2008年11月30日日曜日

サボりの言い訳

  「翻訳のテキストに集中したいので、最近は小説を読んでいなくてストレスが溜まっています」と友人へのメールに書いておきながら、この週末にはクロフツのフレンチ警視物を読んでいました。いかにも翻訳調の生硬な訳だなぁと思って翻訳者の略歴を見たら、他の作家のミステリーシリーズも訳されているベテランでした。どうして編集者が手を入れなかったのかと思う箇所もあり、「好ましくない翻訳の例」を読んだ、ということで、翻訳の課題に当てるべき時間を怠けていた自分への言い訳にしました。

2008年11月23日日曜日

駒場祭へ行く

  今日は、友人Yと駒場祭へ行きました。お目当ては、私がサポーターをしているNPO「かものはしプロジェクト」の学生サークルが出している屋台 Asian Bistro KAMO です。カンボジア風揚げパンの「ノムパンチェン」を売っているというので、どんな物かと楽しみにしていました。小学校の給食で頂いた、砂糖をまぶした揚げコッペパンのような物を想像していたら、塩味でした。作り方をネットで検索したところ、スライスしたバケットに、みじん切りにした人参、春雨、きくらげ、ねぎ等と、豚ミンチと卵を混ぜて練ったものを塗り、油で揚げるそうです。フランスの植民地時代の名残りの、フランスとカンボジアのミックス料理の一つですね。
  Asian Bistro KAMO は正門のすぐそばに出店していたので、駒場祭の第1の目的は早々と済み、あとは屋台の冷やかしと、広いキャンパスの散策を楽しみました。うるさいほどの銀杏の葉が黄金色に色づき、空と地面を金色に染めていました。それで本郷キャンパスを思い出しました。十年ほど前、本郷キャンパスにある東京大学出版会でアルバイトをしていたのですが、本郷にも銀杏が多く、秋は落ち葉で焚き火をしていました。本郷キャンパスの広さにも驚きますが、駒場キャンパスも広かったです。前庭には何棟もの校舎群、裏庭はラグビー、テニス、野球、陸上競技などのグラウンド、茶室などがありました。
  それから、楽天の三木谷浩史氏と、参議院議員兼中央大学客員教授の鈴木寛氏のトークショー「明日が楽しみになる120分」も聴きました。社会で活躍していく際の心構えや、それに備えて学生は今何をしておくべきか、といった内容で、予想以上に考えさせられ、ためになりました。

2008年11月22日土曜日

In The Gloaming ―「薄暮のなかで」私訳Ⅳ

  昨夜はレアード・コーニングの『白い家の少女』を読み返し、今日は、やっとホームズのThe Disappearance of Lady Frances Carfax(「フランシス・カーファックス姫の失踪」)を読み終えました。

  昨日は翻訳講座へ行き、In The Gloaming の翻訳を進めました。今日掲載するのは、11月8日に掲載した箇所の続きですが、一部省略があります。レアードがジャネットへ様々な質問をして親子の会話が弾む場面があるのですが、そこは授業ではカットされました。今日、掲載するのは、翌朝以降の場面からです。講義の日程の都合で、中篇を全部訳すのは難しいので、今後も翻訳を割愛する箇所が出てくると思います。と書きつつ、何人の方がこの連載を読んで下さっているのかギモンですが。

薄暮のなかで Ⅳ

 翌日、レアードがまたむすっとしていた時はジャネットも心配したが、その夜も、それに続く夜も、夕暮れは魔力を発揮した。彼女は戸外のテーブルに夕食を整え、マーティンが書斎の胃袋に飲み込まれてしまうと、彼女とレアードは話し始めるのだった。二人の周りの空気は、互いに知りたい、知って貰おう、として醸し出されるエネルギーに満ちているようだった。他の人達も、これほど誰かと深く関わり合うことがあるのだろうか、と思った。彼女は、誰とも、こんなに深く結び付いたことはなかった。明らかに彼女とマーティンは決して本当には結びついてはいない、魂と魂とでは。友人達に関しては、どんなに忠実で信頼できる相手でも、こちらが相手を遠ざけてしまわないよう、いつも気を遣わねばならなかった。もちろん、友人達には彼女と縁を切るという選択肢があり、マーティンはいつでも離婚を請求できるが、レアードは“囚われの聴衆”のようなものだった。否応もなく相手の話を聞かなければならない。親と子は、お互いに切っても切れぬ縁で結び付けられているのだ。そのわりには、お互いの話を理解する度合いは、驚くほどわずかだ。みんな、注意を払うのを早々と止めてしまい、相手のことはすっかり分かったと思ってしまう。ジャネット自身も、そうした間違いを犯していた。彼女は娘の家へ行き、アンが家の中をこざっぱりと片付けているのを見ると、いまだに驚いていた。彼女にとって、アンはいまだに、セーターはクローゼットの隅に、キャンディーの包み紙はベッドの下へ投げ込む、だらしのないティーンエイジャーだった。レアードが、女の子たちに興味を示さないことにも、まだ驚いていた。彼は女の子に興味があったではないか? ジャネットは、彼の帰りに耳を澄まして、目を覚ましたまま横になり、彼が受けた性教育の知恵を活かして、きちんと避妊してくれたら、と願ったことを思い出した。
 今や、そうした思い込みを払拭するチャンスだった。彼女はレアードのすべてが好きなわけではないし――まだよく分からない面も沢山あるが――何もかも、すっかり知っておきたかった。毎朝、目が覚め、少したってから頭がすっきりしてくると、レアードがふたたび小さくて完璧な赤ん坊になり、今日一日、その成長が楽しみにできるかのように、愛と感謝に胸が疼いているのに気づくのだった。そしてすぐに、二人のたそがれどきが待ち遠しくなる。半ば冗談に、半ば期待を込めて、日刊紙の星占い欄を読む代わりに、日没の時刻を調べるのが新たな習慣となり、夏が衰えるごとに日没が早くなるのを見て、満足を覚えた。それは、たそがれどきまで長く待たなくていい、ということを意味したから。その時間をさらに縮めようとして、朝も遅くまで眠っていた。おかしいのは、自分でもわかっていた。恋にのぼせた女の子のように、馬鹿げた振る舞いをしていた。二度と経験しないだろうと思っていた感情が、今こうして蘇ってきたのだ。ジャネットはその想いに浸り、たそがれどきを待って生きていた。レアードの意識が活発になった印に瞳が輝き始める、そのときために。それから、本当の一日が始まるのだ。
(続く)
 

2008年11月18日火曜日

「ブーリン家の姉妹」を観る

  昨夜、日比谷シャンテシネで「ブーリン家の姉妹」を観ました。ヘンリー八世の寵愛を争ったブーリン家の姉妹のドラマで、一緒に観た友人は楽しんでいたようですが、私には史劇としても、心理ドラマとしても中途半端で、今一つでした。もちろん、中世英国のコスチュームや宮廷の雰囲気は目一杯楽しみましたが。私が感じたのは、国王や権力者って孤独だなぁということです。一人の男性、一人の人間としてヘンリー八世を愛した人っているのでしょうか? 私は結構です。映画ではわりとまともなルックスでしたが、実物のこのルックスであの性格では、とてもたまりません。

2008年11月14日金曜日

今年最後の二木会に出席

  昨夜は、「かものはしプロジェクト」の、今年最後の二木会に参加しました。「かものはし」は、カンボジアの児童買春防止に取り組んでいるNPOです。毎週第二木曜日に、社会人向けの活動説明会兼近況報告兼懇親会があり、今まで懇親会は出ないか、途中で帰っていたのですが、翌日は仕事がないので、昨夜は懇親会に最後まで残り、スタッフや私のようなサポーターとの会話を楽しみました。5ヵ月ぶりに帰国されたカンボジア駐在員のお話などが伺えて、有意義な一夜でした。

2008年11月13日木曜日

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展へ行く

  昨日、ほぼ二月ぶりに美術展へ行きました。国立西洋美術館の「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展です。感銘を受けてその前で立ち尽くすような絵こそなかったものの、久し振りに美術館へ行き、目の保養をしたことで、気づかぬうちに欠けていた心のジグソーパズルの一片がピタッとはまったような、大切な何かを取り戻した気がしました。
  雨天の平日のわりには閲覧者が多く、これで晴天の休日だったらどんなに混んでいたかと思います。日本で知名度が高かったとも思えないのですが、小津安二郎的な静謐でストイックな画風が受けるのでしょうか。
  ハンマースホイは19世紀後半から20世紀始めのデンマークの画家で、画面の静謐さは誰もがフェルメールを連想しますが、フェルメールの温かみはありません。1枚の絵に複数の人物が描かれていても、その人物同士をつなぐ心の輪がなく、てんでばらばらな印象を受け、観ていてあまり幸福な気持ちにはなれません。彼の他者を観る眼差しや、そこから推測される内弁慶らしい内面性が好きになれない私としては、人物のいない一連の室内画が良かったです。一番いいと思ったのは「ゲントフテ湖、天気雨」でした。彼がよく避暑をしたという避暑地の湖に、お天気雨が降っている絵で、空の広がりと灰白色の雲の微妙な色彩、無人の湖畔の木立、雨に打たれて鈍くきらめく湖面に、しばし見入って疲れを休めました。この日は心身ともにやや疲れており、その疲れを癒すべく、静かな絵を観に来たのです。

2008年11月9日日曜日

遅刻魔の誠実さとは?

  2週間ほど前に、自宅のパソコンのスクリーンセーバーの文字を変えました。「知行合一・至誠天に通ず」から「至誠通天」だけにしました。「知行合一」は、尊敬しているX 氏の座右の銘で、スクリーンセーバーに入れておられると聞き、始めはそれを真似していたのです。黒いスクリーンセーバーを横切るピンクの太字の「知行合一」はかなり目を引き、何気なく目にするたびに気が引き締まったものです。
  知っていることや考えたことは実践せよ、という「知行合一」という言葉は、好きな言葉の一つではありますが、私が一番好きなのは「至誠天に通ず」(至誠通天)なので、「知行合一」だけではオリジナリティがなさすぎると思い、後から「知行合一・至誠天に通ず」にして、数ヵ月間そのままにしていました。でも、文字数が多すぎるのですよね。後方の「に通ず」あたりは文字がモザイク状になって、よく読めませんでした。それで思い切って一番好きな言葉だけにしようと、「至誠通天」へ変えました。
  X氏は「知行合一」を地で行っている方ですが、私が「至誠天に通ず」という言葉にこだわるのは、実践できていないからです。なにより誠実な人間でありたいと願いながら、実際は逆のこともよくしてしまう、誠実さの花壇の周りに、いつも芽を出そうと待ち構えている不誠実の雑草と闘っている気がします。おそらく誰の心にも潜んでいる不誠実さ、ずるさは、『星の王子さま』のバオバブの木のようなものではないでしょうか。バオバブはあまり大きくなるともう引き抜けないし、数が多くなりすぎると星を破裂させてしまいます。ロス疑惑の三浦和義氏の最期や、小室哲哉氏の詐欺事件は、たとえ社会的には成功していたとしても、身近な人々や物事に対する不誠実さが積もり積もった結果はああなるのだという教訓として、私の目には映ります。だからこそ、自他の誠実さというものは、どんな些細なものであれ大切にしなければならない、そして真に誠実な心で願った誠実な目標は、いつかは必ず実現されるだろう、という自戒と期待を込めて「至誠通天」をスクリーンセーバーに入れたのですが・・・・・・これを読んだ私の身近な人たちは、どう思っておられることでしょう?(皆さん、待ち合わせにしょっちゅう遅れてごめんなさい。)

2008年11月8日土曜日

『バーネット探偵社』を読み返して

  思うように英語が上達しないため、このところ英語に食傷気味で、英語やその翻訳物以外の作品を読むのが気楽で、楽しく感じます。そこで中学校以来、久しぶりに『バーネット探偵社―ルパン傑作集〈7〉』 (新潮文庫)を読みました。アルセーヌ・ルパンがジム・バーネットと名乗って調査費無料の探偵事務所を開き、事件を解決すると同時に、金持ちや後ろ暗いところのある人物からピンハネをする、というミステリー短編集です。中学生時代はルパン・ファンの友人と、ホームズ・ファンの私とで中傷合戦をしたものですが、この本を初めて読んだのは、この友人から借りてでした。
  今回、読み返して、大まかにでも覚えていたのは「したたる水滴」と「偶然が奇跡を作る」の二編でした。前者は、財産目当てに結婚した妻への夫の復讐を、ルパンが逆手に取って素晴らしい宝石を手に入れ、後者は気位の高い伯爵令嬢が、加害者から贈られた小切手を破るのを見越して、予め期限の切れた小切手と掏り替え、十万フランを懐に入れるという結末です。心理的な推理という面でも、恋愛沙汰が飛び交っている点でも、フランス的なミステリーです。
  中学生の時、気が付かなかったのは、フォリー・ベルジェール座の話が出ていたことでした。モーパッサンの『ベラミ』にも出てくる、有名なミュージック・ホールです。「白手袋・・・・・・白いゲートル」で、フォリー・ベルジェールのアクロバット歌手とルパンは恋に落ち、事件解決後、二人は旅にでます。旅行中、ルパンは事務所にこんな貼り紙をしておきます。
  「恋愛中につき休業。蜜月後再開。」

