこうはいきません。屠殺された牛の半身の冷凍肉を眺めても楽しくないし。

夕食はインスタントのタイカレーとパパイヤサラダ、水出しアップルミントティー、リコッタチーズでした。ヤマモリ社製のカレーはインスタントながら美味しかったです。アップルミントは水出し茶にしたら、ちゃんと林檎の香りがしました。水出しにした方が良い香りのするお茶もあるのですね。蓮の葉茶も、水出しのほうが私は好きです。緑茶に蓮の花の香りを付けたベトナムのお茶ですが、蓮の香りに慣れなかった頃はお湯で淹れるとエスニックな香りがきつく感じられました。初めて飲んだのが水出し茶だったせいもあると思いますが。リコッタチーズはチーズを作る過程で出た乳清(ホエー)という水溶液を煮詰めて作った物、だそうです。これはフロマージュ・ブランというチーズとヨーグルトの合いの子のようなフレッシュチーズが好きで、蜂蜜が合うというので買いに行ってオレンジの蜂蜜を選んだら、これにはリコッタチーズが合うという能書きがあったので食べてみたかったのです。ラベンダーの蜂蜜は上品な香りがするのでハーブティー向き、栗の蜂蜜は味が濃いので何々に向くというように、採取する花の種類によって向き不向きがあるそうです。『南仏プロヴァンスの12か月』の作者ピーター・メイルの著作『贅沢の探求』に、ロンドンのある高級クラブ(女性が接客的するクラブではなく、紳士の会員制クラブ)では、紅茶用の砂糖が産地別に選べるようになっている、産地ごとに味が違うのだというくだりがありました。砂糖一つ、蜂蜜一つ取っても、原料となる植物や産地によって味が微妙に違う、食べ物の世界って奥が深いと思いました。どんな世界でも一歩その内側に入り込んだら奥行きは深いのでしょうが。

2009年10月9日金曜日

ベルギー幻想美術館展とベトナム料理とカンボジア

最近、ベトナム料理に凝っています。飽きっぽいのでじきに熱が冷めるかと思っていたら、微熱的に一月以上続いています。お米の文化圏なので日常食に取り込んでも違和感がなく、ベトナム料理の本を読んでは自分で作ったり、ベトナム料理店に行ったりしています。昨日は昼も夜もベトナム料理でした。渋谷へ行ったので、昼は東急百貨店の「サイゴン」でブン・ボー・フエを、晩は西武百貨店の「セラドン」でベトナムカレーを頂きました。ブン・ボー・フエは牛肉とビーブンの辛い麺、ベトナムカレーはタイカレーに似たココナッツミルク入りのマイルドな味で、香菜が入っていたのがいかにもベトナム風でした。
昼食後、Bunkamuraザ・ミュージアムの「ベルギー幻想美術館」展へ行きました。ポスターピースのポール・デルヴォーの「海は近い」と、同じ作家の「水のニンフ」が特に良かったです。ルネ・マグリットも良かったですが。
それから二、三の買い物を済ませて、また東急百貨店へ行き、食材を買いました。アップルミント、クリスタルジンジャー、リコッタチーズ、カシスマスタード、ジャスミンライス、柚子胡椒、蓮の実の甘納豆、パパイヤのサラダ、焼き麩です。焼き麩以外は食べたことがなく、本で読んだり店頭で見かけて以前から気になっていた物です。パパイヤサラダと蓮の実はベトナム料理の本によく出てくるので、どんな味がするのかと思っていました。
最後に二木会へ行きました。カンボジアの児童買春防止の活動をしているNPO「かものはしプロジェクト」の活動説明会です。カンボジアの社会状況なども分かって有意義な会でした。

帰宅後、アップルミントティーとクリスタルジンジャーを頂きました。アップルミントは林檎とミントの香りがする、はずですが、私には林檎の香りは嗅ぎ分けられませんでした。ペパーミントやスペアミントのお茶とどう違うの? クリスタルジンジャーは生姜の砂糖漬のオーストラリア版です。生姜を角砂糖大にカットしており、美味しいことは美味しいのですが、生姜を薄くスライスした日本版の方が食感はいいです。明日はパパイヤサラダを食べるゾ!

2009年1月28日水曜日

『アガサ・クリスティー自伝』を読む

 『アガサ・クリスティー自伝』(早川書房)を読み終えました。以前から気にはなっていたのですが退屈だったらどうしようと恐れていました。今は、もっと早く読んでいれば良かったと思います。これは有名作家の伝記という以上に、第一次世界大戦前の、英国の古き良き時代に青春時代を送り、第一次・第二次の世界大戦を乗り超えた中産上層階級の女性の、一つの典型的な人生の物語でした。彼女は作家である以前に普通の女性で、若い頃はパーティーや恋を楽しみ、結婚し、娘の学校選びに悩み、両大戦中には篤志看護婦となり、夫の浮気に傷つき、離婚し、(おそらく心の痛手を癒すために)中近東へ旅行するといった具合に、彼女の年代の人がやりそうなことを、それぞれの年代に行って、人生を存分に生きた人物で、そうした体験が作品に反映されているということがよく分かりました。ことにメアリ・ウェストマコットのペンネームで発表した作品は、その傾向が強いです。たとえば『愛の旋律』です。凡庸だが非常に美しいネルと、自分自身もオペラ歌手であり、芸術家の良き理解者である年上のジェーンとの間でゆれ動く、作曲家志望の青年ヴァーノンの物語ですが、明らかにその凡庸ぶりが批難されているネルの生活や内面、たとえば第一次世界大戦中に篤志看護婦として働く場面などが詳しく描写されているのに首をひねっていましたが、ここは小説としてのバランスを崩しても是非とも書きたかった場面なのではないかと気づきました。『愛の旋律』のこの主要人物3人それぞれにクリスティーの一面が投影されているようです。意外と常識的で俗物的な面はネルに、芸術家としての一面はジェーンに、没落した中産上流階級層の、生まれ育った家に固執する心情はヴァーノンに。