2012年12月25日火曜日

「マリー・アントワネットに別れを告げて」を観て

 フランス映画「マリー・アントワネットに別れを告げて」を観た。率直に言うと、さほど面白くはなかった。これなら映画館へ行かなくともレンタルのDVDやテレビ放送で十分、というのが私の感想だ。
 そもそも原作があまり面白くないのだ。シャンタル・トマの『王妃に別れを告げて(白水社)が原作で、この映画を観るために前もって読んだが、期待が大き過ぎたせいかあまり面白くなかった。でも、とても意味のある作品ではある。物語は、フランス革命が始まった1978年7月14日からの3日間のベルサイユ宮殿を主軸に描かれている。フランス革命は、王制下で特権を享受していた貴族と、貴族に搾取されて来た民衆のどちらの側から見るかで意味がまったく異なる出来事で、今までの歴史観はその2つのどちらかからの視点で語られて来たようだが、『王妃に別れを告げて』は王家に仕える平民の視点で描かれている。それだけでも意義のある作品だ。ベルサイユ宮殿の使用人達は、経済的には王家に依存している。主人からの覚えの目出度い者は貴族以上に王族に心酔し、目をかけてもらえない使用人は秘かに王族に反感を抱いている。それが革命を機に一挙に表面化し、あくまでも王家に忠誠を誓う者、盗みを働く者、仕事をサポタージュする者、宮殿から逃げ出す者など、使用人に限らず貴族も様々な反応をし、ベルサイユ宮の秩序は乱れていく。
 この歴史小説を読みながら、私は昨年の東日本大震災を思い出していた。私は職場にいて、揺れが収まった後、テレビでそれがマグニチュード9の地震で、被害は広範囲に及んでいることを知った。震源地の東北で津波で街が浸水されている映像を観て、東京の震度5の揺れは大したことではなかったのだ、とヘンに安堵した。
 未知の災難に襲われた時一番怖いのは、自分の置かれている状況が的確に把握できないことだ。地図もナビゲーターもなしに、見知らぬ土地に突然、置き去りにされたようなものだから。通信手段の発達した現代でさえ、あの地震の時は被災の中心地にはニュースが届かなかった。ましてフランス革命が起きたばかりのベルサイユでは、パリで起きた暴動の詳しいニュースは入って来ず、それがやがて自分達の生活に降りかかって来るであろう影響について予測し得た人は一人もいなかった。王権は神聖なものであったし、仮に一つの王朝が倒されることがあったとしても、「では、次の王様は誰?」というのが自然と浮かんで来る疑問だった。王制そのものが廃止されるとは、革命が起きた当初はほとんどの人は考えていなかったろう。東日本大震災に勝るとも劣らぬ未曾有の事件だったわけで、人々が混乱し、右往左往するのも無理はない。
 秩序が次第に崩壊していく「ベルサイユの3日間」というテーマ自体はとても面白いものだ。作者のトマはフランス文学者で、史実に忠実にベルサイユの暮らしを再現している。ただ筆致が論文風に、客観的に冷静に淡々と語られていくので盛り上がりに欠けるのだ。アレクサンドル・デュマのようなプロのエンターテイナーだったら「史実」はちょっと脇に置いて、虚実取り混ぜたストーリー展開で波乱に富んだ3日間を描き出せたろうに。この小説がフェミナ賞を受賞したのはまだ分かるとしてフランスでベストセラーになったのはちょっと驚きだ。フランス人はこんな理屈っぽい小説が好きなのか?
 映画はもう少しは面白いだろうと期待していた。確かに原作よりは面白かった。何より映像的に美しかった。実際にベルサイユ宮殿で撮影され、あでやかな衣裳の役者達が在りし日の宮廷を再現していた。夜は暗く、蠟燭の灯りだけが頼りの暗闇はラ・トゥールの絵そのものだった。あの光と闇のコントラストは、彼が日常的に目にしていた光景だったのだなぁと改めて思った。
