2011年8月27日土曜日

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展を観て


昨夜は「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を観に、国立新美術館へ行った。美術展へ行くのが久し振りだったせいもあろうが、感動がやや薄かった。印象派の作品展だったのだが、イタリアなんかの古い美術館には「なんじゃこりゃ」と思うような、素人愛好家には価値が分からない作品から大家の代表作まで、ガラクタから特級品まで収集された層の厚みを感ずるのだが、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの所蔵品は、憧れの地の大家の作品を一生懸命に集めました、それも代表作というよりは、いい作品ではあるけれど中級品をせっせと集めました、という感じがして、ちょっと鼻白むのだ。

日本の美術館の西洋美術のコレクションも同じスタンスだ。日本人が印象派を好むのは、それ以前の時代の作品は歴史やキリスト教やギリシャ神話が下敷きになっているため、そうした知識がないと本当には理解できないのに対して、印象派の題材は都市や郊外の風景、家族の団欒といった分かりやすいものだからだろう。そんなわけで印象派にはちょっと食傷気味のところへまた印象派の作品を観たものだから、感動が薄かったということもあるだろう。

なんて文句ばかり書いているが、その前で思わず立ち止まってしまういい作品もあった。一番良かったのはモネの「ヴェトゥイユの画家の庭」(図)だ。向日葵が咲き誇る夏の庭に、子ども達が佇んでいる絵だ。

2011年8月25日木曜日

Dangerous

今日は給料日。というわけでマイケル・ジャクソンのCDとDVDを買った。CDは“The Essential Michael Jackson”というタイトルだ。これを選んだのは、“Dangerous”が収録されているからだ。You Tubeでこのステージを観て、あまりのカッコよさに目が眩んだのだが、歌詞がよく聴き取れなかった。CDの歌詞カードを見たら、曲名通り「あの娘は危険、だが魅かれずにはいられない」というファムファタルの歌だった。

2011年8月24日水曜日

シャンソンとパプリカ

今夜はシャンソンを聴きながらピザを焼く予定だった。付け合せはコーンポタージュとレタスのサラダ。軽く作って軽く食べる、つもりだった。会社の帰りがけに八百屋でパプリカが一山100円で売られていたので、サラダの替わりにパプリカのマリネにすることにした。前から作りたかったのだ。それから家の近くの図書館で、エディット・ピアフとダミアのCDと、エディット・ピアフの自伝『わが愛の讃歌』を借りた。

エディット・ピアフのCDを聴きながら夕食の支度をした。ピアフの声量には圧倒された。映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」で、キャバレーのオーディションでピアフの歌を聞いた先輩の歌手たちが「すごい声量」と言うシーンがあったが、確かに凄い。オペラ歌手並みのボリュームだ。正規の音楽教育を受けられる環境に育っていたら、オベラ歌手になっていたかもしれない。それはそれで成功しただろう。だが、声量と技量のある歌手がみんなオペラ歌手になっていたら、それもつまらなかろう。下町っ娘のエディットには、同じ土壌から生まれたシャンソンを歌うのが一番合っていたのだろう。

同時に私はパプリカの量にも圧倒されていた。ふつうは1つ100円かそれ以上するパプリカが9個で100円だったのだからだいぶ痛みかけていて、3個は捨てた。6個のパプリカをオーブンで焼いて薄皮を剥き、マリネ液に漬けたのだが、野菜の薄皮剥きは手先の細やかさを要する作業で、パプリカの量の多さにげんなりした。下働きの板前になった気分だ。おかげで食欲は失せてピザはササッと作り、スープはインスタントのにした。