In The Gloaming―「薄暮のなかで」私訳Ⅲ

  昨日、1ヵ月ぶりに翻訳学校へ行きました。通常は隔週の金曜日に講義があるのですが、先生のご都合で1回休講となったので、前回から4週間ぶりの講義になりました。校舎も、先生も、私たち受講生も、格段に変わりはありませんでしたが、少しばかり懐かしい気がしました。
  以下は、講義で翻訳中の In The Gloaming の私訳の続きです。前回分は10月10日に掲載しました。

薄暮のなかで Ⅲ

 彼は微笑し、物問いたげに彼女を見た。
「母さんは、一日が終わるのが切ないんじゃないかって、いつも思ってたけど、そうじゃなくて、夏の夜のスコットランドのハイランドみたいに、あたりが紫の光に包まれる、美しいひとときなんだって、言ってたね」
「そうよ。地面がみんなヒースに覆われたみたいで」
「スコットランドに行けなくて、残念だった」と彼は言った。
「それでもスコットランドの男よ、おまえはね。少なくとも、私のほうの血筋では」と彼女は言った。スコットランドへ行かないかと誘ったことがあったが、彼は興味を示さなかったのだ。その時はもう大学生で、自分のしたい事ははっきりしていて、それはジャネットのとはまったく違っていたのだ。「たそがれ(グロウミング)の話をした時のことを覚えているなんて、驚いた。おまえは、七歳ぐらいだったはずだもの」
「最近は、いろんなことを思い出す」
「そう?」
「とても小さかった時のことばかりだけど。母さんに、また世話してもらっているからじゃないかな。たまに目を覚まして母さんの顔を見ると、ベビーベッドをのぞきこんでいた母さんを思い出せそうな気がするんだ。そのとき着ていた服まで」
「あら、まあ!」ジャネットは朗らかに笑った。
「いつも、とってもいい顔をしてたよ」と彼は言った。
 思いがけない言葉に、彼女は驚いた。そして思い出した――レアードのベビーベッドにかがみ込んだら、自分が赤ん坊の頃、母親の顔を見上げたことを、突然思い出したのを。「おまえの言うこと、分かるわ」
「そう、分かってくれるよね?」
 彼は、ジャネットがドキリとするほど、じっと彼女を見た。思わず片足を振り子のようにブラブラ振っていたのにジャネットは気づいて、止めた。
「ママ。しておかなきゃいけないことがまだ幾つかあるんだ。例えば、遺言状を書くとか」
 ジャネットの心臓は止まりそうになった。彼の前ではいつも、彼が良くなるようなことを言っていたのだ。他の可能性について話し合う自信はなかった。
「ありがとう」彼は言った。
「なんで?」
「そんなことするにはまだ時間がたっぷりあるじゃない、とか、その手の気休めを言わないでいてくれて」
「ありきたりなことを言いたくなかっただけよ、時間がないと思っているわけじゃないわ」
「まだまだ先のことだと思う?」
 彼女はためらった。それに気づいて、彼は少し身を乗り出した。「時間はたっぷりあると思うわ」と彼女は言った。
「おれが健康でも、遺言状を作っておくっていうのはいい考えだろう?」
「そうね」
「手遅れになる前にやっておきたいんだ。母さんだって、おれが突然、看護師たちに何もかも遺すなんてことして欲しくないだろう?」
 ジャネットは声を立てて笑った、彼の冗談がまた聞けて嬉しかった。「分かった、分かった。弁護士に電話するわ」
(続く)

2008年11月5日水曜日

オバマ氏の勝利に思う

  今日、バラック・オバマ氏が第44代米大統領に決定しました。その熱狂ぶりをラジオで聴き、マリー・アントアネットとルイ16世が王位継承した時も、こんなふうではなかったかと思いました。ルイ14世と15世の政権下で、戦争と宮廷の奢侈に苦しんでいた民衆が、清楚なイメージの十代の新国王夫妻の誕生に心を洗われ、「これで世の中は良くなるだろう」と期待したのも分かる気がします。
  私は政治的にはマイノリティーの支持者なので、ライス米国務長官のファンですし、ヒラリー・クリントン氏とバラック・オバマ氏の大統領指名候補戦では、二人とも支持していました。どちらかと言えばヒラリー派でしたが。とはいえ、初の黒人大統領の誕生は嬉しいです。オバマ氏の大統領就任は来年ですし、米国のような超大国では国家元首一人が替わったからと言って状況が急に改善するわけではありませんが、それでも海外派兵の縮小や、既に身近に感じられる金融危機の逼迫感が緩和され、景気が回復することに期待をかけずにはおれません。

2008年11月2日日曜日

まとまりのない週末

  昨日、友人Eが順天堂医院を退院しました。私が思っていたより重症で、手術の翌日は本当にぐったりしていましたが、日ごとに顔色が良くなっていき、無事、退院できたので安心しました。昼に退院して、医院内のレストランで昼食をとり、東京駅までお見送りをしました。すっかり回復したわけではないEは、東京駅の構内を休み休み進みました。健康の有難さや、看護師の仕事の大変さを実感した1週間でした。

  Eを見送ってから飯田橋へ戻り、友人Pとトルコ料理店へ行きました。四十ヵ国ぐらい旅行したという方で、最近、コロンビアとペルー旅行から帰ったところです。コロンビアは首都ボゴタにだけ行ったとのことですが、思っていたより安全だったそうです。そんな旅の話を肴にトルコ料理と、トルコ人らしい若いダンサーのベリーダンスを楽しみ・・・・・・なんだか、まとまりのない一日でした。

  今日はホームズの「ブルース・パーティントン設計図」の原書を読み終え、ついでにそのDVD版も観ました。国家機密のブルース・パーティントン型潜水艦の設計図が兵器工場から盗まれ、その設計図の一部をポケットに入れた兵器工場の職員の死体が発見され、殺人者は誰か、設計図を盗んだのは誰か、その行方は?という国家問題を、シャーロックの兄マイクロフトが依頼するのです。ラストシーンは、原作よりDVD版のほうが気持ち良かったです。ワトスンも活躍したにも関わらず、原作ではホームズだけがウインザー城に招かれて女王から贈り物を賜るのですが、DVD版では、ホームズとワトスンとマイクロフトが、設計図を買い取ったスパイが逮捕されるのを見守った後で、マイクロフトが「Rの付く月だから、クラブで牡蠣をごちそうしよう」と2人に言うのです。

  今はサラ・ウォーターズの『半身』 (創元推理文庫)を読み返しています。ヴィクトリア朝時代のロンドンの監獄を舞台にしたミステリーです。レズビアニズムの気配の濃厚さが、レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』を想わせます。老嬢になりかけた貴婦人マーガレットが監獄への慰問を続けるうちに、一人の可憐な女囚シライナに惹かれていきます。彼女は霊媒で、投獄前の霊媒の暮らしぶりを綴る彼女の日記と、マーガレットの日記とで物語は交互に語られていき、最後のドンデン返しにはアッと言わされます。これはブッカー賞の最終候補作品になりました。

2008年10月25日土曜日

ドクターは早起き鳥

  今日、順天堂大学医学部附属順天堂医院へ入院した、友人Eのお見舞いに行って来ました。手術は翌月曜の朝8時半からということで、前の夜、ということは明日の晩から泊り込むことにしました。これから、その支度ですが、ちょっとした修学旅行気分です。
  大きな病院やホテルへ行くといつも感じるのですが、まるで一つの町ですね。順天堂医院にもシャワー室やコインランドリーを始め、売店やレストラン、ヘアサロン、花屋、スターバックスがあり、Eの入った個室は私の部屋より立派です。変化を求めなければ、敷地を一歩も出ずに一生暮らしていけそうな勢いです――経済力さえあれば。
  帰りに、Eがペリカンの万年筆を買ったという、丸善お茶の水店へ寄りました。厳選された文具専門の、こぢんまりした店舗でした。
  
  ところで、ドクター達の早起きの理由が分かりました。私は医薬系の編集経験が長いのですが、10時スタートの出版社で、出勤直後の珈琲で目を覚ましていたら、「今朝出したメールはもう読みましたか」と、執筆者の医師から電話を頂いたことがあります。メールの送信時刻を見たら、8時半頃でした。それ以来、「ドクターは早起き鳥で、せっかち」だと思って来ましたが、高度な外科手術を朝8時半から始めている方達って、そりゃ早起きになりますね。

2008年10月19日日曜日

週末に

  昨日はお買い物デーでした。と言っても、買い物のために上京した友人に付き合って銀座を回ったのですが。その合間合間に、私も服や靴をウインドーショッピングし、帰り道の東京駅で丸善本店に寄り、来年の手帳を買いました。「早すぎない?」と友人から言われましたが、昨年は買うのが遅かったので、その反動です。

  今週は田坂広志著『仕事の思想―なぜ我々は働くのか』 (PHP文庫)を読み終えました。また "Sherlock Holmes: The Complete Novels and Stories" Volume Ⅱ (Sherlock Holmes)を買い、まず 'The Adventure of the Dying Detective' (瀕死の探偵)を読み終えました。ついでに、グラナダテレビ版の「瀕死の探偵」のDVDも観ました。

2008年10月13日月曜日

Novalis

I went to the library to return a book and CDs, and borrowed "The Blue Flowers" by Novalis and Beicho's Rakugo CD. I've wanted to read this novel for a long time, so I'm enjoying it now.

2008年10月11日土曜日

Sherlock Holmes' Day

At last, I've finished "The Return of Sherlock Holmes" (Penguin Longman Penguin Readers) this afternoon. It took around a year! My favourite stories in the book are that 'The Empty House', 'The Norwood Builder', and 'The Six Napoleons' .

And I watched DVDs of 'The Dying Detective', 'The Illustrious client', and 'The Last Vampyre'. The original title of the last one is 'The Adventure of the Sussex Vampire', and was remaked as a feature TV drama. I think it's occasional flop.

2008年10月10日金曜日

In the Gloaming―薄暮のなかで 私訳Ⅱ

  9月13日に掲載した、アリス・エリオット・ダークの In the Gloaming の私訳の続きを以下に掲載します。第1回では題を「暮れなずむ薄暮のなかで」と訳しましたが、翻訳の先生から「薄暮が暮れる」という言い方はおかしいのでは、と指摘されましたので、「薄暮のなかで」と改題しました。

「薄暮のなかで」 私訳Ⅱ

  それはその夏、初めて外のテラスで夕食を取った日暮れのことだった。食後に、マーティン――レアードの父親――は、電話をかけに席を立ったが、ジャネットはテーブルを片付ける前に籐の椅子に残り、一休みしていた。煙草が恋しくなるようなひと時だった。風がそよとも吹かない、こんな日暮れ時には、子ども達に、十八番の煙草の輪を作ってやったものだ。彼らの言う通りに、一つの輪の中をもう一つの輪がくぐり抜けるようにしてみせたり、三つの輪を続けざまに並べてみせたり、空まで昇って行きそうな、大きな縄のような輪を作ってやったりした。せがまれる通りに、飽きるまでそうしてやったが、やめていいと言われるまで、煙草を四分の一箱も吸うこともあった。意外にも、アンもレアードも、煙草を吸うようにはならなかった。それどころか、煙草は止めてと、ジャネットに口やかましく言い、ついに止めた時は二人とも喜んだ。それをほんの少しは残念に思ってくれたら、と彼女は思った。それはつまり、彼らの子ども時代の一部が終わったということなのだから。
  いつもの癖で、ジャネットは最初の蛍――一番星に気がついた。芝生は暗くなり、一日中むっつりしていた花々は突然、芳香を放ち始めた。彼女は籐椅子の背に頭をもたせかけて、目を閉じた。やがてレアードの息遣いを耳で追い始め、いつの間にか彼の生命のリズムに合わせて呼吸をしていた。そうして彼のそばにいると、とても心が安らいだ。一体、何人の母親が三十三歳の息子と、こんなゆったりしたひと時を過ごせるだろう? 彼が赤ん坊だった頃と同じぐらい、多くの時間を共にしている。いや、ある意味では、もっとかもしれない。成長期の思い出が、彼への想いを深くしていた。こうして二人で静かに座っていると、かつてのようにレアードを身近に感じた。彼はまだ、衰えてゆく肉体の中にいる。彼がまだここにいる、そのひと時を楽しんでいた。
  「たそがれどき(グロウミング)」突然、彼が言った。
  彼女は夢見心地にぼんやりとうなづいてから、背をしゃんと起こし、レアードの方を見た。「なに?」と訊ねはしたが、ちゃんと聞こえていた。
  「ガキのころ、母さんがおれを、はめ殺し窓の所へ連れて行って外を見せてくれて、スコットランドじゃ、今時分を『たそがれ(グロウミング)』っていうんだって、言ったんだよ」
  ジャネットのはだが、ぞくりした。彼がまた話し出したことを、あまり大げさに考えないようにと戒めて、小さく咳払いをした。「それを、おまえは『憂鬱(グルーミー)』って言ったんだと思ったのよ」
(続く)