 監督脚本はブノワ・ジャコーで、主人公のシドニー・ラボルトレア・セドゥが演じている。シドニー・ラボルトは王妃の朗読係の補佐役だ。孤児のシドニーはマリー・アントワネットに心酔している。母親のイメージの投影、若い女性が魅力的な年上の女性に抱く憧れ、平民の貴族に対する尊敬―そんな感情が一体となって一途に王妃を慕っている。マリー・アントワネットもその一途さやシドニーの若さを好ましく思い、可愛がっている。ただ、あくまでも主人と使用人という立場でだ。マリー・アントワネットが愛しているのは「親友」のポリニャク伯爵夫人だ。原作には登場しないゴンドラ―ベルサイユには人工の運河まであるのだ!―のハンサムな船頭に口説かれてシドニーの心はいくらか傾くが、彼はポリニャク伯爵夫人の情人だった。
 というように、シドニーが好きになる人達は既にポリニャク伯爵夫人のものなのだった。バスティーユが襲撃されるとマリー・アントワネットはポリニャク伯爵夫人の身を案じ、亡命を勧める。内心では「いいえ、王妃様のおそばを離れは致しませんわ」という抗議を期待していたのだが、ポリニャク伯爵夫人はあっさりと亡命に同意する。「親友」に見捨てられた王妃は深く傷つきながらもなおも友の道中を案じ、シドニーにポリニャク伯爵夫人の替え玉になってと頼む。ポリニャク伯爵夫妻は従者に変装し、シドニーがポリニャク伯爵夫人に成りすますのだ。有名過ぎる伯爵夫人が暴徒に見咎められ、生命の危機に晒された時の用心に。どこまでも王妃に付いていくつもりだったシドニーだったが、王妃の願いを断るには彼女を愛し過ぎていた。
 原作はシドニーが亡命後の余生を送るウィーンでの回想から始まるが、映画は亡命の途上で終わっている。国境か県境かどこかの関門で尋問を受けるが、シドニーはポリニャク伯爵夫人の役を毅然と演じ切り、ふたたび馬車の旅が続けられる。「わたしは朗読係。やがて何者でもなくなる」というナレーションで映画は終わる。
 これは女同士の精神的な三角関係のドラマだ。もっとも「三角関係」だと思っているのはシドニーだけで、王妃と伯爵夫人は二人の友情に平民なんぞ関わりようがないと思っているし、そもそもポリニャク伯爵夫人が王妃に「友情」を感じていたかどうかも疑わしい。ルイーズ・ヴィルジェ=ルブランが描いたポリニャク伯爵夫人の肖像画を見ると、マリー・アントワネットが好みそうな愛らしい容姿をしてはいるが、目が何かを語っている。そこに冷静な打算を読み取るのは、後世の人間の後知恵だろうか? もっとも打算と機転によって生き延びた人々が子孫を残していけるわけで、ポリニャク伯爵夫人が格別、悪人というわけではない。危機が迫ったら、まず我が身の安全を講じて危険地帯から逃げ出すべし、というのが先の震災でも得た教訓だ。だからフランス革命の初期に亡命した人達は、正しい状況判断をしたのだ。マリー・アントワネット達も暴動が起きたらさっさと亡命するか、あくまでも国王夫妻としてフランスに留まり、発想を切り替えてせめて立憲君主の座を確保すべく尽力すれば良かったのだが、いよいよどうにもならなくなってから逃げ出し、しかも失敗したものだから国民の反感を買い、ついに王制そのものが廃止されてしまったのだ。
 シドニーは架空の人物ではあるが、機敏なポリニャク伯爵夫妻と行動を共にしたおかげで生き延びた。原作ではその後のシドニーは回顧的な亡命フランス人になっているが、映画のラストはもう少し未来に期待を持たせる。報われぬ憧れに別れを告げ、マザーコンプレックスを克服し、教養のある平民の女性として等身大の生を生き始められそうな余韻があった。

