2015年6月28日日曜日

「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」展で想ったこと


201567日(土)

親から愛されなかった子どもほど、親を慕い続けることがある。大人になった後も、老年になってからも。ヴァラドンとユトリロの母子関係はその典型だろう。
私はユトリロの作品は好きではない。嫌いとは言わないまでも、観る者を拒絶する彼の絵が心の琴線に触れことはない。「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」展へ行ったのは、母親のシュザンヌ・ヴァラドンの作品を観るためだ。彼女は人物画が得意で、描かれた人々は実に活き活きとして性格までも顔つきに表れている。「黒いヴィーナス」のような裸婦像は女好きの男性画家が描いたのかと思うほど生々しく、黒人の美女の体温や乳房の重量感、手足の筋肉の逞しさを間近に観ているように感じさせる。ヴァラドンは自分の生を十全に生きた人のようで――本当に「思うがまま」に生きられたのかは本人に訊いてみなければ分からないが――、熱い温かな血潮と大らかな感情が、どの作品からも伝わってくる。美貌と豊満な肢体でルノワールやロートレックなど一流の画家のモデルを勤め、彼らの恋人になったり絵を教わったり、2度の結婚と数多くの情事の中で画家として才能を開花させていったヴァラドンは、育児はほぼ自分の母親に任せきりだった。その寂しさからユトリロが十代からアルコール依存症になり、治療のために絵を描き始めたのは有名な話だ。
ヴァラドンは彼女なりに息子を愛していたし、それだからこそユトリロも母親を理想の女性として慕い続け、彼女の没後は描くより祈るほうが多かったという。ヴァラドンに私生児を産ませて省みなかったユトリロの実父のように、ヴァラドンも息子のことを全く省みなかったら、いっそユトリロは彼女を憎むなり諦めるなりしてきれいさっぱり親離れ出来たかもしれない。魅力的で愛情深く多血質のヴァラドンは恋と画業に心を奪われながらも、自分の母親や息子にも愛情を注いでいた。ただ、その愛情の量が息子にとってはあまりにも不足だったのだ。
出会う人々も出来事も貪欲に消化して自分の糧にしてしまうヴァラドンの作品と、自分の殻に閉じ籠って他人を拒絶するユトリロの作品群は互いに共鳴し合うこともなく、人気の少ない会場は寒々と感じられた。外に出ると雨はまだ降り続いていた。

この2人の母子関係について考えている間、マリア・テレジアを連想した。賢帝として名高く、情熱的な女性でもあり、舞踏会では徹夜で踊り明かしたり、初恋の男性と結婚して夫婦仲も睦まじく、16人の子どもを産み、彼女らをヨーロッパ各国の王室と縁組させてハプスブルグ家の隆盛を図った、公私共に精一杯、十全に生きた女性だった。ところが彼女の子ども達はあまり出来が良くないか、幸せとは言い難い結婚生活を送っていたりする。その典型がマリー・アントワネットだ。あれほど賢明な母親の娘がなぜあれほど愚かだったのか不思議に思うほどだが、あまりに多忙なマリア・テレジアは子ども達を愛してはいても一人一人に十分な愛情を注いでいる時間はなかったろう。もちろん、育児や教育は専属の乳母や教師が十分な世話をしてはいたろうが。結婚して他国に住み、親として君主としての圧倒的な力によって無言の圧力を加えていた母親から離れた子ども達が羽を伸ばして馬鹿な真似をしたくなる気持ちは良く分かる。

子どもを愛してはいても、それ以上に自分の生活を生きるのに忙しく、子どもが望むほどには十分な愛情を注いでやれない母親と、自分や夫の人生には不満足で、自分たちが叶えられなかった夢を子どもに託して過剰な愛情を注いだり、子ども自身の夢の実現を阻もうとする母親よりは、前者の方がはるかに良い親だとは思う。親自身の人生が充実していないと子どもに心理的に依存して、子どもの真の自立を妨げるからだ。ただシュザンヌ・ヴァラドンやマリア・テレジアのような並外れて自我が強く多忙な母親、というより圧倒的に強烈な個性の持ち主は身近にいる人々を何らかの形で犠牲にせずにはいられないのだ。それを「犠牲」とは感じない人もいれば、この人の個性に押し潰されるのはご免だと離れて行く人もいるのだろう。

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