2008年10月4日土曜日

タピオカ日和

  今日はタピオカ日和でした。
  今日、明日と、日比谷公園で開催中の「グローバルフェスタ JAPAN 2008」へ出展している、「かものはしプロジェクト」の手伝いをしています。以前にも書きましたが、「かものはし」はカンボジアの児童買春根絶の運動をしているNPOです。
  グローバルフェスタは、「かものはし」のような国際協力活動をしている諸団体――NPOやNGO、国際機関、各国の大使館、外務省、協賛企業などが一堂に会して活動報告をしたり、展示即売、ワークショップ、コンサートなどをする、年に一度のお祭りです。
  「かものはし」は①活動内容の展示と、カンボジアのコミュニティファクトリー(民芸品工房)で製作した藺草製品の展示販売、②飲食物の販売を行い、私の担当は後者でした。せっせとタピオカドリンクの製造と販売をしたわけですが、主なメニューはタピオカ入りの①ミルクティー、②ココア(写真右後ろ)、③3種類のジュースをブレンドしたオリジナルドリンク(写真左手前)でした。最近には珍しいほどの暑さのおかげか、冷たいタピオカドリンクは予想外に売れました。暑さが厳しくなると、あっさりした味のオリジナルドリンクがよく出て、少し陽が翳ってしのぎやすくなすると、甘口のミルクティーとココアがよく出ました。途中で原材料の氷やミルクティーを買い足しに行ったり、オリジナルドリンクを何度もブレンドしたりとテンヤワンヤでしたが、午後5時閉店の予定が、3時で完売でした。売上金で、コミュニティファクトリーや従業員の必需品を贈ります。今日は、売上目標を楽に突破できました。
  この出展は、「ゆるかも」という「かものはしプロジェクト」の学生サークル部門が運営していますが、学生時代にこれといったサークル活動をしてこなかった私には、学園祭の模擬店の楽しい疑似体験になりました。

  「かものはし」のサポーターになって良かったなぁと思うことは多々ありますが、そのうちの一つは、ふつうの学生生活をエンジョイできなかったため空白になっていた部分が、今回のように疑似体験をする機会に恵まれて消化され、「学生気質」や「子どもっぽさ」を脱皮して精神年齢が上がり、実年齢に近づいていくように思えることです。
  それ以上に素晴らしいのは、もはや実現不可能な夢の一端を叶えてくれる点です。私も少女時代は人並みに偉人伝を読み、「世の役に立つ」大人になろうと思っていたはずが、実際はむしろ逆の存在になっている気がします。少女時代の初志通りの人生を歩んでいたら、自治医科大学を卒業し、過疎地域で修行を積んだ後、国境なき医師団へ入って、アフリカあたりで医療活動に従事しながら、時間を見つけてこのブログを書いているはず、なのですが。

2008年10月1日水曜日

丸善「本の図書館」へ行く

  今日から10月ですね。昨日は、健康診断やその他の用事のために仕事を休みました。所用をすっかり済ませた夕方、丸善丸の内本店へ行き、ここの「本の図書館」へ初めて入館しました。出版や書籍に関する資料を収集している、こぢんまりとした専門図書館です。午後7時には閉館するので、仕事のある日は利用できなかったのです。
  それから「週刊ダイヤモンド」のような経済誌をたっぷりと立ち読みし、依藤道夫著『イギリス小説の誕生』(南雲堂)を買いました。英文学史をきちんと知っておかなくては、と以前から思っていたものですから。

2008年9月28日日曜日

Look Back at This Week

It's finally looking like autumn. So I'd the foot heater last night. I slightly envy a friend who left for Colombia this weekend.

I've finished The Priory School was included "The Return of Sherlock Holmes" (Penguin Longman Penguin Readers) last night. I've read almost all works were included it except The Missing Three-Quarter.
And I've listened to Der Rosenkavalier (The Knight of the Rose)'s CDs since the middle of this week.

2008年9月27日土曜日

灯ともしごろ


  「灯ともしごろ」という言葉の意味を実感したのは、つい最近です。間接照明代わりにも使っていた、卓上電気スタンドが壊れて以来数ヵ月、修理に出すのをほったらかしにしていたため、フレグランス・キャンドルを実用にも使っていました。戸外が薄暗くなって来た時、あたりを柔らかに照らすキャンドルの灯や、グレープフルーツのほろ苦い残り香を楽しみたくて、休日の日暮れ時になると「そろそろ、キャンドルに灯を点してもいい頃だな」と思ってきました。
  電気スタンドは修理が済んで、今日、戻って来ました。久々に使うと、蛍光灯の実用的な明るさを有り難く感じます。特にブログを書く時は。
  ちなみにスタンドの修理代より、約60時間持つというイタリア製のフレグランス・キャンドルの方が高価でした。

2008年9月24日水曜日

イタリアン・ダイニング「ヴゥンタリオ」へ


  「ヴゥンタリオ」でお昼を頂きました。日本橋三井タワー内にある、マンダリン・オリエンタル・ホテルが経営するイタリアン・ダイニングです。昨年末の、三井記念美術館からの帰りに、ここ知りました。2階まで吹き抜けのロビーの中の、2階のガラス張りのアトリウムで、背の高い竹が配置されて、温室を想わせる、ル・コルビュジエか安藤忠雄風のインテリアです。いつか、せめてランチを、と思っていたら、今日、午前中に三井タワーへ行く用事がありましたので、用事を済ませた後、早めのお昼にしました。ランチはバイキングが売り物ですが、ディナー並みのお値段だったので、つつましくパスタにしました。コンキリエという巻貝の形をしたパスタの、モッツァレッラチーズとトマトのソース添えでした。ちなみに「コンキリエ(conchiglie)」は、「貝殻(conchiglia)」という意味のイタリア語の複数形です。たったいま、調べたのですが。

2008年9月23日火曜日

クワスはどこへ?

  またも、クワスに振られました。7月4日のブログで書きましたが、クワスはライ麦と麦芽で作るロシアの醗酵性清涼飲料です。昨夜行った「ミンスクの台所」というべラルーシ・レストランでは、以前はメニューに載っていたのに、今はもうありません。そこで、代わりに「バルチカ No.8」という,小麦のビールを注文しました。白ビールと言うだけに通常の大麦のビールより淡い黄金色で、泡立ちも繊細で滑らかで、飲みやすかったです。
  これはこれでいい味の経験になりましたが
、7月のウクライナ大使館のパーティーでもクワスにお目にかかれず、クワスがメニューにありそうなグルジアワインのレストランへ行く友人との約束も、直前に流れてしまい・・・・・・いつになったらクラスをいただけるのでしょう?

2008年9月20日土曜日

ブリティシュ・カンウンシルの夏学期、終了!

  ブリティシュ・カンウンシルの夏学期を、今日、終えました。これで中級コースは修了、次回から上級クラスです! 記念に、飯田橋のブックオフで、ハードカバーの Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English (Dictionary)を買いました。なかなか使い勝手がよさそうです。ついでに、田坂広志氏の『仕事の思想――なぜ我々は働くのか』(PHP文庫)も買いました。昨年から読みたかったもので。

  ところで、ブリティシュ・カンウンシルの帰りがけに、ロビーでKさんにお会いしました。英国大使館のバーベーキュー・パーティーで知り合った方です。私以上の英国マニアのようで、メールアドレスを交換しました。ブリティシュ・カンウンシルの魅力の一つは、同志――英国びいきの日本人や、日本びいきの英国人と出会える点です。

2008年9月16日火曜日

王妃の水

  「サンタ・マリア・ノヴェッラ」を買いました。同名のフィレンツェの薬局の、オーデコロンです。16世紀に、カテリーナ・ディ・メディチのために調合された、「王妃の水」と呼ばれる定番商品です。何種類か試したコロンの中で一番これがいいと思ったのは、主成分のベルガモットのせいでしょう。ほとんど切らしたことのないアールグレイの香りの、主成分ですから。
  サンタ・マリア・ノヴェッラを知ったのは6年ほど前で、その時から、この店のオーデコロンに憧れていました。

  そんなふうに最近は、何ヵ月、何年と先延ばしにしきた事柄を、少しずつ実現化しつつあります。たとえば次のようなことです。
  1. まず、ブログを始めました。
  2. 二木会[にもくかい]へ参加しました。6月に入会した「かものはしプロジェクト」の、活動説明会・近況報告・懇親会です。カンボジアの児童買春根絶に取り組んでいるNPOで、スタッフや最新の現地情報についてもっと知りたくて、毎月第二木曜日に催されるこの会に出席しようと思いつつ、今月まで延び延びになっていました。
  3. 翻訳支援ソフト Trados の講習会へ、参加を申し込みました。
  4. 英国大使館ヘ行きました。
  5. ディズニーシーヘ行きました。
  6. アルク翻訳大賞や、翻訳者の会「アメリア」の定例トライアルなどへ応募をしました。
  7. ジェームス・スキナー氏の「成功の9ステップ・オーディオ・コース」を買いました。
  8. ホームズのテレビドラマ・シリーズ、シャーロック・ホームズの冒険 完全版 DVD-BOXを買いました。
  9. 「サンタ・マリア・ノヴェッラ」を買いました。

2008年9月13日土曜日

In the Gloaming ―暮れなずむ薄暮のなかで 私訳Ⅰ

  Bunkamura ザ・ミュージアムの「ジョン・エヴァレット・ミレイ」展へ行きました。お目当ては、左の「月、まさにのぼりぬ、されどいまだ夜ならず」です。
  いま翻訳学校で In the Gloaming という作品を訳しているんだけど、とスコットランドの友人へ言ったら、この絵を推薦してくれました。黄昏時を指すスコットランド特有の Gloaming という言葉の感じが解かりますよ、と。そこで数々の名画は後回しにして、真っ先にこの絵を観ました。ミレイの別荘があったスコットランドのバースの、夕暮れの風景で、題名はバイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』の第4歌から取ったものです。

  今、机の前に掛けてあるこの絵の絵葉書を眺めつつ、In the Gloaming の不治の病で死にゆく息子と、母親の対話を想うと、「死の朧月は出でつ、生の薄暮に」という言葉が思い浮かびます。これは、対話の物語ではないでしょうか――息子と母親の、死に行く者と遺される者の、その家族の外面と内面の生活の、黄昏と夜の――あらゆるものの境目で交わされる対話の物語です。ですから題名は、「すべてが暮れなずむ薄明のなかで」が相応しいと思いますが、長過ぎますね。というわけで「暮れなずむ薄暮のなかで」としておきました。翻訳はまだ公には刊行されていないはずですので、授業ごとに訳した箇所からブログに掲載していこうと思います。

In the Gloaming: Stories 

「暮れなずむ薄暮のなかで」 アリス・エリオット・ダーク著
私訳Ⅰ

  突然、息子がまた話をしたがるようになった。日中はまだじっと考えこみ、この夏の暑い最中に毛布にくるまって、車椅子という特等席から仏頂面でプールを眺めている。だが夕方には、レアードは、だいぶ本来の彼らしくなった――すっかり元通りの、昔の彼のように。レアードは素直になった。まだ、皮肉や気の利いた警句で幾重にも武装するようになる前の、子どもの頃のように。驚くほどの率直さで、彼女と話すようになった。そんな話し方をする人は、他には知らない――少なくとも、男性では。彼が寝ついてから、ジャネットは二人の会話を振り返って、あの時こう言えば良かった、と気づくのだろう。自分がおおむね率直で誠実だと思われているのを知ってはいたが、それは自己表現が上手かったからというより、聴き上手であろうと心がけてきたからだ。息子の話についていくのは大変だったが、今までの人生でずっと、ジャネットはそうできたらと願って来たのだ。
  レアードは、ひと月ほど前、ニューヨークから電車で来た見舞客の、特に長く、うんざりした滞在の後で、新しい方針を宣言した。見舞客お断り、電話の見舞いもお断り、というものだ。ジャネットは、別段とがめなかった。しばらくレアードと会っていなかった人たちはたいてい彼の様子にひどく驚いて、涙ぐむ人さえいるので、彼のほうが相手を元気づけ、慰めなければならないはめになる。そうした会話の断片を、ジャネットは幾度か小耳にはさんで来たから。例の最後の見舞客も、他の連中と似たり寄ったりだったが、レアードはもううんざりしてしまったようだ。自分は、見舞客が元気づけられ、感心して首を振りながら帰っていけるような、気丈な人間には生まれ付いていない、と再三言っていた。仲間うちでは一番のハンサムで通ってきたし、そうでなくなってしまったことをとても残念がっている、褒められた患者ではないのだ、と。彼はすっか嫌気が差したらしく、沈黙の壁を張り巡らして閉じ籠り、数週間も、苦行のような習慣にせっせと励んでいた。
  それから、態度を和らげ始めた。また話をしたがるようになったのだ、それもジャネットと。

2008年9月7日日曜日

2008年9月6日土曜日

彼はゲイではない、私は彫り物をしていない―今のところは

 ブリティシュ・カンウンシルの課題で、部下Carlが腕に彫り物をしたのを知ったMarinaが、勤務時間中はそれを覆うように警告しましたが断られて・・・・・・という話の続きをゴシップ誌調で書くように、といのがありました。下記がその全文ですが、これを読んだ講師アンディから「君は、彫り物をしているの?」と訊かれました。そうでないからこそ、「彫り物をして何が悪い?」という擁護論を面白おかしく書けたのですが。

 私は私で「アンディってゲイ?」と密かに思っていました。先週も、「ホームズとワトスンは長年の同居人で、友人でもあるのに――」と言いかけたら、「それに恋人同士だし」と突っ込みを入れられました。この類の冗談がやや多いように感じていたので、彼は①完全なノーマルであるため、安全圏からゲイを茶化している、②ゲイ(またはバイセクシャル)であることを暗に告白している、のどちらだろうと(次の米国大統領は、日本の総理は誰か、と真剣に考えるべきことは沢山あったにもかからわず)迷っていました。
 今日、彼の同僚に尋ねたら、今年だか昨年に、日本人とご結婚されたとのことでした。


TATTOOER'S NEEDLE CHANGES
A TALENTED YOUNG LIFE

MARINA EPSTEIN, WHO IS A CAREER WOWAN IN HER LATE-FORTIES, WORKS FOR A MEDIUM-SIZED AD AGENCY. SHE HAD BEEN SATISFIED WITH HER JOB AS A MANAGER AND HER STAFF, YET ONE DAY, ONE OF HER STAFF, CARL ZOLA , GOT A TATTOO ON HIS ARM.