 終映後、私は日比谷の映画館を出て銀座へ行った。クリスマスの三連休前の金曜日で、銀座の夜景でクリスマスの気分を楽しみたかったから。最近のイルミネーションはLEDの青白い照明がほとんどだが、銀座のメインストリートの街路樹のイルミネーションは昔ながらの黄色と赤の電球で、そのほうが温かみがあり、よりクリスマスらしく感じられた。去年の地震の後しばらくはコンビニエンスストアのネオンサインも消えていたのに、その翌年の年末には何事もなかったかのように工夫を凝らしたイルミネーションが銀座の夜を彩っている。つくづく日本は立ち直りの早い国だと思った。


2012年11月18日日曜日

The Sea

Yesterday I went to Odaiba and saw the sea after a long time.
I always feel a freedom and nostalgic when I see the sea because I was born in a port city.

2012年11月12日月曜日

ターナー風の眺め

 昨夜からの雨が今朝もまだまばらに降っていた。11月は「霜月」だが、霧の季節でもある。
今朝,通勤電車から見た雨上がりの間際の中央線沿線は、遠くの空と高層ビルがベールがかかったように霞み、まるでターナーの絵だった。
  夏目漱石の『坊っちゃん』にも、あの島はターナー風だと美学の教師が言うくだりがあるが、彼の絵が早くから日本人に好まれてきたのは、日本でも見かける馴染み深い景色が描かれていたからではないだろうか。
 先週の金曜日にBunkamuraザ・ミュージアムの『巨匠たちの英国水彩画展』へ行った。全体で8つのコーナーに分かれていたが、ターナーの作品は独立したコーナーになっていた。ポスターピースの「ルネツェルン湖の月明かり、彼方にリギ山を望む」(図)が一番よかった。

La Donna della Finestra

I went to an exhibition at Bunkamura the Museum on Friday night.
It was "The Real and the Imagined: Watercolours from The Whitworth Art Gallery" and I enjoyed British watercolours and drawings of 18th and 19th century.
I saw a young lady at the exhibition.
She watched "La Donna della Finestra", or "The Lady of the Window" (figure) by Dante Gabriel Rossetti. Her face looked remarkably like the portrait except for hair and eye colour. Her long wavy hair and eyes were black, and I imagined the goddess Diana.

2012年11月2日金曜日

ホーマーの「月光、ウッドアイランド灯台」

 

 東京都美術館の「メトロポリタン美術館展」へ行った。仕事帰りだったので閉館まで正味1時間、駆け足の鑑賞だった。それでもお目当てのアンリ・ルソーの絵、「ビエーヴル川の堤、ビセートル付近」はしっかり観た。その横に展示されていた「緑樹」というモリス商会のタペストリーも良かった。タペストリーは他にも何点かあった。ヨーロッパの古いタペストリーや刺繍が好きなのだが、実物を観る機会はあまりないので、思わぬ収穫だった。              
 思わぬ収穫はもう一つあった。ウィンスロー・ホーマーの絵(図)だ。ルソーの絵から受けた感銘や歓びは予期していたものだったが、ホーマーのは予期せぬ感動だった。会場の一番最後に展示されており、最後に強烈なパンチを食らって、「いや、参りました」という感じだった。
  この絵のタイトルは「月光、ウッドアイランド灯台」だが、月は描かれていないし、灯台は画面の奥に光がポチリと光っているだけだ。波の表面に流れる月光の帯と、画面の上の空を照らす月の暈が「月」を、波の彼方に見える煙草の火のようなオレンジ色の点が「灯台」を暗示している。直接、対象は描かずに間接的なもので主題を暗示するという手法は俳句的だ。そして、そういう技法に感銘を受ける感性は、まったくもって「日本人」である。この絵を選んだメトロポリタン美術館の学芸員はそうした日本人の感性をも弁えてこの絵を選び、美術展のフィナーレを飾る作品としたのだろうか?
 
 これはよく海を知っている人の絵だと思い、他にどんな絵を描いているのかとインターネットで検索したら、13年前の美術展で気に入って絵葉書を買った絵の作者だった。「夏の宵」という、やはり夜の海の絵だ。海岸で抱き合ってダンスをする2人の少女と、海面を照らす月光の帯が印象的な絵だ。

 こういうことが最近、よくある。美術展でいい絵を観て、その画家の作品を調べると、以前に行った美術展でやはり気に入って絵葉書を買っていた絵の作者だった、ということが。

 ホーマーの絵は鴨川の海を思い出させる。鴨川の海辺の高層マンションに住んでいる友人の家へ泊まりがけで遊びに行くことがあるのだが、その居間から見える夕暮れと夜の海はホーマーの絵そのままだ。だから彼は海が好きで、よく海へ行き、観察をしていたのだろうということがわかる。
 
 以前、ヘレンドの陶器展で観た絵皿には海上の帆船が描かれていたが、帆に風をはらんだ船は今にも前へ進もうとしているのに、波はちっとも揺れ動いていなかった。「この絵を描いたマイスターは海を見たことがなく、想像で描いた」という解説を読んで納得したが、想像だけで描いた絵はどこか不自然で迫力がない。
 同じ理由で、古い日本画の虎の絵にはあまり迫力がない。実際に虎を見た画家なんてあまりいなかったろうから仕方ないが。観る方も実物の虎は知らないから「虎」で通ってきたが、動物園でとはいえ虎を何度も見た現代人の目には「おそろしく大きな猫」に見える。