食後に少し落ち着いた気分でピアフを聴いたが、シャンソンはお酒のグラスを片手に、ほろ酔い加減で聴くのが一番合っているなぁと思った。

2011年8月21日日曜日

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」を観て


久々に映画で感動した。「エディット・ピアフ 愛の賛歌」のDVDを観たのだが、エディット・ピアフの生き方も壮絶なら、主演女優の演技も素晴らしかった。大道芸人の娘が歌の才能ゆえに明るみに引き上げられ、脚光を浴び、批判に曝され、毀誉褒貶のなかを闘い、生き、愛し抜いた、愛に飢えたか弱き女、傲慢で偉大なアーティストの一代記だった。祖母の娼館での幼年時代、大道芸人の父親との旅暮らし、芸を売るか身を売るか、「歌手か娼婦か」というパリの街角の流しの歌手からキャバレーの、コンサートホールの歌手へと変貌し、米国公演も成功し一流の人々と知り合い、フランスへ帰国すれば報道陣のフラッシュを浴びるスターになったが、心から愛し愛された人々との度重なる別離に激しく傷つき、酒と麻薬とロクデナシの男に溺れては身心を破壊させ、歌の力によって甦る「歌に生き、恋に生き」た歌姫の、ステージと人生の軌跡をフラッシュバックさせながら、過去と現在がジクザグに進むストーリー展開も良かった。私は蓮の花の譬えを思い出した。蓮が水底の泥から養分を吸って美しい花を咲かせるように、芸術家は現実の泥沼との苦闘から己の才能を開花させる、というものだ。

このDVDを観たきっかけは、石井好子氏のエッセイだった。先週から続けて3冊、石井氏のエッセイを読んだが、『パリ仕込みお料理ノート』(文春文庫)に、交際のあったシャンソン歌手達のことが記されていて、久し振りにシャンソンが聴きたくなったのだ。
学生時代の一時期はシャンソンをよく聴いていた。宝塚に凝って、タカラジュンヌ達が歌うシャンソンに馴染み、仏文科の学生で、今はなき銀巴里(というシャンソン喫茶)でアルバイトをしていた友人から借りたシャンソンのテープをダビングしては聴いたりしていた。それは銀巴里のライブコンサートや、エディット・ピアフやダミアの歌だった。その時はハイカルチャーの音楽に浸っているつもりだったが、石井氏のエッセイを読んで、「シャンソンって日本の演歌に当たる庶民の歌だったのね」と思った。エンリコ・カルーソーのCDを聴いた時も同じことを思った。彼の歌い方は自由闊達で庶民的で、八代亜紀の歌い方を連想させ、「オペラ歌手って演歌歌手のようなものだったのね」と軽いショックを受けた。日本ではスーパーで売られている資生堂の化粧品が、東南アジアでは高級ブランドになっているそうだが、外国の文化はハイカルチャー的なものになってしまうらしい。

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」を観て、タカラジュンヌ達が歌っていたシャンソンの多くがエディット・ピアフのレパートリーだったことを知った。宝塚に凝っていた時期は、他の芝居や映画にも熱中していた。それは今までの人生で最も重苦しい時期の一つで、現実から一時でも逃れるために劇場や映画館へ通ったのだ。芝居や映画が私の麻薬だった。
シャンソンを聴くと、あの頃の重苦しい気持ちを思い出す。わけても「パダン、パダン」のメロディーは、あの頃の何かに追われるような気持ちそのものだ。当時は歌詞の意味を知らなかったが、いま調べたら、こんな内容だった。

「そのメロディーは昼も夜も私の頭から離れない、私が行く所どこにでもついて来る。いつかそれは私を狂気に陥らせるだろう。いつも私の前に同じように現れ、その声は私の声をかき消す。パダン、パダン、パダン。それは走りながら私の後ろからやって来る。パダン、パダン、パダン……。」

2011年8月8日月曜日

食欲の復活

今日は私が尊敬している方の誕生日だ。今日で50歳-マイケル・ジャクソンが亡くなった歳だ-になられたはずだ。おめでとうございます! という訳で、ケーキを買った。
かように全ての事柄は美味しい物を買う口実になるのである、私の場合。それが先週の水曜日にお腹をこわし、2日ばかり食欲がまるでなかった。昼食を頂きながら夕食の献立を考えているような人間としては、無重力の世界を歩いているような、一種異様で不安定な精神状態だった。
お腹の調子はだんだん良くなり、今日、久し振りに空腹を感じた。食欲の復活! 食欲があり、それを満たすことができるのは素晴らしいことだ。飢えに苦しんだり、口からは物を食べられない病人や高齢者が大勢いることを考えると。

