ように、思っていたよりはずっと小さな絵だった。
絵の前には長い行列ができていた。閉館間際には行列も短くなるだろうと、先に他の絵を観て回った。東京都美術館のリニューアルオープン記念の「マウリッツハイス美術館展」だったが、何が嬉しいといって、リニューアル後は金曜日の夜間開館をするようになったことだ。最近は夜間開館をする美術館が増えて便利になった、と喜んでいたが、夜間開館が普及しただけ閲覧者も増え、今回のような人気のある企画展は混んでいる。先月の「ボストン美術館展」では、「これじゃ、バーゲンセール時のデパートだ」と思ったが、今回もけっこう混んでいた。
マウリッツハイス美術館は、多くはないが選りすぐりの作品を所蔵している「絵画の宝石箱」だ、という解説の通り、確かな鑑識眼によって収集された作品群だった。小ぶりな絵が多かった。オランダの黄金時代の絵は裕福な市民の家に飾られていた物だから、教会や宮殿用の絵よりはずっとコンパクトで題材も分かりやすく、日本の家に置いても違和感がない。その親しみやすも日本で人気がある理由の一つだろう。特にフェルメールに人気があるのは、画面に漂う静謐さのためだろうか。茶の間の一角を切り取ったような日常生活の一コマ、静けさの漂う整然とした室内は、小津安二郎の世界と相通ずるものがある。
フェルメールはまた、ゾラが描写したレースの修繕をしている女を想い出させる。『居酒屋』の主人公ジェルヴェーズの隣人で、「白いレースや指先のこまかい仕事が静けさを反映したのかと思われるほど、貴婦人めいた物静かで色白な顔」をした寡婦だ。鍛冶工の息子と二人住まいの家はいつも塵一つないすがすがしさで、窓ガラスは鏡のように明るく光り、細かい手仕事が落ち着いた静寂を醸し出している。服もこざっぱりとして、収入の四分の一以上を貯蓄し、常に礼儀正しく、「厳格な誠実さと変わらぬ親切と勇気」を備えた一家だ。フェルメールを始めとしたオランダの画家達の絵から私が感じるのも、「勤勉、倹約、貯蓄、清潔、秩序正しさこそが美徳」という働く市民の世界観だ。
「真珠の耳飾りの少女」の前の行列は、閉館の20分前にはだいぶ短くなっていた。それでも絵の前で立ち止まることは許されず、その前をゆっくりと歩きながら観た。肩ごしに振り向く少女の瞳も、私を追っていた。モナ・リザの絵みたい、と思った。実物を観たことはないが、「モナ・リザ」も歩きながら観ると、彼女の目がその人を追っているように見えるそうだ。
「モナ・リザ」をダ・ヴィンチは生涯、手元に置いて手を加え続けたが、フェルメールも「真珠の耳飾りの少女」は亡くなるまで所有していた。この2枚の絵は、各々の作者のピュグマリオンだろうか? 画家の愛情や執着心が並々ならぬ生命力を絵に吹き込んでいるように思う。優れた作品の中でも特に人目を惹き、その前を立ち去り難くさせる絵には、そんな作者の想いが常に込められているのではなかろうか。
2008年8月3日日曜日
フェルメール展

昨日は、東京都美術館のフェルメール展へ行きました。初日のせいか、午前中から混んでいました。フェルメールの作品には子どもがほとんど描かれいていないが、実際には12人の子どもがいたという解説を読んで、彼の作品は実生活の反転画でないかと思いました。1ダースもの子どもがいたら家の中が静かになる時は一時だってなかったはずで、彼の作品に漂う静謐さは、実生活の裏返しの願望を描いたものではないかと感じられました。
フェルメール展でいつもがっかりするのは、フェルメール自身の作品が少ないことです。現存作品が三十数点で、それが世界中の美術館に散っているとあっては仕方のないことですが。その点、今回の企画展はまあ良かったです。40点の出展作品中、8点がフェルメールでした。今まで見たことのなかった構図や題材の作品もありましたが、一番いいと思ったのは上の「リュートを調弦する女」です。窓際の机の前で女性がリュートを調弦している、「これぞフェルメール」という定番の構図です。
その後、ブリティシュ・カウンシルへ行き、帰りにクリスティの『無実はさいなむ』(ハヤカワ文庫)を買いました。大筋は『スタイルズ荘の怪事件』に似ています。慈善家妻夫と、その養女と養子で構成された不自然な大家族があり、その女家長が殺害される。犯人とされた養子の一人が獄死した後、彼の無実を信じる証人が現れて捜索が再開される、というストーリーです。まぁ、意外な結末と言えましょうか。話の展開より、登場人物の個性と心理描写が面白かったです。養女の一人、ヘクターの台詞は真実をついていて、ハッとさせられました。「わたしって、とても弱い性格なの。いつでも一番手っとり早いことをするの」
2008年7月27日日曜日
André Bauhchant