2012年8月25日土曜日

レーピン展-人の顔、心、人生というドラマ

  昨日、Bunkamuraザ・ミュージアムの「レーピン展」を観た。久し振りに「絵を見たァ~」という気になった。お茶漬けや野菜と魚ばかりの食事が続いた後で、久し振りに美味しいステーキを食べて満腹した、という感じだ。レーピンの写実的な描写力もすばらしいが、構図がとても上手い。「樫の森の十字架行進」や「船曳き」のような戸外の群集を描いた作品を少し離れた位置から観ると、ドキュメンタリーフィルムのワンシーンである。ドラマチックな一瞬を写実的に捉えていて、次の瞬間には絵の中の人々が動き出すのではないかと思う。その点はカラヴァッジョに似ているが、彼の題材は神話や伝説のようなテーマ自体がドラマチックで、レーピンのはロシアの日常生活の一瞬を切り取ってドラマチックに見せるのだ。どのアングルから捉えるのが最も効果的か、という構図を決める才能は天性のものなのだろうか? デッサンを観ると、より良い構図を求めて習作を重ねたのが分かるので、努力の賜物でもあろうが、それだけではない天賦の才を感じた。

 この美術展へ行くまで、私はイリヤ・エフィーモヴィチ・レーピンの名前を知らなかった。行く前日に展覧会のホームページで「思いがけなく」(図)を見て、この絵の作者だったのか、と気がついた。小学生の時に読んだ『美しい絵』という世界の名画を紹介した本に、この絵と「ヴォルガの船曳き」が載っていた。この絵のことは何十年も忘れていたので、懐かしかった。
 「思いがけなく」は、革命家の帰還を描いている。革命活動に身を投じ、二度と家に戻って来ないのではないかと思っていた主人が突然、帰って来る。思わず立ち上がる老母、「あっ、パパ!」と言う男の子、「このおじさん、だぁれ?」と警戒心を浮かべる女の子。父親の顔を覚えていられないほど幼い時に、父は家を出て行ったのだ。この子の表情がとてもいい。レーピンは自分の3人の子ども達をよく観察していたなと思う。
 ピアノを弾く手を止めて夫を見る妻の顔が一番、複雑だ。喜んではいるのだろうが、「なぜ、もっと早く帰って来て下さらなかったの? もう帰って来ないものと、平和な諦めのうちに落ち着いた暮らしをしていたのに・・・・・・」と言ってはいないだろうか。
 母子家庭の団欒の場に突然、帰宅した夫・父親・息子に対する家族のそれぞれの思いが、表情や眼差し、動作から読み取れる。私は偶然その場に居合わせ、その家族の秘められたドラマを見てしまった、気になった。
 
 彼の観察力の鋭さは、肖像画などの人物画に遺憾なく発揮されている。絵の中から人物が身を乗り出して雄弁に語りかけてくるので、肖像画を観ているのではなく、当人と向き合っている気になる。心を病んだアル中の「ムソルグスキー」の赤い鼻とモシャモシャの髪。軍服に勲章を連ねた「工兵将校アンドレイ・デーリヴィク」は、波乱に飛んだ豊かな人生経験を、青年時代の恋と冒険を、やがて政界でも頭角を現して要職を歴任した経緯を、“お若いの”に楽しげに話す。自分のやりたい事、やるべきだと思った事を力一杯してきた人なので、自慢話の嫌味がなく、聞いていて楽しい。麗しの「ピアニスト、ゾフィー・メンター」は勝気で口達者、華やで力強い演奏が聞こえてくる。その人物の社会的な身分や趣味が一目で分かる服装や髪型、アクセサリーなどに目を留める観察力、服装の生地の厚みまでもが感じ取れる写実的な描写力、人の心の中に分け入り、その人物の真実の姿を引きずり出して来る洞察力。
 彼の画中の人物は、誰もが意思的な目をしている。異母弟のピョートル大帝に幽閉された「皇女ソフィヤ」の目には、怒りが燃えている。この絵も歴史の本の挿絵として見たな。没後100年経っても200年経っても作品が愛され続ける画家は、絵が上手いだけではだめなのだと、シミジミ思った。人間や物事の真実を見抜く心眼、個々の人物や出来事から普遍的な人間性や真実に気づく深い洞察力や、人間への愛情がなければいけないのだなぁと思う。