'I was horrified when I looked at the tattoo on Carl's arm,' she said. 'What's more, he made no effort to hide it. I doubted his common sense! Naturally, I told him to keep it covered up during working hours. But the lad refused!'

'It's a matter of taste not sense,' said Carl Zola, age twenty-eight, who is a talented ad designer. He had been the pride of the office because he had won several ad design awards during the past few years. 'I got this tattoo in Japan during the summer holiday. There are people who got full-body tattoos there. They are super cool! My armlet is like a joke compared with them. Why did I get the tattoo, if I have to cover it?'

Marina sent Carl a warning letter. 'I wrote that unless you agree to cover the tattoo, you will lose your job.' But Carl also refused to cover it up. 'Unfortunately, I had to fire him,' she said, 'I admire Carl for his talent, but our clients include bankers and brokers. What would they say, if they see Carl's tattoo?'

Readers will not be surprised to hear that Carl went to Japan to study tattoos after leaving the office. And now, he works as an apprentice for a famous tattoo artist in Tokyo. It is said that he's studying Japanese ladies in depth as well.


2008年9月1日月曜日

UK-JAPAN 2008 の公認ブロガーに

 今日はいいことが幾つかありました。そのうちの一つは、仲違い、というほどではありませんが、前にお会いした時に口論になりかけ、一月ほど連絡が途絶えていた友人から、電話があったことです。ディズニーシーのお土産を送ったお礼の電話ですが、久し振りに話が弾みました。

 それから、「UK-JAPAN 2008」の公認ブロガーになりました。左がそのロゴです。UK-JAPAN 2008 公認の、英国文化を紹介するイベントや、それへの参加体験をブログで紹介し、日本と英国の架け橋のサポーターになりましょう、という主旨です。米粒を口にしない日はあっても英国について考えない日はない私にとってはお安い御用で、昨日申請し、本日、公認されました。ご興味のある方は、UK-JAPAN 2008 公式サイトへどうぞ。

 素敵な日傘を買ったばかりなのに、外では鈴虫が・・・・・・と思っていたら、福田総理の突然の辞任が報道されました。小泉内閣の官房長官を辞任された折も、権力への恬淡とした態度と潔さに感服しましたが、二世議員はスマートと言うか、親の世代のように何が何でも政権の座に、という固執は伺えないようですね。「最近の若い者は」と言っている世代自体が、バイタリティを失っているようです。
 一方、今晩、FENで聞いた、マケイン上院議員の副大統領候補、サラ・ルイーズ・ペイリン知事の応援演説は、「女性」政治家という枠を超えた堂々たるものでした。内容の詳細までは聴き取れませんでしたが、性別や人種を超えた「真の政治家」の演説、として私の耳には響きました。

2008年8月31日日曜日

英国大使館へ

 昨夜は英国大使館へ行きました。ブリティシュ・カンウンシルと大使館のフットサルチームの対戦と、バーベキュー大会があったので。バーベキューの方だけ参加したのは、試合の時間が英語のレッスンと重なっていたためで、私がフットサルのルールを知らないこととは無関係です。レッスン終了後、クラスメイト3人と共にタクシーで大使館へ乗り着けました。
 小雨のなか、テラスで供されたバーベキューはわりと美味しかったです。ことにインド風チキンが。私たちの講師アンディが担当した福引の賞品には、シャンパンや現金もありました。籤運が悪い私は籤を買いませんでしたが、クラスメイトの一人は賞品を当てました。ワールドカップのイングランドチームの、ミニチュアか幼児用の制服です。
 
 たしか小学生の時、美しいという英国大使館の薔薇園を朝のニュース番組で観て以来、憧れを募らせていた場所へ30年後に訪れたわけですが、その正直な感想は、スタンダールの『赤と黒』が代弁してくれます。
 「貴族階級のサロンというものは、いまそこから帰って来たといって人に自慢するには楽しいけれど、ただそれっきりのものだ。」(第11章、鈴木力衛訳、日本ブック・クラブ刊)
  
 写真は、テラスの階段から見下ろした日本庭園です。背の高い生垣の縁の、マゼンダ色の夕暮れが次第に濃くなっていくのを、黒ビールを片手にぼんやり眺めたのは贅沢な時間でした。なんのかんのと言って、8月の忘れ難い締めくくりになりました。

2008年8月24日日曜日

Tokyo Disney Sea!

At last, I went to Tokyo Disney Sea for the first time! I attended seven attractions or shows, and 'Journey to the Center of the Earth' is the best one there. It's a roller coaster which reflecting the image of Journey to the Center of the Earth. I and my friend, who are two middle-aged ladies, excited on it!

I saw Maruzen Maihama Ikspiari branch on my way back from Disney Sea.

2008年8月22日金曜日

今週のお買い物


 お盆を過ぎたら、急に日差しが穏やかになってきました。けれど蝉は相変わらずやかましく、空は青く、入道雲が幅を利かせている、それに気づくたびに、盛夏のさなかに忍び寄る夏の死と秋の気配を、毎年感じます。
 とは言えまだ日ざしは強いので、水曜に日傘を買いました。綿とポリエステル混紡の白地に紫、青、白、緑のステッチ刺繍の小花が散っているデザインで、色彩的にドームの菫を連想していたら、「勿忘草です」と三越の店員に言われました。
 この傘は中国製ですが、この頃、デザインがステキで値段が手頃な雑貨って、ほとんど中国製のようです。モネの絵をプリントしたお気に入り雨傘も中国製です。雨傘のデザインは、おそらく上の「ウォータール橋」を基にした物で、テームズ川にかかる鉄橋が鈍く金色に輝いてレースのように傘を縁取り、傘の中心は混沌とした紫の朝靄で、雨の日に傘の中から模様を透かし見ると、心が浮き立ちます。
 この2本の傘のおかげで、雨の日も晴れの日も外出が楽しくなりました。

 今日はネットで買った「成功の9ステップ」のCDセットが届きました。一種の自己啓発CDです。成功コンサルタントこと、ジェームズ・スキナー氏、経営コンサルタントや、自己啓発セミナーを通して、会社の経営や個々人の人生を成功に導こう、という活動をされている方が、年に数回開催されるセミナーのオーディオ版です。数年前から興味があり、セミナーの事前説明会に参加し、頂いた小冊子を繰り返し読んでは勇気づけられていました。ジェームズいわく、成功するには次の9ステップをマスターしなければならないそうです。
  1. 今後、何をするか、何をしないかを決断する
  2. その目標実現のための学習方法をマスターする
  3. エネルギー=健康維持の管理方法をマスターする
  4. 感情のコントロール方法を学ぶ
  5. 目的をより明確にする
  6. 計画を明確化し、時間の無駄をなくす
  7. 目標へ向けて行動を起こす
  8. 1~7で望む結果が得られなければ、改善策を考える
  9. 自分の夢の実現に他人の協力を得るために、リーダーシップを発揮する。
  小冊子では「目標を書き留めよう」と勧めていましたが、これってけっこう侮れません。昨年の12月にいくつかの目標を書き出して壁に貼っていたら、今年の3月に、その目標の1つが叶いそういになりました。が、その時点でその願いが思っていたようなステキなものではないことが分かってしまったので、目標を書いた紙から切り取りました。その3日後ぐらいには、その「目標」は実現困難なものに変わっていました。言霊の力って侮れません。言葉は大切に扱おうと思いました。

2008年8月19日火曜日

今週の本

 昨日は、久し振りに丸善日本橋店へ行き、三枝匡著『V字回復の経営』(日経ビジネス人文庫)を買いました。ビジネス小説です。
 それから、Alice Elliott Dark 著 In the Gloaming (たそがれ時に)を読み始めました。翻訳学校の教材で、夏休み中に訳さなければいけないのですが、まずは読み物としてリラックスして読んでいます。事故か何かで身体障害者になったらしい息子と、母親の対話です。今までの翻訳教材の中では、最も小説らしい小説です。
 翻訳支援ソフトTRADOSの解説本も読書中です。この1冊だけで重いのに、出勤時には上記の本やプリントも持ち歩くので、鞄が重いです。

2008年8月17日日曜日

Look Back at This Week

    I've finished Love in the Time of Cholera by Gabriel García Márquez, Representative Men of Japan by Kanzo Uchimura, and Solitary Cyclist of the series of Sherlock Holmes. I also saw the film ‘Love in the Time of Cholera' and enjoyed magic realism and tropical atmosphere in Márquez's world after a long interval. He's a Colombian Nobel Prize winner and one of my favourite novelists.

   And then I saw Philip again in about nine months this Saturday. He 's an English teacher at the British Council, and we've mutual interests: reading and opera, although he prefers German opera and I prefer Italian opera. He told me that he's reading The Temple of the Golden Pavilion (Kinkaku-ji) by Yukio Mishima, and recommended me his own article on Virgin Atlantic's site. I also recommended him my blog. I think amateur writers are people who read each other's work to read their own work. Phil, do you read MY blog? I've already read your article.

     The following is comments form Phil by e-mail.

2008年8月3日日曜日

How I learn and remember new words?

'When I learn and remember new words,' I told an Indonesian classmate at the British Council, 'I always make word cards.' She didn't know word cards, but they are a common way of remembering new words among Japanese students. For example, If I want to remember the word 'submit', I write the word and a use of the word, for example, 'submit a document' on the front of a card, and write the meaning and part of speech of the word in Japanese on the reverse side. Then I use the word and phrases in English emails or letters as occasion arises.

(19 July, 2007, a homework for the British Council)

フェルメール展


 昨日は、東京都美術館のフェルメール展へ行きました。初日のせいか、午前中から混んでいました。フェルメールの作品には子どもがほとんど描かれいていないが、実際には12人の子どもがいたという解説を読んで、彼の作品は実生活の反転画でないかと思いました。1ダースもの子どもがいたら家の中が静かになる時は一時だってなかったはずで、彼の作品に漂う静謐さは、実生活の裏返しの願望を描いたものではないかと感じられました。
 フェルメール展でいつもがっかりするのは、フェルメール自身の作品が少ないことです。現存作品が三十数点で、それが世界中の美術館に散っているとあっては仕方のないことですが。その点、今回の企画展はまあ良かったです。40点の出展作品中、8点がフェルメールでした。今まで見たことのなかった構図や題材の作品もありましたが、一番いいと思ったのは上の「リュートを調弦する女」です。窓際の机の前で女性がリュートを調弦している、「これぞフェルメール」という定番の構図です。

 その後、ブリティシュ・カウンシルへ行き、帰りにクリスティの『無実はさいなむ』(ハヤカワ文庫)を買いました。大筋は『スタイルズ荘の怪事件』に似ています。慈善家妻夫と、その養女と養子で構成された不自然な大家族があり、その女家長が殺害される。犯人とされた養子の一人が獄死した後、彼の無実を信じる証人が現れて捜索が再開される、というストーリーです。まぁ、意外な結末と言えましょうか。話の展開より、登場人物の個性と心理描写が面白かったです。養女の一人、ヘクターの台詞は真実をついていて、ハッとさせられました。「わたしって、とても弱い性格なの。いつでも一番手っとり早いことをするの」

2008年7月31日木曜日

翻訳大賞へ応募

 昼休みに、本日締め切りのアルク翻訳大賞への応募文を投函しました。やれやれ。
 シャーロック・ホームズの "The Three Stuednts" も、今日読み終えました。

2008年7月27日日曜日

André Bauhchant

I went to Seiji Togo Memorial Sompo Japan Museum of Art to see 'Joy of Living-The World of Naive Painting-André Bauhchant and Grandma Moses' exhibition. Bauhchant was a French and Moses was an American naïve painters. I prefer naïve art like Bauchant or Henri Rousseau.

