2012年7月12日木曜日

出雲の龍神


先週、生まれて初めて「出張」をした。島根県松江市への3泊4日の旅だった。思いの外に自由時間が取れたので、出雲大社と島根県立美術館へ行った。梅雨時のせいもあってか日が出ていたのは初日だけで、後は曇りか雨だった。JR松江駅に近いビジネスホテルの10階に泊まったが、そんな街中でも高い建物は少なく、郊外の山並みまで見渡せた。その広い空を、低く垂れ籠めた灰色の雲が足早に流れて行く眺めは圧倒的だった。「出雲」や「八雲」という地名の由来が自然と分かる。
最後の晩は雷雨に見舞われた。ホテルで手紙の下書きをしていたが、落雷の眺めがあまり見事なので、部屋中の灯りを消して窓際へ行った。雷鳴が轟くたびに空一面が薄紫に照らされ、稜線の黒いシルエットが浮かぶ。時おり白い稲妻が落ち、雷が恐怖を覚えるほど間近に聞こえた。「龍神様のお通りだ」と自然に思った。一月前のボストン美術館展で観た曽我蕭白のダイナミックな龍の絵(「雲龍図」上図)や、行きの機内から見た、雲の波間に顔を出す尾根や地図帳そのままに青い海にくっきりと浮かぶ緑の半島がオーバーラップし、胴体をくねらせながら雨雲の上を飛んでいる龍を、目で見たように鮮明に感じた。龍の行く先々で雷が鳴り、視線は白い炎となって地上に落ちる。雨によって災いと実りをもたらす水の神。ずいぶんと胴の長い龍だった。
そんな神話的な雰囲気が土地全体に漂っているのを、旅行者は感じる。出雲大社一帯はその気配がことに濃厚だった。長いこと東京に住み、地名や街の造りや季節行事などから江戸時代を身近に感じていたが、出雲大社の境内の苔むして枯れかけた大木や、『古事記』にちなんだモニュメントの数々は、「100年や200年は歴史じゃないよ」と語っていた。英国の芝生のエピソードを思い出す。英国の邸宅の芝生の庭に感嘆した米国の金持ちが、手入れの秘訣を庭師に尋ねた。「水をやって、芝を刈るんです」というのが庭師の答だった。「これを500年、繰り返すんです」。そんな長い時間の堆積だけが醸し出せる聖なる空気が、境内に漂っていた。出雲大社だけではない、島根では至る所で『古事記』ゆかりの土地や地名、記念碑、キャラクターグッズなどを見かけるので、神話時代が実に身近に感じられた。
大社の近くの古代出雲歴史博物館では、島根で出土した朝鮮製の青銅の剣や鐸の数々を観た。羽田から鳥取の米子空港に着いたのだが、米子空港にはソウルへの直行便があり、機内やローカルバスでは韓国語のアナウンスも流れていたし、古来から朝鮮半島との交流が盛んな土地なのだ。そして朝鮮や中国が先進国だった時代には、大陸に近い出雲や九州の方が先進地域だったのを、机上の知識としてではなく実感した。関東地方を出たのが十年ぶりぐらいだったので、そんな狭い地域の中に閉じ込められて暮らしていると、東京こそが全ての物事の中心であると錯覚しかけていたが、関東とはまったく異なる文化圏や交流ルートがあるのを改めて思い出した。
同じく十年ぶりぐらいで乗った飛行機から地上を見下ろした時、「人間はなんてちっぽけな土地にしがみついて、些細な事でいがみ合っているんだろう」と思った。知らぬ間に溜まった精神の垢を洗い流せるのが、旅の効能の一つだ。

松江駅のデパートでは「月山錦」というさくらんぼを買った。名前だけ知っていた、あまり流通していない品種で、「これが、あの『月山錦』か!」と小躍りした(心の中で)。実は薄いレモン色で、甘酸っぱく瑞々しい味だった。
今回の旅で強く印象に残っているのは、この「月山錦」と雨の夜の龍神と出雲大社の佇まいだ。出雲大社の本殿は60年に1度の修繕中だった。修繕が終わる来年の5月まで、御神体の大国主命たちは仮殿住まいだ。仮りと言っても木造の立派な神殿だが、コミカルにものを考えるたちなので、10月になって集まった八百万の神々がプレハブの狭い仮設神殿で酒を酌み交わしているところを思い浮かべてみた。

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