2011年8月3日水曜日

吉幾三の「スリラー」


You Tube に面白い動画があった。「スリラー」のミュージックフィルムに、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」をカバーしたものだ。マイケル・ジャクソンのゾンビダンスと、吉幾三の歌が絶妙にマッチしている。
マイケルのパロディーが多いのは、彼があまりにカッコ良すぎるからだろう。「モナ・リザ」のパロディーが多いのと同じで、あまりに完璧なものや権威的なものに出会って圧倒されると、防衛機能が働いて茶化したくなるものだから。
完璧主義者のマイケルのダンスは歳を経るごとに洗練され、人間というより精巧な機械のような印象を与える。その完璧なダンスと、ゾンビの特殊メイクが醸し出す不気味な緊迫感と、吉幾三のとぼけた歌のミスマッチ、そのくせ歌とダンスが妙に合っている、あまりのバカバカしさに吹き出してしまい、軽い身心の不調なら吹き飛んでしまうだろう。

吉幾三の「スリラー」
http://www.youtube.com/watch?v=PkewAh18eak

舟盛りとジャム


7月30日(土)
昨夕から鴨川に来ている。昨夜は鴨川の花火大会で、海辺のマンションに住んでいる友人夫妻の家からよく見えるので、この季節には時々お邪魔する。ご近所の義兄の家族も招かれ、大人5人と赤ん坊1名、加えて生後2カ月の友人の飼い猫も加わった賑やかな夕餐だった。
友人の義兄夫妻にお目にかかるのは昨年の花火大会以来で、その時は、この友人の甥はまだお母さんのお腹の中にいたのだなぁと思うと、ちょっと不思議な気がした。赤ん坊も仔猫もよく動き回り、花火は美しく、出前の刺身の舟盛り(写真)や岩牡蠣などは美味で、見たり味わったりするのに大忙しだった。
食後に、かりんとまんじゅうを出した。私が「麻布かりんと」で買ったお土産だ。昨日、久しぶりにこの店へ行ったら、かりんとう味のプリンが販売されていた。近所のパン屋では、かりんとドーナツが売られていた。
このパン屋では(かりんとう味でない)普通のバタールを買った。自家製のジャムをお土産にしたので、翌朝、つまり今朝の朝ごはんにするためだ。ジャムに凝り始めると、ジャムを味わうためにパンを買うようになる。
このジャムは、先週末の料理教室で作り方を教わった「夏のジャム」、Confiture d’eteだ。桃、プラム、杏、アメリカンチェリーという初夏の果物を使ったジャムで、赤い色が美しい。
この料理教室は、ふだんはベトナム料理を教えて頂いているan comというキッチンスタジオで開催された。an comの主催者のベトナム料理研究家のご友人にフランス菓子の研究家がいらして、特別企画のレッスンだった。
昨年はけっこうジャム作りを楽しんでいた。と言っても、電子レンジで作る簡易版だけど。鍋で煮詰めた物のようにはとろみは付かず、汁気の多い、ジャムとコンポートの中間のようなジャムだった。生の果物の感触が残っていて、これはこれで美味しいものだ。ちゃんとしたジャムの作り方を教わりたいと漠然と思っていたので、今回のレッスンは楽しみにしていたし、とても役に立った。料理のような手仕事は、本当に「百聞は一見に如かず」である。
このレッスンでは他に、ルバーブのジャムとレアチーズケーキの作り方も教えて頂いた。「夏のジャム」を鴨川の友人への手土産にしようと思っていたので、翌日の日曜日に作ってみた。果物の総重量の半分の砂糖を使うようにと教わったが、砂糖はなるべく控えたいので、30パーセントの量の砂糖で作ってみた。が、これは甘味が足りなかった。そこで、翌日の月曜日の夜に40パーセントの量の砂糖で作り直した。翌朝、味見してみたら、まぁいけたのでお土産に持って来たのだが、今朝、頂いたら、甘味が足りなかった。保存食は日が経つと味が変わるものだなぁ。