The right painting is 'Fruits and flowers on round fruit dishes in front of Lavardin Castle' by Bauhchant. I bought the postcard.

2008年7月26日土曜日

ウクライナ大使館のパーティー

 昨夜、ウクライナ大使館のパーティーへ行ってきました。大使館は六本木ヒルズに近い、各国の大使館が集まっている所にあり、久しぶりに六本木へ行きました。右は会場にいた、民族衣装の人形です。
 パーティーは、そうですね、期待が大き過ぎたせいでしょう、まずまずというところでした。ご馳走も飲み物もふんだんにありましたが、クワスはなく、ワインはオーストラリア産でした。なんて、文句を言ってはいけません。大使館の方達は熱心にもてなして下さったし、ウクライナ料理もおいしかったです。いかにもロシア的だと思ったのは、ロシア風餃子ワレーニキとキノコのマリネ、ビーツのサラダでした。ワレーニキはひき肉入り、チーズ入りの物の他に、アメリカンチェリー入りの物がありました。デザートのワレーニキを頂いたのは初めてです。一番おいしかったのは・・・・・・鰊の酢漬けでした。これを読んだら、ご馳走を作って下さった大使館の方々はがっかりするかもしれませんが、たんに味覚の問題です。私は火を通さない生に近い食感が好きで、ステーキはいつもレアです。

 パーティーの始めに挨拶をされた参事官の言葉はロシア語に聞こえましたが、後で書記官に伺ったらウクライナ語でした。この書記官は日本に赴任して4年目で、日本語が巧みな方でした。イタリア人のカメラマンが撮影に来ており、イタリア語を話すチャンス!でしたが、彼の日本語のほうがよほど達者だったので、日本語の会話になりました。彼も日本在住4年目で、それぐらい住めば外国語も流暢に話せるようになるものかと思いました。

 食後に、ウクライナを紹介するDVDを観せて頂きました。首都キエフと、黒海に面した二つの港町オデッサとヤルタに焦点を当てて、ウクライナの歴史と文化を解説していました。キエフには国立歌劇場があり、毎夜どこかでオペラやバレエが演じられているそうですが、このDVDを観る限り、ウクライナはロシアというよりヨーロッパという感じでした。ソ連邦解体後、いち早く独立したのも頷けます。でもヨーロッパの一国という観点から見たら、たぶんにロシア的な文化圏なのでしょう。
 このDVDで、ヤルタはチェーホフの「犬を連れた奥さん」の舞台だと言っていたので、帰宅後に読み返しました。この海辺の保養地の暖かな気候や、洗練され開放的な街の雰囲気を知った後では、冬と因習に閉ざされたモスクワからやって来た中年のグーロフが、ヤルタで若い人妻アンナと恋をしたのがごく自然に、身近に感じられました。

2008年7月24日木曜日

ウクライナ

 「その国の文化を知る秘訣は酒にある」と、あるルーマニアの外交官が言っていました。ワインの産地で生まれ、子どもの頃からワインを嗜んでいたという方で、赴任先の国々の酒と料理を楽しんでいるとのことでした。この方から、「越後さむらい ナポレオン」という新潟のお酒を教えて頂きました。ちょうど、中越地震があった頃です。いまだに、このお酒は飲んでいませんが。

 私がある国の文化を知る術は何だろうと考え、文学だと思いました。それ以来、他の国の方々とお会いするパーティーの前には、その国の小説を一冊は読むようにしています。明日はウクライナ大使館のパーティーですが、アルク翻訳大賞の課題の翻訳で手一杯だったので、何も読んでいません。ですが、数年前にアンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』(新潮社)を読んでいました。動物園から譲り受けた憂鬱症のペンギンと暮らす売れない作家の話で、ソ連邦崩壊後の何かと物騒な世情を背景に、作家が次第にギャングの抗争に巻き込まれていく話です。以前、ブリティッシュ・カウンシルのレッスンの前に、ロビーでBBCの衛星放送を見ていたら、ロシアの確か銀行家が暗殺された、というニュースが流れていました。隣りで見ていたロシア人のクラスメイトが、「また殺されたの」と言っていましたが、一見平穏な市民生活の裏に死が潜む、そんな時代の雰囲気が伝わってくるお話です。今は、どうなっているのでしょう?

 ゴーゴリーもウクライナの作家です。『外套』などの代表作は読みましたが、あまり好きでありません。話が貧乏臭いんですもん。ビンボーは現実の生活だけで沢山。

 大使館のパーティーでは、その国に関する懸賞クイズがあるので、ざっとおさらいをしました。ウクライナは旧ソ連邦南端の、黒海や東欧諸国に接した農業国です。食文化が豊かでボルシチが有名ですが、私のお目当ては7月4日のブログで書いたクワスと、ウクライナワインです。翻訳大賞の翻訳が一通り終わったので、明日は心置きなく飲むぞ!

2008年7月21日月曜日

軽井沢へ

 三連休はいかがお過ごしですか?
 私は、軽井沢のハッピー・バレーの写真を眺めています。毎年、アスファルトの照り返しや蒸し暑さがこたえ始めるゴールデンウィークあたりになると、軽井沢を想います。堀辰雄や中村真一郎の本を手に、旧軽井沢の唐松林を次に散歩できるのはいつでしょう?

 左上の写真は、シャーロック・ホームズと私です。パイプを持っている方がホームズです。追分で撮りましたが、なぜ彼の銅像が追分にあるかというと、日本で初めてホームズ・シリーズを完訳した、延原謙氏の仕事場があったからです。延原氏の翻訳は新潮文庫で愛読しましたが、こんな所に籠って仕事に専念できるなんて羨ましいですね。


 ブリティシュ・カウンシルで時おり開催される作文コンクールで、「週末旅行にお薦めの場所」という課題が出た時は、軽井沢に付いて書きました。残念ながら落選しましたが、以下はその応募文です(20055月作成)。


Go to Karuizawa

I met a student from Iceland in this winter. ‘The first summer in Japan was awful…’ said he. If you tired of hot and humid, like him, I recommend a weekend in Karuizawa. Karuizawa is a highlandtown in Nagano Prefecture. The Nagano Shinkansen takes about an hour to reach Karuizawa Station from Ueno or Tokyo Station.

  If you have leeway in your budget, I will recommend Manpei Hotel where John Lennon liked too. This classic hotel itself is a witness to history of Karuizawa. Massive Karuizawa carving furniture in lobby and guest rooms are originated to supply to Westerner’s villas. Karuizawa used to be an international summer resort for foreign residents in Southeast Asia before World War II. They are remnant of the those days that local specialties of Karuizawa carving, fruit preserve and milk product, English nicknames for beauty spots, outdoor activities such as tennis, golf and cycling are popular. You can buy the specialties at Kyu-Karuizawa Ginza Street and the Karuizawa Prince Shopping Plaza.

It’s also good to walk or cycling in the woods with Tatsuo Hori’s works. He is well-known for his novels take place in Karuizawa. If you walk in Happy Valley where there used to be his cottage and there is Manpei Hotel still now, you will see mist in the trees, moss carpet and cottages are a piece of landscape. And you will hear the singing of wild birds in the early morning. The early morning is the most beautiful hour in Karuizawa.

2008年7月20日日曜日

9ヵ月ぶりにブリティッシュ・カウンシルへ

 昨日から、またブリティッシュ・カウンシルへ通い始めました。ブリティッシュ・カウンシルは英国の公的な国際文化交流機関で、110ヵ国にある支部で英語や英国の文化を教える講座を開講しています。日本には、東京(飯田橋)と大阪に支部があります。
 ブリティッシュ・カウンシルで英語を習うのは、9ヵ月ぶりです。翻訳講座が夏休みに入り、翻訳の学習も、補助車輪なしで自転車に乗れるようになった感じになってきたので、また英国の空気に触れたくなったのです。受講中はライティングの課題に終われたり、「英国人であること」そのものを鼻にかける講師も中にはいて、「英国人が英語を話すのは当ったり前じゃないか、べらぼうめ」と腹の中で毒づくこともあったしますが、やはりブリティッシュ・カウンシルに通っていないと、生活の中で何かが欠落している気がします。振り返ってみると、この9ヵ月の間、一度も英国人と話していませんでした。

 ブリティッシュ・カウンシルと飯田橋駅の間に、「Books SAKAI 深夜プラス1」という書店があります。ミステリー系の文庫本が充実しているので、講座の行き帰りによく立ち寄ります。昨日は、クリスティの『娘は娘』(ハヤカワ文庫)を買い、一晩で読み終えました。
 
 ところで、アルク翻訳大賞の翻訳は・・・・・・捗っていません。

2008年7月16日水曜日

脱線が止まらない

 初めて、丸善の丸の内本店へ行きました。丸の内OAZOの中にある、天井の高いモダンなインテリアの店舗で、品揃えも良く、「さすが丸善本店」でした。内村鑑三の代表的日本人 (岩波文庫)と、ガルシア・マルケスのコレラの時代の愛 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1985))(新潮社)を買いました。
 帰りの電車の中で『代表的日本人』を読み始めました。内村鑑三の視点で綴った西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中村藤樹、日蓮上人の伝記です。二宮尊徳の章からスタートしました。有名なわりに何をした方なのかよく知らなかったので。まだ途中ですが、イエス・キリストを彷彿とさせるエピソードもあり、ここに書いてある通りの方だったら、「至誠天に通ず」の生きた見本です。
 二宮尊徳的勤勉さの対極にある――と言っては言い過ぎですが――のが、ガルシア・マルケスの世界です。彼はコロンビアのノーベル賞作家で映画監督、フィデル・カストロの友人でもあります。南米に限らず貧富の格差があり過ぎ、身分制度が固定している社会では、個人の勤勉さで貧困を克服するのは難しいので、怠け者や「金はある所から分捕ろう」式の発想が蔓延するようです。
 十年ほど前はマルケスに熱中して、立教大学ラテンアメリカ研究所の会員になり、ラテンアメリカ文学の講座を受講していました。彼から受けた多大な影響の一つに、折に触れては読み返す、マルクス・アウレーリウスの『自省録』を知ったことが挙げられます。マルケスの短編に引用されていました。
 彼の作品はビジュアル的でストーリーが起伏に富んでいるためか、よく映画化されます。8月には『コレラの時代の愛』が封切られますが、この邦訳は2006年にやっと出版されました。当時は熱が冷めていたので、図書館で借りてほとんど読まずに返してしまいました。今回は映画を観る前にちゃんと読もうと、買いました。
 が、その前に課題が。7月末締切りのアルク翻訳大賞に応募しようと、今朝から訳し始めました。それを終えたら『コレラの時代の愛』を読もうと、目に付く所に置いておきます。馬の鼻先にぶら下げる人参のようなものです。

 帰宅したら、5月に応募した翻訳トライアルの結果が届いていました。小説の一部を訳し、AAからEまでの6段階評価を受けるもので、AAはプロ並み、Aはプロにあと一息というレベルです。今回の課題は米国のミステリで、ゴールデンウィークはこの翻訳に費やされました。当然、AAかAを狙っていましたが、結果はB、「仕事をするレベルにはもう一息」でした。
 アルク翻訳大賞の結果が分かるのは年末か、来年始めです。ちょっと気の長い話ですね。なんて、悠長にブログを書いてる場合じゃないんですが。試験前になるとミステリに熱中した、学生時代の癖がいまだに抜けません。ちなみに昨夜から、数年ぶりにラジオのイタリア語講座の聴講を再開しました。イタリア文化会館などへ通ってイタリア語をかじったこともありますが、英語の学習に専念しようと、イタリア語からは遠ざかっていました。英語がどうやら軌道に乗ってきたので、息抜きに他の外国語に触れたくなったのです。←だから、こんなこと書いている場合じゃないってば!
 ちなみに今回の翻訳大賞の出版翻訳部門の課題も、米国のミステリです・・・・・・ああ、脱線が止まらない。コレラの時代の愛 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1985))">

2008年7月15日火曜日

近況報告―って誰への?