  こんなに感性の鋭い人は、きっと繊細で内気で、どちらかというと気が弱かったのではないかと思う。学生時代に下宿していた大家の娘と結婚しているのを見ても、そんな感じがする。きっと内弁慶で、そういう男性によくあるように子どもをとても可愛がったようだ。歴史画や名士の肖像画も素晴らしいが、人物画は家族を描いた作品が一番いい。ポスターピースの「休息-妻ヴェーラ・レーピナ」の、絵のモデルを勤めているうちに居眠りしてしまった妻を観る眼差しには、優しさと愛おしみが溢れていて、彼の目には妻がかくも美しく映っていたのだろうなぁというのがよく分かる。もともと美しい女性には違いないが、きっと絵ほどではなかったろう。彼女の神々しいまでの美しさと若さと安らぎは、レーピンの心情の反映である。
 絵は写実的な真実の姿ではなく、画家の眼差しを通して観た人間や自然の姿である。物事を観るレーピンの眼差し、「ヴォルガの船曳き」のような底辺の人々にも向けられた温かな眼差しが、私には心地よかった。人間嫌いのアーティストも沢山いるが、彼はきっと人間が好きだったのだろう。友人も大勢いたようだ。

 会場には、所々にレーピンの言葉が貼られていた。次の言葉が彼の絵をよく表している。
 「人の顔、心、人生というドラマ、自然の印象、自然の生命と意味、歴史の精神-これらが私たちの主題であると思います。」

2012年8月19日日曜日

夏休み



「草(so)」というレストランへ行った。千葉県の鴨川に住んでいる友人が、「カレーの美味しいお店が地元にあるから来ない?」と言ってくれたので、夏休みに遊びがてら行って来た。「こんな所にレストランがあるのかしらん」と思うような山奥だった。外観は古風な田舎家で、室内はコロニアル風だった。壁も、高い天井も白く塗られ、テーブルは昔の小学校の木製の机を大きくしたような使い込んだ感じだ。食器は民芸調というか東南アジア風だ。インドの高原の別荘に来たような気持ちになって、四角い窓から外を眺めると、棚田のある典型的な山村風景が、紅茶茶園のあるインドの高原に見えた(写真)。気だるい暑さと、開け放った窓から扉へと吹き抜ける涼風のなか、カレーで少し汗をかき、チャイのシャーベットで身体を冷やした。
 その友人が以前に送ってくれた「草」の自家製ジャムが美味しかったので、ブルーベリージャムと夏みかんジャムを買った。「草」のは家庭の手作りの味で、工場で大量生産している有名ブランドのジャムよりもいい。友人の家に帰り、私のお手製スコーンに「草」のジャムを、買ったばかりのブルーベリージャムと、友人が以前に買った苺ジャムを塗り、「ルピシア」の紅茶を淹れ、アガサ・クリスティの「ハロウィーン・パーティ」のDVDを観た。
 帰京して、帰宅の途中で八百屋へ寄ったら、柿や梨が目についた。駅前では、阿波踊りの長い長い行列が踊りながら商店街を練り歩いていた。「夏も終わりだな」と思った。夜空に太鼓と鉦(かね)の音がよく響いていた。

