2011年8月21日日曜日

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」を観て


久々に映画で感動した。「エディット・ピアフ 愛の賛歌」のDVDを観たのだが、エディット・ピアフの生き方も壮絶なら、主演女優の演技も素晴らしかった。大道芸人の娘が歌の才能ゆえに明るみに引き上げられ、脚光を浴び、批判に曝され、毀誉褒貶のなかを闘い、生き、愛し抜いた、愛に飢えたか弱き女、傲慢で偉大なアーティストの一代記だった。祖母の娼館での幼年時代、大道芸人の父親との旅暮らし、芸を売るか身を売るか、「歌手か娼婦か」というパリの街角の流しの歌手からキャバレーの、コンサートホールの歌手へと変貌し、米国公演も成功し一流の人々と知り合い、フランスへ帰国すれば報道陣のフラッシュを浴びるスターになったが、心から愛し愛された人々との度重なる別離に激しく傷つき、酒と麻薬とロクデナシの男に溺れては身心を破壊させ、歌の力によって甦る「歌に生き、恋に生き」た歌姫の、ステージと人生の軌跡をフラッシュバックさせながら、過去と現在がジクザグに進むストーリー展開も良かった。私は蓮の花の譬えを思い出した。蓮が水底の泥から養分を吸って美しい花を咲かせるように、芸術家は現実の泥沼との苦闘から己の才能を開花させる、というものだ。

このDVDを観たきっかけは、石井好子氏のエッセイだった。先週から続けて3冊、石井氏のエッセイを読んだが、『パリ仕込みお料理ノート』(文春文庫)に、交際のあったシャンソン歌手達のことが記されていて、久し振りにシャンソンが聴きたくなったのだ。
学生時代の一時期はシャンソンをよく聴いていた。宝塚に凝って、タカラジュンヌ達が歌うシャンソンに馴染み、仏文科の学生で、今はなき銀巴里(というシャンソン喫茶)でアルバイトをしていた友人から借りたシャンソンのテープをダビングしては聴いたりしていた。それは銀巴里のライブコンサートや、エディット・ピアフやダミアの歌だった。その時はハイカルチャーの音楽に浸っているつもりだったが、石井氏のエッセイを読んで、「シャンソンって日本の演歌に当たる庶民の歌だったのね」と思った。エンリコ・カルーソーのCDを聴いた時も同じことを思った。彼の歌い方は自由闊達で庶民的で、八代亜紀の歌い方を連想させ、「オペラ歌手って演歌歌手のようなものだったのね」と軽いショックを受けた。日本ではスーパーで売られている資生堂の化粧品が、東南アジアでは高級ブランドになっているそうだが、外国の文化はハイカルチャー的なものになってしまうらしい。

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」を観て、タカラジュンヌ達が歌っていたシャンソンの多くがエディット・ピアフのレパートリーだったことを知った。宝塚に凝っていた時期は、他の芝居や映画にも熱中していた。それは今までの人生で最も重苦しい時期の一つで、現実から一時でも逃れるために劇場や映画館へ通ったのだ。芝居や映画が私の麻薬だった。
シャンソンを聴くと、あの頃の重苦しい気持ちを思い出す。わけても「パダン、パダン」のメロディーは、あの頃の何かに追われるような気持ちそのものだ。当時は歌詞の意味を知らなかったが、いま調べたら、こんな内容だった。

「そのメロディーは昼も夜も私の頭から離れない、私が行く所どこにでもついて来る。いつかそれは私を狂気に陥らせるだろう。いつも私の前に同じように現れ、その声は私の声をかき消す。パダン、パダン、パダン。それは走りながら私の後ろからやって来る。パダン、パダン、パダン……。」

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