 昨日、美術展のチケットを買いました。東京都美術館の「フェルメール展」と、国立新美術館の「ウィーン美術史美樹館展」のです。今から行くのが楽しみです。
 また、先週末に木のいのち木のこころ〈天〉(草思社)を読み終えました。代々、法隆寺の宮大工だった西岡常一氏の聞き書きです。
 シャーロック・ホームズの"The Case-Book of Sherlock Holmes" (シャーロック・ホームズの事件簿) を、あと少しで読み終えそうです。数年前からホームズ・シリーズの原著を読みつつ、BBCのラジオドラマのホームズ・シリーズのCDやテープを聴いています。初めの頃は遅々として進まなかったのが、最近は以前よりはスラスラ読めるようになり、いま4冊目を読み終えつつあるところです。飽きっぽい自分としてはよく続いていると思うのですが、プロの翻訳家としては恐るべき読書スピードの遅さです。道はまだまだ遠い・・・・・・。
 

2008年7月13日日曜日

『眠れる森の美女』の音楽

 英国ロイヤル・バレエ団の『眠れる森の美女』を観ました。バレエを観るのも、東京文化会館で舞台を観るのも数年ぶりで、心が浮き立ちました。
 実は、全幕物のバレエを観るのは苦手です。私がバレエに求めるのは、男性ダンサーの超人的な跳躍や、バレリーナの、日常生活ではあり得ぬほどの典雅な身のこなし、難度の高い技を一見いとも軽々と舞ってみせる非日常性、スター性なので、コールドバレエや踊りのない物語の部分は、たいてい退屈に感じてしまうからです。スター級ダンサーが見せ場を次々と繰り広げる、ガラ形式の舞台なら楽しめるのですが。
 しかし今日の舞台は、全幕を通してわりあい楽しめました。なんて、傲慢な感想ですが。ダンサー達が上手かったのはもちろんですが、チャイコフスキーの音楽の美しさ、衣裳や舞台装置の美しさのおかげもあります。バレエは踊りだけでなく、五感の感覚を全開にして楽しめるものなのだなぁと感じました。
 それにしても、音楽の心理的効果はすごいですね。オーロラ姫が16歳の誕生日に4人の王子から求婚される「ローズ・アダージョ」の場面と、百年の眠りから覚めた後、フロリムント王子と踊る場面の音楽から、彼女の内面の成長が伝わってきました。「ローズ・アダージョ」でのオーロラは、「その子二十 櫛にながるる黒髪の おごりの春のうつくしきかな」という与謝野晶子の短歌そのままの、憂いを知らぬ少女でした。それが百年の眠りを経た後では、成熟した淑やかな女性に変わっていました。『アンナ・カレーニナ』で、キチイがヴロンスキーへの失恋の苦しみと病いから癒え、リョーヴィンからの再度の求婚を謙虚に受け入れた場面を思い出させます。
 なお左上の写真は、今日の主演サラ・ラムの、「ローズ・アダージョ」の場面です。

 ところで「百年の眠り」が人生の試練のメタファなら、眠りに落ちる原因となった「錘(糸巻きの針)」は何を象徴しているのだろうと、いま考えています。

『ワーキングプア』の一部私訳

 11日の金曜日で、翻訳学校での夏休み前の最終講義が終わりました。
 前後2回に分けて、デイヴィッド・K・シプラー著『ワーキングプア』第9章の一部を訳したので、以下に載せます。なおシプラーは、ピューリッツァー賞受賞者です――なんて、たったいま知ったのですが。
 既訳には、森岡孝二ほか訳の『ワーキング・プア』が岩波書店から出ています。

"The Working Poor" by David K.Shiplerより

第九章 ドリーム

「大人になったら」と十一歳のシャミカは言った。「弁護士になりたいの。そしたら人助けができるでしょう」どんな人を助けるの、と私は尋ねた。「ホームレス」と彼女は答えた。「小さな子には助けが要るでしょ。だから、ホームレスを助けてあげたいの」すべてが可能だという確信にまだ瞳が輝いている、六年生の明るい信念できっぱりと言った。
 彼女の住むアナコスティアの最貧困地区、ワシントンの大理石の歴史的建物が点在する場所から汚染された川を渡った地域では、この子ども時代の澄んだ眼差しが高校までもつことはめったにない。そこへ至るまでに、どういうわけか、若者の将来の見通しは曇らされている――あるいはスポーツ選手として、アメリカンフットボールの競技場やバスケットリングの下で名声と富を得ようという、甘い考えにすり替えられているのだ。
 貧困地区の中等学校[注一]で私が話を聞いた子どもの大半は、大学へ行きたがっていた。親の中には失業者もおり、他は家具の運搬、図書館の本の整理、政府関係の建物の清掃といった仕事にありついていた。多くはスーパーマーケット、工場、介護施設、自動車修理工場、病院、美容院で働いていた。一握りの親だけが機械工、大工、電気技師、コンピューターのオペレーターといった技能職に就いていた。子どもたちが夢を実現しようとするなら、ほとんどの子が教育、職業、所得といった社会的なヒエラルキーを上昇していかねばならない。つまり、アメリカンドリームを叶えねばならないのだ。
 シャミカの六年生の友人グループ五人のうち、三人は弁護士になった自分を思い浮かべていた。もう一人は検眼医[注二]になりたがっていた。五人目のロバートは「(会社の)社長や何かか、お医者さんみたいにオフィスで働いている」自分を夢見ている。その目的は、いい行いをする力を手にすることだ。「そしたら、家族が困ったりなんかしたときに、おれが駆けつけて、助けてあげられるじゃん」と彼は言った。会社を経営するのは「ホームレスの人たちの所へ行って助けて、お金をあげて、慈善や何かの手助けをしてやりたいから」だ。
 オハイオ州アクロン市の、オポチュニティパークという貧困地区で会った六年生グループの子たちは、歌手や小児科医、警官、看護師、ラッパー、機械工になりたがっていた。その野心は若い生命の縁から溢れ出ていた。建説労働者と美容師の娘ドミニクは、盛んに「考古学者と小児科の先生」になりたがっていた。「いっぺんに?」と私は尋ねた。「ちがうよ、考古学者は年を取ってから、小児科の先生はもうちょっと若いとき、二十歳とか三十歳ぐらいのときに」 
 このアクロン市の学校の七学年の黒人は、黒人が脚光を浴びる最も典型的な職業を挙げた。フットボール選手、バスケットボール選手、ラッパーだ。白人はアーティスト、獣医、自動車修理工を挙げた。白人のドンは、市の道路舗装の仕事がしたいという理由を、こう説明した。「払いがいいだろう」ワシントン市の二つの低所得地区にある学校の七年生はほとんどが黒人で、将来の夢として弁護士、写真家、フットボール選手、バスケットボール選手、FBIの捜査官、女性警官、セールスマン、医者、ダンサー、コンピューター技術者、建築家、アーティストを挙げた。八年生は海洋生物学者やコンピューターエンジニア、科学者、建設労働者、弁護士、小児科医になりたいと言った。その子たちが挙げた職業は、たまたまその仕事に就いている人と出会ったか、それについて読んだかテレビで見たかして、時には熱い想いと共に、たいていはふとした一時の気まぐれとして、心に入り込んだものだ。もし統計を取ったら、夢を実現する者も中にはいるだろうが、たいていは実現できずに終わるということになるだろう。多くの子が高校を中退し、限られた子だけが大学へ行き、将来はほとんどの子が低賃金の仕事に追い込まれてしまうだろう。
 ミセスCは生徒の野心を冷笑した。彼女はシャミカの学校、ワシントン市のパトリシア・R・ハリス教育センターで十五年間、歴史を教えているベテラン教師だ。「生徒たちは毎日遅刻するし、一日おきに休むんです」と、この教師は嘲った。ミセスCは黒人で、教え子の大半もそうなので、人種差別だと咎められることなく、手厳しく、歯に衣を着せずにものが言えた。「生徒に訊くんです、『今から十年後には何をしていますか』って。みんな、医者になっているとか、バスケットボールの選手になっているとか言います。弁護士になっているとか。フットボールの選手になっているとか。で、私は言うんです、『フットボールチームはいくつありますか、それぞれのチームには選手が何人いますか? あなたが選手になれるチャンスはありますかって。それに、弁護士になるなら読解力が要るってこと、分かってますか? 医者になるなら、数学や読解力が要りますよ。夢を実現することはできるけど、努力を続けなきゃいけませんよ』って」彼女は、お手柔らかとは言えぬやり方で子どもの夢を踏みにじっていたが、事実を話そうとしていたのだ。「生徒には夢を持って欲しいけど、夢を実現する過程では現実的になって欲しいんです」
 ミセスCを始め多くの教員にとって、実態は憤慨やる方ないものだ。ミセスCはこう言った。「あの子たちは怠け者なんです。本を読もうとしないし、宿題もやってきません。宿題なんて、虫歯を抜くようなものなんです。たいていの子が家では関心を払われてないので、学校で関心を引こうとするんです」それで生徒は問題を起こすのだ。先生の裁量で褒美や罰は与えられないんですか、と私は訊いた。ミセスCは頭を横に振った。「あの子たちは平気でFの成績を貰ってますよ。気にしていないんです。気にしているのは教師だけです」と決めつけた。
 シャミカはもう反目の連鎖に巻き込まれていた。彼女は愛らしく、おしゃべりだった。二本のすてきな三つ編みが、頭の高い所から編み込まれて耳の上に垂れているが、それは母親の細やかな愛情のあかしだ。ひっきりなしにおしゃべりをしているので、授業中の私語が多すぎるのを注意しようと、先生は両親へ電話してきた。シャミカは、先生は別のシャミカという子と自分をごっちゃにしているのだ、と言い張った。それで両親はその先生が嫌いだし、自分は先生の評価を気にかけないようにしている、と面白そうに言っていた。「宿題を返してもらったら、先生ったら利巧ぶってんの。私がこの言葉を間違えたら、先生は利巧ぶって書いてたの、『勉強の必要がありますね、グリル』って。GRILって書いてあんのよ。そのあと通信簿を貰ったら、私にDを付けてるの、『GIRL(ガール)』の綴り方も知らないくせに!」と、シャミカはとげとげしく言った。

[注一] 中等学校(middle school):米国では地域によって異なるが、通常五、六年から八学年まで。
[注二] 検眼医(optometrist):眼鏡やコンタクトレンズを作る際の視力測定や、目の病気の診断などをする医師。目の手術や薬の処方などは、専門の眼科医(ophthalmologist)が行う。 

2008年7月7日月曜日

かものはしとは?

 先日、かものはしの会員になりました。正式名称「かものはしプロジェクトは、カンボジアの児童買春の被害を根絶する活動をしているNPOです。
 日本も戦前までは、貧しい親が幼い娘を売るということはよくありました。少女たちは置屋や遊郭で、芸者や遊女の見習いとして芸や礼儀作法を仕込まれた後、年頃になって「御目見え」させられたのですが、カンボジアの場合は待ったなしです。5、6歳でも客を取らされ(!)、抵抗すれば電気ショックのお仕置きを受け、HIVに感染したり、辛さを忘れるために麻薬に走ったり、自殺する子もいます。婚前交渉した女性は結婚できないという風潮のため、その後の人生は大きく歪み、HIV感染者の母親から、母子感染した子が生まれることもあります。
 当人も家族も、そんな事は望んでいません。では、なぜそんな事が行われているかと言えば、強制売春がはびこる社会に共通していること、貧困と女性の地位の低さが原因です。特にカンボジアは内戦の影響で、父親が亡くなったり、長い間行方不明になっていたり、また実質的な一夫多妻が容認されているため、父親はいても十分な援助が受けられない、というケースもあります。母親が働こうにも農村には仕事がなく、年長の子どもが都市へ出稼ぎに出ざるを得ない、そこで騙されて性産業へ売り飛ばされる被害者が跡を絶たないのです。
 「かものはし」が主に行っているのは、農村に「コミュニティファクトリー」という職業訓練と仕事を提供する場を造ることです。そこで藺草[いぐさ]や水草でハンドバックやゴザなどの手工芸品を作り、それを売った収益でファクトリーを経営して、村人の経済的・精神的自立を促すのが目的です。
 資金調達のために会費制の会員や寄付も募っていますが、 ウェブ制作会社も運営しています。社会問題解決のためにビジネスを立ち上げる「社会起業(ソーシャルベンチャー)」を、私はかものはしによって知りました。

2008年7月6日日曜日

ハッピーバスデー、A!