2012年8月14日火曜日

小説と映画の「おはん」

 先週末に、市川崑監督の「おはん」をテレビで観た。前日に宇野千代の原作『おはん』(新潮文庫)を読み終えたばかりなので、すっと「おはん」の世界へ入っていけた。いつもながら、市川監督が文芸作品を映像化する手腕は見事だ。小説の世界の真髄を捉え、おおむね原作に忠実だが時には原作にはないエピソードを加え、それが作者自身も気づかなかったかもしれない登場人物の深層心理や性格を表現している。
 『おはん』は、一言で言うなら「子は鎹(かすがい)」の物語だ。あるいは、1人の草食系男子を巡る草食系女子と肉食系女子の三角関係のドラマだ。プラスとマイナスは惹かれ合うので、肉食系女子が最後に勝利する。
 粗筋は、草食系男子の幸吉が、芸者遊びがもとで別れた妻、おはん(草食系)と再会し、密会を重ねるうちに、情婦のおかよ(肉食系)と別れて再びおはんと所帯を持とうとするが、その引越しの日に2人の間の息子が亡くなる。幸吉はおかよのもとへ帰り、おはんは1人で町を出る、というものだ。幸吉がおはんとまた暮らしたいと思った大きな理由の一つは息子への愛着だ。引越の夜におかよの家へ戻るぐらい、2人の女の間で気持ちが揺れていたのだから、子どもが亡くなってしまうと、男への執着心がよりが強いおかよの方へ惹かれ、からめ捕られていってしまうのだった。
 この、おかよさんは甲斐性者だ。芸者で、紺屋の旦那だった幸吉と深い仲になり、前の旦那から貰った家で同棲を始める。抱えの芸者から自前の芸者になり、自分でも置屋を営んでいる。昼は家事に勤しみ、倹約して積み立てた金で2階を建て増しして夫婦の居間を造り、そこで朝から幸吉にモーションをかけたりする。今は古道具屋になった幸吉の店へ手作りの菓子を差し入れたり、雨の夜はお座敷着のまま傘を持って幸吉を迎えにも行く。姪を養女にして芸者に仕込むが、深く慈しみもする。愛情を求めることにも与えることにも貪欲な、婀娜っぽい年増だ。
 元妻のおはんは正反対のキャラクターだ。おそらく親の薦めで幸吉と見合い結婚をし、幸吉が遊び始めて、家運を傾けるとかそんな状況になったのだろう、親に強いられて里へ戻り、出産をする。実家は代々の米屋で、弟夫婦の代になっている。出入りの多い賑やかな家の中で、おはんは仕立物をしながら息子とひっそり暮らしている。器量も人柄も月並みなコプ付きの出戻りに再婚の話はなく、内気で控え目なために浮いた話もない。いたって堅気な商家の女だ。
 静と動のエモーションの間で揺れ動く男の気持ちは、映画のほうがよく分かった。大原麗子が演じるおかよはいい女だけれど気が強すぎて、石坂浩二演じる幸吉を顎で使うところがある。姪が田舎から出てきたシーンで、姪の荷物を幸吉に運ばせたり、姪の顔を拭く手拭いを持って来させたりする。現代の一応「対等な」夫婦関係ではよくある光景だが、戦後間もない時期の男性にとっては時々やり切れなくなって、吉永小百合演じるおはんのような弱々しい女に会い、「俺は男だ。エライんだぞ」という感覚を取り戻したくなる気持ちが理解できた。小説では、そこらへんの微妙な心理がよく分からないのだ。題名が『おはん』だし、語り手の幸吉はおはんのことを良いふうに描写しているので、「じゃ、なんでおかよさんときっぱり手を切れないのさ」と、もどかしい。
 題名は『おはん』だが、これは「おかよ」の物語なのかもしれない。宇野千代自身の生き方は、おかよ=肉食系だ。それに、なぜ語り手が男性なのだろう。作者は女性なのに。
 女性が書いた小説を男性が映画化したことで、両性の心理がより深く理解できるようになっている。映画のラストシーンは、おかよの姪のお披露目の日だ。晴れの装いでお座敷へ出るおかよと姪の乗る人力車の後を、幸吉が走りながら着いて行く。親譲りの紺屋を潰し、男としての最低限の自立性を担保する砦だった古道具屋も畳み、芸者屋の旦那というか箱屋になりきった幸吉が、情婦のおかよの後を身も心も追い掛けて行く。幸吉という男のキャラクターや生き様を見事に表したシーンだ。小説では、相変わらず細々と古道具屋を営んでいることになっている。これはこれで鄙びた味わいがある。小説の語り口は淡々として細やかで、映画ではよりビビッドでドラマティックになっている。小説家が創り上げた世界を壊さずに自分なりの解釈を加え、物語や人物を展開させていく市川崑の手腕は本当に大したものだ。

 私が男なら、おはんもおかよもお断りだ。それは現代を生きる中年女の感覚でそう書くのであって、この小説世界に住む男だったら、生活のパートナーにはおはんを選ぶ。おかよの方が人間としては魅力的だが、女性にしろ男性にしろ、強烈な自我の持ち主は周囲の人を振り回すので、身近で長いこと一緒にいると疲れるのだ。自分なりの目標や個性がはっきりした人は、それに寄り添って自分を支えてくれるおはんタイプのパートナーと相性が良く、逆に、これと言った人生の核を持たない人は、明確な目標や価値観を持って生き、強い牽引力で生活に彩りを与えてくれる人と相性がよいのだと、自分自身や身近な人々を見ていても思う。『おはん』のストーリー展開と結末はよく練られており、身近にもこんな事があるなぁと思わせる。宇野千代の観察力の鋭さと人生経験の多様さも、本当に素晴らしい。

 ところで、映画ではユーモラスな狂言回しで、三角関係の緊迫した空気に息抜きを与えてくれるおばあさんが、「落語家の春風亭昇太師匠のおかあはんでっか?」と思ったくらい顔が似ていた。配役を調べたら、ミヤコ蝶々だった。名前だけは知っていて大女優だと思っていたら、漫才師でもあったのね。

