2010年9月15日水曜日

秋が来た

今朝、目が覚めたら、虫の音が満ちていた。
今朝は、と言っても、もう昼に近い時刻だったが、パンケーキを焼いた。栗の渋皮煮を作ろうと思って、昨日、メープルシロップを買い、味見をしているうちにパンケーキを食べたくなったのだ。
最近はすっかりご飯党になっているので、パンケーキを焼くのは久し振りだ。子どもの頃、日曜日の朝食はパンケーキとオニオンスープだった。それでパンケーキを焼くと、日曜の朝ののんびりした雰囲気が蘇る。家の裏庭には無花果の樹が一本あった。今でも無花果を食べると、もいだばかりの実を庭の蛇口で洗って登校前に食べた、小学生の夏の朝の情景が思い出される。今日は無花果のコンポートも作った。赤ワインで煮たのだが、香りづけにシナモンと八角を入れた。八角、またはスターアニスは中華料理によく使われる香辛料で、前から気になっていたのだが、今日、初めて買ってみた。癖のある独特の甘い香りが気に入った。

先日、『作家のおやつ』(平凡社)という本を読んだ。薄手のムックで、ほぼ一晩で読んだ。いい企画だと思った。作家、随筆家、詩人、翻訳家、映画監督、漫画家など、なんらかの形で「書く」ことに携ってきた著名人達のお気に入りのおやつを、豊富な写真と、身近にいた人々のエッセイで紹介しており、食べ物への嗜好や、それに対する態度から、その人の人柄や生活ぶりがぼんやりと浮かび上がってくる。まさにブリア=サバランの言うごとく、「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言い当ててみせよう」だ。

この本を読んで感じたのは、人間の味覚は意外に保守的なものだということだ。だいたいが、その人が育った家庭や土地でよく食べたお菓子や果物を、終生好んでいる。よく言われる「故郷の味」「おふくろの味」というやつだ。そうして、この本で取り上げられている著作家達はだいたいが中産階級出身の知識人なので、目の玉が飛び出るような高価なお菓子や珍味というのはなかった。仕事の合間につまめる小型の菓子―キャンディー、クッキー、プティフール、老舗の上生菓子、地方の銘菓、お煎餅などだ。
いちばん興味深かったのは森茉莉の項だ。彼女の食にまつわるエッセイは繰り返し読んだので特に目新しい点はないが、文字の上でだけ知っていたお菓子を写真で見るのは新鮮な感じがした。森茉莉の味覚は信用できるので、彼女が薦める料理やお菓子は食べたり作ったりしてみようという気になるし、自分の好物を彼女も好んでいたのを知ると嬉しい。彼女は、紅茶はプリンス・オブ・ウェールズを好み、シュークリームが好きだったというが、私もそうだ。明治時代のレシピ通りのシュークリームを作り続けている自由が丘風月堂の「シュ・ア・ラ・クレーム」の写真が載っていて、それを見つつ、森茉莉のエッセイを読み返しているうちに、「卵黄と、牛乳と、ヴァニラの香いが唇一杯にひろがる」カスタードクリームを食べたくなった。ふだんは、さほどカスタードクリームが好きではないのだが、森茉莉の文章は、それがさほど美味しい物ではないと知ってはいても食べたくなってしまう、味覚のイマージネーションを掻き立てる力が抜群なのだ。

と言うわけで、今晩のデザートは桃のグラタンだった。カステラに桃のコンポートを乗せてカスタードソースをかけ、グリルでさっと焼いた物だ。数年前に買ったお菓子作りの入門書に載っていたレシピで、いつか作りたいと思っていた。数日前に作った桃のコンポートが余っていたし、カスタードが食べたかったのでちょうどよかった。簡単にできるわりに見栄えが良く、まぁ美味しかった。
それにしても数日前まではオーブンを使うと暑苦しくて不快だったのに、今日はそんな感じはなかった。夕方から降り出した雨のために肌寒いくらいだ。いよいよ秋だなぁ。明日は栗の渋皮煮を作ろう。

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