 今日はアレクサンドロス大王の誕生日なので、ステーキとケーキでお祝いをしました。今年で2364歳なので、歳の数だけケーキに蝋燭を立てようとしたら大変なことになったでしょう。

 「それって、ご馳走を食べる口実?」と思ったあなた、その通りです。愛猫の誕生祝いをした友人妻夫がいますが、私たちがご馳走を食べたり飲んだりしている傍らで、当の猫は自分が主人公だということにさえ気づいていませんでした。

 彼は少女時代からの英雄で、心の恋人のようなものなので、美術展でアレクサンドロスをモデルにした彫刻や絵画に出会うと、幼馴染みに再会した懐かしさを覚えます。
 毎年7月6日には、プルタルコスのアレサンドロス伝を読み返すようにしています。歴史が好きなので、各時代ごとにお気に入りの英雄がいますが、一番好きなのはやはり彼です。その魅力を数え上げればきりがありませんが、私にとっての最大の魅力は素朴な高貴さです。弱い人間ほど複雑なものです。精神に高貴さ、強さ、誠実さのいずれかを備えている人間は、本質的には単純なのではないでしょうか。彼はマケドニア国王や全ギリシア軍の総指揮官として複雑で多岐にわたる政務と軍務を司っていましたが、根本的には直情的で一途な青年で、苦労人だった父親のフィリッポス2世のようには老成することのできない人だった、だから33歳で亡くなったのは天命だと思います。

 1994年5月に、古代遺跡を巡るギリシア一周のバスツアーに参加しました。マケドニア地方ではテッサロニキ、古都ペラ、ヴェルギナへ行きました。ヴェルギナは、フィリッポス2世が葬られた地です。墳墓に付随した博物館で埋葬品を観ましたが、フィリッポスに被せられていた黄金製の樫の葉の冠は、博物館の入口にあった樫の葉そのままでした。マケドニアは樫が豊かで、月桂冠の代わりに樫の葉を編んだ冠が用いられていたのです。墳墓のある丘陵地帯はカモミールに覆われ、花から漂う林檎の香りに満ちていました。

2008年7月4日金曜日

ニコ・ピロスマニ―グルジアの素朴派

 右の絵は、ニコ・ピロスマニ(1862?~1918年)の「食事を運ぶ少年」です。『アンナ・カレーニナ』第3編の、農夫へ昼食を届ける子どもの描写を彷彿とさせます。

 「子供たちは丈の高い草を分けて来るので、やっと見分けのつくものもいれば、道路づたいに来るものもいたが、みんなパンの包みや、ぼろきれで栓をしたクワス[注]の瓶を、重そうに手にさげていた。」(木村浩訳、アンナ・カレーニナ (中巻) (新潮文庫)
[注]クワス・・・本式にはライ麦と麦芽、家庭では黒パンとイーストを醗酵させて作る清涼飲料で、アルコール度1~2.5パーセント。コーラか、気の抜けたビールのような味だそうです。

 ピロスマニはグルジアの画家で、今日行ったBunkamura ザ・ミュージアムの「青春のロシア・アヴァンギャルド」展で知りました。この作品自体は出展されていませんが、同じようにグルジアの風物を、独習者らしい素朴な筆致で描いた作品が10点まとめて展示されており、その一角だけ「これぞ、ロシア」という感じがしました。土着の人間が土着の風物を描く強烈さに比べると、他の「アカデミックな」画家の作品の印象は色褪せ、西欧の亜流品という感じがしました。
 展示作品の中で気に入ったのは、「コサックのレスラー、イヴァン・ポドゥーブニー」と「祝宴」です。前者は残雪を頂いた山脈を背景にしたコサック人の全身像、後者はダ・ヴィンチの「最後の晩餐」風に正面を向いて祝卓に連なった男達の絵です。
 ピロスマニはアンリ・ルソーに譬えられる素朴派で、私はルソーも大好きです。また別の素朴派、アンドレ・ボーシャンも。というわけで、自分が素朴な絵が好きなことに、今日初めて気がつきました。もっとも、私以外にはどうでもいい事ですが。でも大半のブログって、本人以外にはどうでもいいコトを書くためにある、んですよね?

 というわけで、些事をついでに書いておくと、今日、初めてTRADOS(トラドス)を使いました。翻訳支援ソフトで、実務翻訳の求人条件によく「TRADOSの実務使用経験のある方」とあるので、使い方を覚えなくては、と昨年から思っていました。解説本を買ってそのままになっていたのが、今日よくやく役立ちました。

Bunkamura 青春のロシア・アヴァンギャルド

2008年7月2日水曜日

ロアルド・ダールの “The Umbrella Man” 私訳

 左の写真はバナナスプリットです。縦に切った(=割ったsplit )バナナの間に3種類のアイスクリーム(バニラ、ストロベー、チョコレート)を盛り、ホイップクリームやチェリー、ナッツ、パイナップルなどをトッピングした、米国発祥のデザートです。翻訳学校の課題として訳したロアルド・ダールの “The Umbrella Man” に出てきたので、どんな物かと調べ、簡略版を作ってみました。甘党の私でも胃にもたれましたが、子どもの頃ならきっと大好物になっていたでしょう。
 以下は “The Umbrella Man” の私訳です。なお、既訳には田口俊樹訳「アンブレラ・マン」があります(『王女マメーリア』 (ハヤカワ・ミステリ文庫)収録)。


カサおじさん

ゆうべ、お母さんとわたしが出あった、おかしなでき事を話しましょう。わたしは十二歳で、女の子です。お母さんは三十四歳だけど、わたしはもう、同じぐらいの背丈です。

昨日の午後、お母さんは、わたしを歯医者へ診せに、ロンドンへ連れて行きました。歯医者は、虫歯を一つ見つけました。それは奥歯で、それほど痛くはなく詰めてくれました。それから、喫茶店へ行きました。わたしはバナナスプリットを食べ、お母さんはコーヒーを一杯飲みました。帰ろうと席を立つ頃には、六時ぐらいになっていました。

喫茶店を出ると、雨が降り始めていました。「タクシーを拾わなくちゃ」と、お母さんは言いました。わたし達はいつもの帽子とコートでしたし、どしゃ降りだったのです。

 「喫茶店へもどって、雨がやむまで待とうよ」と、わたしは言いました。バナナスプリットを、もう一つ食べたかったのです。あれはステキでした。

 「やまないわよ」 お母さんは言いました。「帰らなきゃ」 

 雨の中、わたし達は歩道に立って、タクシーを探しました。たくさんのタクシーが来ましたが、どれもお客を乗せていました。「運転手つきの車が、あったらいいのに」と、お母さんは言いました。

その時です、男の人が近づいて来たのは。彼は小柄で、とても年をとっていて、たぶん七十歳か、それ以上でした。彼はいんぎんに帽子を持ち上げて、お母さんへ言いました。「おそれ入ります。失礼をお許し頂けないでしょうか・・・・・・」 彼はステキな白い口ひげと、ふさふさした白いまゆ毛と、ほんのり赤らんだ、しわしわの顔をしていました。彼は高々とさしたカサで、雨をよけていました。

 「はい?」 お母さんは言いました、とても冷たく、よそよそしく。

 「ちょっとした、お願いをできないでしょうか」 彼は言いました。「大変ささいな、お願いなのです」

 お母さんが、彼をうさんくさげに見ているのを、わたしは見ました。彼女は疑り深い人なんです、わたしのお母さんは。二つのことには特に、うたがいを持っていました――知らない男の人と、ゆで卵です。ゆで卵のてっぺんを切ると、ネズミか何かを見つけるんじゃないかと思っているように、スプーンで中をかき回すのです。知らない男の人に対しては、こんな黄金の規則を持っています。「立派そうに見える男の人ほど、疑ってかからなくてはいけないわ」 その小柄なお年寄りは、特に立派でした。彼は礼儀正しかったのです。品のいい話し方をしました。きちんとした身なりをしていました。本物の紳士でした。紳士だと分かったのは、靴のせいです。「その人のはいている靴で、紳士かどうか、いつも見当がつくわ」というのが、もう一つの、お母さんの決まり文句でした。その男の人は、ステキな茶色の靴をはいていました。

 「実を申しますと」 小柄な男の人は言いました。「いささか困っておりまして。お手を貸して頂きたいのです。大した事ではございません、それは確かです。何でもないことです、実のところ、ですが、ご助力がいるのです。ごぞんじでしょうが、奥様、わたくしのような年寄りは、ちょくちょく、ひどい物忘れをするようになるものでして・・・・・・」

 お母さんのあごがつき上がり、鼻先で彼を見下ろしました。ものすごくこわいのです、お母さんの鼻先にらみは。彼女がこれをやると、たいていの人は、すっかり、どぎまぎしてしまいます。お母さんがすさまじい鼻先にらみをしたら、校長先生がどもって、バカみたいにニタニタ笑い始めたのを、一度見たことがあります。でも、カサをさした、歩道の小柄な男の人は、まぶたをぴくりともさせませんでした。彼は優しくほほ笑んで、言いました。「どうぞ信じて下さい、奥様、いつも通りでご婦人を呼び止めて、やっかい事を話すわけではございません」

 「そう願いたいものですわ」 お母さんは言いました。

 お母さんのとげとげしさには、まったくきまりの悪い思いをしました。彼女には、こう言いたかったです。「ねぇ、ママ、どうしちゃったの、彼はとってもとっても年をとっていて、感じもいいし礼儀正しいし、困っているんだから、そんなにじゃけんにしないで」。でも、何も言いませんでした。

 小柄な男の人は、カサを片手からもう片方の手へ、持ち換えました。「今まで忘れたことは、けっしてなかったのですが」 彼は言いました。

 「何を、忘れたことがないんですって?」 お母さんは、いかめしくたずねました。

 「サイフです」 彼は言いました。「別の上着に入れたままにしてきたに、違いありません。実に、間のぬけたことをしたものですな?」

 「お金を下さいと、頼んでいらっしゃるの?」 お母さんは言いました。

 「ああ、何てことを、違います!」 彼は声を上げました。「仮にもそんなお願いをするなんて、めっそうもない!」

 「それなら、何を頼んでいらっしゃるの?」 お母さんは言いました。「早くして頂きたいわ。ここにいたら、ずぶぬれになってしまいます」

 「わかっております」 彼は言いました。「ですから、奥様が雨をしのげるように、このカサをお渡し致しますから、持っていて頂きたいのです、もし・・・・・・もし、ただ・・・・・・」

 「ただ、何ですの?」 お母さんは言いました。

 「ただ、そのかわり、わたしが家へ帰るだけのタクシー代を一ポンド、頂けるといいのですが」

 お母さんは、まだ疑っていました。「そもそも、お金をお持ちでないのなら」と、彼女は言いました。「どうやって、ここまでいらしたんですか?」

 「歩いてまいりました」 彼は答えました。「毎日、結構な長い散歩をして、タクシーを呼んで帰るのです。日課にしております」

 「それなら、どうして歩いてお帰りにならないんですか?」 お母さんは、たずねました。

 「ああ、そうできたらいいのですが」 彼は言いました。「本当に、そうできたらいいのですが。ですが、わたしの老いぼれた足では、歩いて帰れないでしょう、もう、ずいぶん歩きましたから」

 お母さんは下くちびるをかみながら、じっと立っていました。気持ちが少しやわらぎ始めたのが、分かりました。雨をよけるカサが手に入るという考えは、いい申し出だ、という気にさせたはずです。

 「結構なカサですよ」 小柄な男の人は言いました。

 「ええ、存じてます」 お母さんは言いました。

 「絹ですよ」 彼は言いました。

 「分かります」

 「でしたら、お受け取り下さい、奥様」 彼は言いました。「二十ポンド以上致しましたよ、うけ合います。ですが家へ帰れて、この使い古した足を休められるのでしたら、それは大したことではありません」

 お母さんの手が、おサイフのとめ金をさぐっているのを見ました。彼女を見ているわたしを、お母さんは見ました。今度は、わたし鼻先にらみをしたので、言っていることが、彼女には、すっかり分かりました。ねぇ、聞いて、ママ、と話しかけていたのです。そんなやり方で、くたびれたお年寄りの弱みにつけ込むなんて、絶対いけないよ。ひどいよ。お母さんはためらって、わたしを見返しました。それから、小柄な男の人へ言いました。「二十ポンドもする絹のカサを頂くなんて、まったくいい事とは思えませんわ。タクシー代だけさし上げて、カサはお持ちになって頂いたほうがいいと思いますけど」

 「いや、いや、いや!」 彼は声をはり上げました。「めっそうもない! そんなことは、思いもよりません! 絶対にいけません! そのようなお金、奥様からはけっして受け取れません! このカサをお持ち下さい、奥様、貴女方の肩がぬれないようになすって下さい!」

 お母さんは得意気に、わたしを横目で見ました。ほうら、ごらんなさい、と言っていました。あなたが、まちがっているのよ。彼は、わたしにカサを持っていてもらいたがっているんだから。

 彼女はおサイフをさぐって、一ポンド札を取り出しました。それを、小柄な男の人へさし出しました。彼はそれを受け取って、カサを手渡しました。お札をポケットへ入れ、帽子を上げ、腰をかがめてペコリとおじぎをして、言いました。「おそれ入ります、奥様、おそれ入ります」 それから、行ってしまいました。

 「こっちへ来て、ぬれないようになさい」 お母さんは言いました。「わたし達、ついてるわね。絹のカサって、持ったことなかったのよ。買うゆとりが、なかったもんだから」

 「どうして最初は、あの人につっけんどんだったの?」 わたしはたずねました。

 「彼はペテン師じゃないって、納得したかったの」 彼女は言いました。「で、納得したわ。彼は紳士だった。役に立てて、とってもうれしいわ」

 「そうね、ママ」 わたしは言いました。

 「本物紳士よ」 彼女は続けました。「お金持ちでもあるのよ、でなきゃ、絹のカサは持てなかったもの。爵位を持った人だったとしても、驚かないわ。サー・ハリー・ゴールズワージーとか、そんな感じの」