2012年7月21日土曜日

真珠の耳飾りの少女

昨日、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(左図)を観た。ポスターなどですっかりお馴染みになっているのでもう観たことがある気になっている、そんな絵の一つだった。そういう絵によくある
ように、思っていたよりはずっと小さな絵だった。
絵の前には長い行列ができていた。閉館間際には行列も短くなるだろうと、先に他の絵を観て回った。東京都美術館のリニューアルオープン記念の「マウリッツハイス美術館展」だったが、何が嬉しいといって、リニューアル後は金曜日の夜間開館をするようになったことだ。最近は夜間開館をする美術館が増えて便利になった、と喜んでいたが、夜間開館が普及しただけ閲覧者も増え、今回のような人気のある企画展は混んでいる。先月の「ボストン美術館展」では、「これじゃ、バーゲンセール時のデパートだ」と思ったが、今回もけっこう混んでいた。
マウリッツハイス美術館は、多くはないが選りすぐりの作品を所蔵している「絵画の宝石箱」だ、という解説の通り、確かな鑑識眼によって収集された作品群だった。小ぶりな絵が多かった。オランダの黄金時代の絵は裕福な市民の家に飾られていた物だから、教会や宮殿用の絵よりはずっとコンパクトで題材も分かりやすく、日本の家に置いても違和感がない。その親しみやすも日本で人気がある理由の一つだろう。特にフェルメールに人気があるのは、画面に漂う静謐さのためだろうか。茶の間の一角を切り取ったような日常生活の一コマ、静けさの漂う整然とした室内は、小津安二郎の世界と相通ずるものがある。
フェルメールはまた、ゾラが描写したレースの修繕をしている女を想い出させる。『居酒屋』の主人公ジェルヴェーズの隣人で、「白いレースや指先のこまかい仕事が静けさを反映したのかと思われるほど、貴婦人めいた物静かで色白な顔」をした寡婦だ。鍛冶工の息子と二人住まいの家はいつも塵一つないすがすがしさで、窓ガラスは鏡のように明るく光り、細かい手仕事が落ち着いた静寂を醸し出している。服もこざっぱりとして、収入の四分の一以上を貯蓄し、常に礼儀正しく、「厳格な誠実さと変わらぬ親切と勇気」を備えた一家だ。フェルメールを始めとしたオランダの画家達の絵から私が感じるのも、「勤勉、倹約、貯蓄、清潔、秩序正しさこそが美徳」という働く市民の世界観だ。

「真珠の耳飾りの少女」の前の行列は、閉館の20分前にはだいぶ短くなっていた。それでも絵の前で立ち止まることは許されず、その前をゆっくりと歩きながら観た。肩ごしに振り向く少女の瞳も、私を追っていた。モナ・リザの絵みたい、と思った。実物を観たことはないが、「モナ・リザ」も歩きながら観ると、彼女の目がその人を追っているように見えるそうだ。
「モナ・リザ」をダ・ヴィンチは生涯、手元に置いて手を加え続けたが、フェルメールも「真珠の耳飾りの少女」は亡くなるまで所有していた。この2枚の絵は、各々の作者のピュグマリオンだろうか? 画家の愛情や執着心が並々ならぬ生命力を絵に吹き込んでいるように思う。優れた作品の中でも特に人目を惹き、その前を立ち去り難くさせる絵には、そんな作者の想いが常に込められているのではなかろうか。

2012年7月19日木曜日

さくらんぼうの季節もそろそろ終わり

島根から帰ってスーパーへ行ったら、さくらんぼうが品薄になっていたので、「梅雨も間もなく空けて、本格的な暑さが来るな」と思った。今日、仕事帰りに新宿タカノへ寄ったら、桃のショートケーキやゼリー類が出ていた。もう、桃の季節なのだ。タカノのショーケースは、季節の移り変わりを教えてくれる。と言いつつ、今日もさくらんぼうを買った。今日はアメリカンチェリーだ。
タカノへ寄ったのはついでで、メインの用件の一つは紀伊國屋書店だった。中公文庫の「日本の歴史」シリーズ第1巻『神話から歴史へ』を買った。今年の初めにテレビドラマ「平清盛」に夢中になりかけて、このシリーズを読み通そう、として、『武士の登場』の巻だけ読み終えてそのままになっていた。島根への旅で古代にも興味が湧いたので、最初の巻も買ってみた。ちょうど『古事記』の話から始まっていて、帰りの電車の中で読み始めた。