 「そうね、ママ」

 「これは、あなたにはいい教訓になるわ」 彼女は続けました。「事を急かないこと。誰かを判断するときは、いつも、じっくり時間をかけること。そうすれば、まちがえっこないわ」

 「ほら、彼が行く」 わたしは言いました。「見て」

 「どこ?」

 「あそこ。道を渡ってる。あれっ、ママ、なんて急いでるんだろう」

 わたし達は、小柄な男の人が、行きかう車の間を、ひらりと身を交わすように、すばしこくぬって行くのを見ました。彼は通りの向こう側へ着くと、左へ曲がって、すごい早足で歩いていました。

 「彼がとっても疲れているようには見えないけど、そう見える、ママ?」

 お母さんは、答えませんでした。

 「タクシーを拾おうとしているようにも、見えないけど」 わたしは言いました。

 お母さんはじっとつっ立ったまま、通りの向こうの小柄な男の人を、見つめていました。彼は、はっきり見えました。ひどく急いでいました。他の歩行者をよけて、行進中の兵隊さんのように両腕を振って、あわただしく歩道を歩いています。

 「彼は何かをたくらんでいる」 お母さんは言いました、無表情に。

 「でも、何を?」

 「わからない」 お母さんは、ぶっきらぼうに言いました。「でも、つきとめてやるわ。いらっしゃい」 彼女はわたしの腕を取り、一緒に道を渡りました。それから、左へ曲がりました。

 「彼が見える?」 お母さんはたずねました。

 「うん。あそこにいる。次の通りを、右へ曲がっている」

 わたし達は曲がり角で、右に曲がりました。小柄な男の人は、二十ヤード(約百八十メートル)ぐらい先にいました。うさぎみたいに、飛びはねるように急いでいるので、遅れずに着いていくのに、早足で歩かなくてはなりませんでした。雨は、ますます激しくなり、しずくが彼の帽子のつばから両肩へしたたり落ちるのが、見えました。でも、わたし達は、大きくてすてきな絹のカサの下に寄りそって、ぬれずにいました。

 「一体、何をたくらんでいるの?」 お母さんは言いました。

 「もし振り返って、わたし達を見たらどうする?」 わたしは、たずねました。

 「そうしたって、かまうもんですか」 お母さんは言いました。「ウソをついたんだから。これ以上歩けないほど疲れ果てたと言っといて、わたし達が追いつけないぐらい、急いでるじゃない。ずうずうしいウソつきね! いかさま師よ!」

 「つまり、爵位のある紳士じゃないってこと?」 わたしは、ききました。

 「おだまんなさい」 彼女は言いました。

 次の交差点で、小男は、また右へ曲がりました。

それから、左へ曲がりました。

それから右へ。

 「こうなったら、あきらめないわ」 お母さんは言いました。

 「彼が消えっちゃった!」 わたしは声を上げました。「どこへ行っちゃったの?」

 「あのドアへ入って行ったわ!」 お母さんは言いました。「見たわ! あの家へ入ったのよ! まぁ、パプじゃない!」

 それはパブでした。入口に大きな字で、「レッド・ライオン」と書かれていました。

 「中へは入らないでしょ、ねぇ、ママ?」

 「ええ」と、彼女は言いました。「外から見はりましょう」

 パプの正面には、一枚の厚い板ガラスでできた大きな窓があり、窓の内側は少し湯気でくもっていましたが、近くに寄れば、ガラスごしに中がとてもよく見えました。

パプの窓の外で、二人はからだを寄せ合いました。わたしは、お母さんの腕を、しっかりにぎっていました。大きな雨つぶが、カサの上で、そうぞうしく音を立てていました。「彼がいた」 わたしは言いました。「あそこに」

のぞき込んでいる部屋は、人とタバコの煙でいっぱいで、その真ん中に、わたし達の小男はいました。もう帽子やコートはぬいでいて、人ごみをぬって、だんだんとバーへ向かっていました。そこへ着くと、バーに両手をついて、バーテンダーへ話しかけました。くちびるが動いたので、注文したのが分かりました。バーテンダーは、ちょっと彼に背を向け、あめ色の液体をふちまで注いだ、小ぶりのタンブラーを持って、振り返りました。小男は、カウンターへ一ポンド札を一枚置きました。

 「わたしの一ポンド!」 お母さんは、いまいましげにささやきました。「まぁ、あつかましいったら!」

 「グラスに入っているのは何?」 わたしは、たずねました。

 「ウイスキー」 お母さんは言いました。「ストレートのウイスキーよ」

 バーテンダーは、一ポンド札のおつりを渡しませんでした。

 「きっと、トレブルウイスキーよ」 お母さんは言いました。

 「トレブルって何?」 わたしは、たずねました。 

 「ふつうの量の三倍ってこと」 お母さんは答えました。

 小男はグラスを取り、くちびるへ当てました。それを少しずつ傾けました。それから、グラスの底を高めに傾けました・・・・・・もう少し高く・・・・・・もっと高く・・・・・・ウイスキーはあっという間にのどへ流し込まれて、長い一息でなくなってしまいました。

 「すっごく高い飲み物だね」 わたしは言いました。

 「バカげてる!」 お母さんは言いました。「ひと飲みしてしまうものに、一ポンド払うなんて、考えてもごらんなさい!」

 「一ポンド以上についてるよ」 わたしは言いました。「二十ポンドの絹のカサが、かかっているんだから」

 「そうね」 お母さんは言いました。「頭がどうかしてるんだわ」

 小男は空のグラスを片手に、バーのそばに立っていました。今はほほ笑み、ほんのりと赤らんだ丸い顔一面に、活き活きとした喜びの輝きのようなものが、ひろがっていました。舌が出て、貴重なウイスキーの最後の一滴をさがように、白い口ひげをなめるのを、わたしは見ました。

 ゆっくりと、彼はバーに背を向け、人込みの中を少しずつ進み、帽子とコートをかけた所へもどりました。彼は帽子をかぶりました。コートを着ました。それから、何も気づかれないような、ものすごく落ち着き払った、さりげない態度で、コートかけにたくさんかかっている、ぬれたカサのうちの一本を取って、その場をはなれました。

 「あれ、見た!」 お母さんは、金切り声を上げました。「彼のしたこと、見た!」

 「シィィィー!」 わたしは、声をひそめました。「出て来るよ!」

 二人は顔をかくすためにカサを下げ、その下からのぞきました。

 彼が出て来ました。でも、わたし達のほうは、見ようともしませんでした。新しいカサを高々と開き、来た道を、急いで去って行きました。

 「そう、あれはちょっとした商売なのね!」 お母さんは言いました。

 「あざやかだねぇ」わたしは言いました。「すっごい」

 彼の後をつけて、初めに出会った表通りへもどり、彼がすんなりと新しいカサを、また一ポンド札と取りかえるのを、見物しました。今度は帽子やコートさえない、ひょろっと背の高い男の人とでした。取引がすむとすぐ、あの小男は通りを急いで去り、人込みにまぎれてしまいました。でも、今度は反対の方角でした。

 「なんて、かしこいんでしょう!」 お母さんは言いました。「同じパブへは、二度と行かないのよ!」

 「一晩中、やっていられるね」 わたしは言いました。

 「そうね」 お母さんは言いました。「もちろん。きっと、雨の日になるのを、夢中で祈ってるのよ」 (完)

初の社内翻訳と睡眠学習効果

 今日、勤務先の出版社で翻訳をした。職場での本格的な翻訳は初めて。エッヘン。
 米国の出版社との出版社契約書で、法学部出身だということ思い出す稀な機会だった。講義中はよく居眠りをしたものだ。その睡眠時間と授業料を考えたら、実に高価な昼寝だった。しかし柔弱な脳味噌にも関わらず、堅苦しくややこしい法律文書に免疫ができたのは、睡眠学習の効果だろう。エッヘン。

2008年6月30日月曜日

薔薇キャベツ

 キャベツのような薔薇とは何か?
 トマージ・ディ・ランペドゥーサの『山猫』 (岩波文庫 赤 716-1)で、パリで買った薔薇がシチリアでは肉色のキャベツになってしまった、というくだりを読んで以来、気になっていた。Bunkamura ザ・ミュージアムの「薔薇空間」展で左の絵を見て、これだと思った。学名ロサ・ケンティフォリア、英名キャベジ・ローズだ。
 もっとも、正確を期すために調べたら、『山猫』の薔薇はポール・ネイロンで、蓮の花のように平たい形状なのを、たったいま知った。

 以下は、知人へ宛てたメールからの抜粋(2008年5月12日)。


「今は『山猫』を読んでいます。

ヴィスコンティが映画化した作品の原作で、イタリア語原典からの初の直訳とのことです。
その直前に読んでいたのが米国のミステリー・シリーズで、ワシントン市警察の黒人刑事が主人公の、スラム街や異常殺人などが出てくる、面白いけれど殺伐とした物語でした。
そこからシチリアの名門貴族の世界へ入ったので、対比に眩暈を感じました。
イタリアという国の豊かさと重層性をシミジミ感じます。
その歴史や食生活の豊富さ、庶民のしたたかさ、貴族の生活の奢侈と怠惰と、その腐敗の中からのみ生まれてくる得も言えぬ魅力に魅了されています。
映画ではアラン・ドロンが演じた、タンクレーディという公爵が出てきます。
放蕩者だが勇敢で、利に聡く、いずれは政界での出世が見込まれ、女も男も逆らい難い魅力をそなえた美青年という、複雑な人物です。
彼の父親は、放蕩で先祖からの財産を全て食い潰しているのですが、そんな環境の中からのみタンクレーディのような特異な魅力のある人物が生まれるのだ、というくだりがありましたが、真の洗練は膨大な無駄と消費の中からのみ生まれてくる、という説には同感です。」

2008年6月29日日曜日

コローの複製画

6月21日(土)
 友人と、国立西洋美術館の「コロー――光と追憶の変奏曲」展へ行った。記念に、右の「ヴィル・ダヴレー――水門のそばの釣り人」の小ぶりな複製画と絵葉書を買った。複製画を買ったのは15年ぶりだ。飽きっぽいので、見飽きたら実用に回せる絵葉書と違って買わないようにしていたのだが、買ったのには訳がある。コローは晩年になっても「周りの人を幸せにしたい」と言っていた、と音声ガイドが解説していた、と友人が言ったからだ。見るたびに「人を幸せに」という気持ちを思い出すように、と絵葉書よりインパクトのある複製画も買った。

 「幸福」について、ここ数ヵ月来考えている。尊敬している方がよく言及しているからだ。「日本と日本人を元気にしたい」と公務員になり、その後ベンチャー企業、某社社長へ転身された方で、この20年間にやって来たことは一貫して「日本と日本人を幸せに」ということだった、とおっしゃっている。理想主義者はえてして身近な人からは敬遠されるものだが、この方は身近な人々からも好かれ、尊敬されいてる。「幸福にしたい日本人」の中にはご自身も含まれているはずで、この方にとっての幸福の形態とは何だろう、そして私自身にとっての幸福は、私が周囲の人々を幸福にできるとしたらどんなことか、を考えてきた。幸福の形態は人それぞれだ。私にとっては、精神的な事柄も含めて、できる限り美しく洗練されたものに囲まれて暮らすことだ。それと、周囲の人々との幸福はどう結び付くのだろう? 

 その答えをコローがくれた。絵を描くことが、彼流の他人を幸せにする方法だった。確かに、私は彼の絵で幸せになった。「ヴィル・ダヴレー――水門のそばの釣り人」を観た時は絵の中へ引きずり込まれた。森の池の小船で釣りをする男の絵だが、画家がこの土地をよく知っているのが伝わって来る。旅先の絵やコンクール出展用の凝った大作より、画家がよく知っている土地や人々を描いた作品のほうが真実味があって心の琴線に触れるのだが、そんな絵だった。パリ近郊のヴィル・ダヴレーにはコローの父親の別荘があり、彼もよく訪れていた土地だ。そこを題材にした他の絵も、土地をよく知っている者の視線で描かれているので、懐かしさを感じたほどだ。その中でも最も惹かれたのが「水門のそばの釣り人」で、絵の中に入り込みたい心地だった。美術展で一つでもそんな作品に巡り合えたら幸運だ。

 このところ憂鬱で、昨夜はコロー展行きを延期してもらおうかと思ったほどだが、行って良かった。絵が好きな人間は絵を観るべきだ。いい絵を観れば幸福になれる。いい絵とは、画家の魂が込められた絵だ。心が込められた絵、音楽、料理、言葉――真心が込もったものは全て人を感動させ、幸福にさせる。他人を幸福にする方法も人それぞれだ。私は気持ちのいい言葉と行動で、心を込めた応対、心をこめた仕事ぶりなどで周囲を幸福にできる。そのためには感謝を忘れないこと。日々接する人を幸福に、という気持ちを忘れぬように――なにしろ私は忘れっぽいので――と、コローの複製画を買った。彼が「周りの人を幸せにしたい」と言っていたことを教えてくれた友人にも、感謝した。