2012年7月12日木曜日

出雲の龍神


先週、生まれて初めて「出張」をした。島根県松江市への3泊4日の旅だった。思いの外に自由時間が取れたので、出雲大社と島根県立美術館へ行った。梅雨時のせいもあってか日が出ていたのは初日だけで、後は曇りか雨だった。JR松江駅に近いビジネスホテルの10階に泊まったが、そんな街中でも高い建物は少なく、郊外の山並みまで見渡せた。その広い空を、低く垂れ籠めた灰色の雲が足早に流れて行く眺めは圧倒的だった。「出雲」や「八雲」という地名の由来が自然と分かる。
最後の晩は雷雨に見舞われた。ホテルで手紙の下書きをしていたが、落雷の眺めがあまり見事なので、部屋中の灯りを消して窓際へ行った。雷鳴が轟くたびに空一面が薄紫に照らされ、稜線の黒いシルエットが浮かぶ。時おり白い稲妻が落ち、雷が恐怖を覚えるほど間近に聞こえた。「龍神様のお通りだ」と自然に思った。一月前のボストン美術館展で観た曽我蕭白のダイナミックな龍の絵(「雲龍図」上図)や、行きの機内から見た、雲の波間に顔を出す尾根や地図帳そのままに青い海にくっきりと浮かぶ緑の半島がオーバーラップし、胴体をくねらせながら雨雲の上を飛んでいる龍を、目で見たように鮮明に感じた。龍の行く先々で雷が鳴り、視線は白い炎となって地上に落ちる。雨によって災いと実りをもたらす水の神。ずいぶんと胴の長い龍だった。
そんな神話的な雰囲気が土地全体に漂っているのを、旅行者は感じる。出雲大社一帯はその気配がことに濃厚だった。長いこと東京に住み、地名や街の造りや季節行事などから江戸時代を身近に感じていたが、出雲大社の境内の苔むして枯れかけた大木や、『古事記』にちなんだモニュメントの数々は、「100年や200年は歴史じゃないよ」と語っていた。英国の芝生のエピソードを思い出す。英国の邸宅の芝生の庭に感嘆した米国の金持ちが、手入れの秘訣を庭師に尋ねた。「水をやって、芝を刈るんです」というのが庭師の答だった。「これを500年、繰り返すんです」。そんな長い時間の堆積だけが醸し出せる聖なる空気が、境内に漂っていた。出雲大社だけではない、島根では至る所で『古事記』ゆかりの土地や地名、記念碑、キャラクターグッズなどを見かけるので、神話時代が実に身近に感じられた。
大社の近くの古代出雲歴史博物館では、島根で出土した朝鮮製の青銅の剣や鐸の数々を観た。羽田から鳥取の米子空港に着いたのだが、米子空港にはソウルへの直行便があり、機内やローカルバスでは韓国語のアナウンスも流れていたし、古来から朝鮮半島との交流が盛んな土地なのだ。そして朝鮮や中国が先進国だった時代には、大陸に近い出雲や九州の方が先進地域だったのを、机上の知識としてではなく実感した。関東地方を出たのが十年ぶりぐらいだったので、そんな狭い地域の中に閉じ込められて暮らしていると、東京こそが全ての物事の中心であると錯覚しかけていたが、関東とはまったく異なる文化圏や交流ルートがあるのを改めて思い出した。
同じく十年ぶりぐらいで乗った飛行機から地上を見下ろした時、「人間はなんてちっぽけな土地にしがみついて、些細な事でいがみ合っているんだろう」と思った。知らぬ間に溜まった精神の垢を洗い流せるのが、旅の効能の一つだ。

松江駅のデパートでは「月山錦」というさくらんぼを買った。名前だけ知っていた、あまり流通していない品種で、「これが、あの『月山錦』か!」と小躍りした(心の中で)。実は薄いレモン色で、甘酸っぱく瑞々しい味だった。
今回の旅で強く印象に残っているのは、この「月山錦」と雨の夜の龍神と出雲大社の佇まいだ。出雲大社の本殿は60年に1度の修繕中だった。修繕が終わる来年の5月まで、御神体の大国主命たちは仮殿住まいだ。仮りと言っても木造の立派な神殿だが、コミカルにものを考えるたちなので、10月になって集まった八百万の神々がプレハブの狭い仮設神殿で酒を酌み交わしているところを思い浮かべてみた。