The right painting is 'Fruits and flowers on round fruit dishes in front of Lavardin Castle' by Bauhchant. I bought the postcard.
2008年7月4日金曜日
ニコ・ピロスマニ―グルジアの素朴派

「子供たちは丈の高い草を分けて来るので、やっと見分けのつくものもいれば、道路づたいに来るものもいたが、みんなパンの包みや、ぼろきれで栓をしたクワス[注]の瓶を、重そうに手にさげていた。」(木村浩訳、アンナ・カレーニナ (中巻) (新潮文庫)
[注]クワス・・・本式にはライ麦と麦芽、家庭では黒パンとイーストを醗酵させて作る清涼飲料で、アルコール度1~2.5パーセント。コーラか、気の抜けたビールのような味だそうです。
ピロスマニはグルジアの画家で、今日行ったBunkamura ザ・ミュージアムの「青春のロシア・アヴァンギャルド」展で知りました。この作品自体は出展されていませんが、同じようにグルジアの風物を、独習者らしい素朴な筆致で描いた作品が10点まとめて展示されており、その一角だけ「これぞ、ロシア」という感じがしました。土着の人間が土着の風物を描く強烈さに比べると、他の「アカデミックな」画家の作品の印象は色褪せ、西欧の亜流品という感じがしました。
展示作品の中で気に入ったのは、「コサックのレスラー、イヴァン・ポドゥーブニー」と「祝宴」です。前者は残雪を頂いた山脈を背景にしたコサック人の全身像、後者はダ・ヴィンチの「最後の晩餐」風に正面を向いて祝卓に連なった男達の絵です。
ピロスマニはアンリ・ルソーに譬えられる素朴派で、私はルソーも大好きです。また別の素朴派、アンドレ・ボーシャンも。というわけで、自分が素朴な絵が好きなことに、今日初めて気がつきました。もっとも、私以外にはどうでもいい事ですが。でも大半のブログって、本人以外にはどうでもいいコトを書くためにある、んですよね?
というわけで、些事をついでに書いておくと、今日、初めてTRADOS(トラドス)を使いました。翻訳支援ソフトで、実務翻訳の求人条件によく「TRADOSの実務使用経験のある方」とあるので、使い方を覚えなくては、と昨年から思っていました。解説本を買ってそのままになっていたのが、今日よくやく役立ちました。
Bunkamura 青春のロシア・アヴァンギャルド
2008年6月29日日曜日
コローの複製画

友人と、国立西洋美術館の「コロー――光と追憶の変奏曲」展へ行った。記念に、右の「ヴィル・ダヴレー――水門のそばの釣り人」の小ぶりな複製画と絵葉書を買った。複製画を買ったのは15年ぶりだ。飽きっぽいので、見飽きたら実用に回せる絵葉書と違って買わないようにしていたのだが、買ったのには訳がある。コローは晩年になっても「周りの人を幸せにしたい」と言っていた、と音声ガイドが解説していた、と友人が言ったからだ。見るたびに「人を幸せに」という気持ちを思い出すように、と絵葉書よりインパクトのある複製画も買った。
「幸福」について、ここ数ヵ月来考えている。尊敬している方がよく言及しているからだ。「日本と日本人を元気にしたい」と公務員になり、その後ベンチャー企業、某社社長へ転身された方で、この20年間にやって来たことは一貫して「日本と日本人を幸せに」ということだった、とおっしゃっている。理想主義者はえてして身近な人からは敬遠されるものだが、この方は身近な人々からも好かれ、尊敬されいてる。「幸福にしたい日本人」の中にはご自身も含まれているはずで、この方にとっての幸福の形態とは何だろう、そして私自身にとっての幸福は、私が周囲の人々を幸福にできるとしたらどんなことか、を考えてきた。幸福の形態は人それぞれだ。私にとっては、精神的な事柄も含めて、できる限り美しく洗練されたものに囲まれて暮らすことだ。それと、周囲の人々との幸福はどう結び付くのだろう?
その答えをコローがくれた。絵を描くことが、彼流の他人を幸せにする方法だった。確かに、私は彼の絵で幸せになった。「ヴィル・ダヴレー――水門のそばの釣り人」を観た時は絵の中へ引きずり込まれた。森の池の小船で釣りをする男の絵だが、画家がこの土地をよく知っているのが伝わって来る。旅先の絵やコンクール出展用の凝った大作より、画家がよく知っている土地や人々を描いた作品のほうが真実味があって心の琴線に触れるのだが、そんな絵だった。パリ近郊のヴィル・ダヴレーにはコローの父親の別荘があり、彼もよく訪れていた土地だ。そこを題材にした他の絵も、土地をよく知っている者の視線で描かれているので、懐かしさを感じたほどだ。その中でも最も惹かれたのが「水門のそばの釣り人」で、絵の中に入り込みたい心地だった。美術展で一つでもそんな作品に巡り合えたら幸運だ。
このところ憂鬱で、昨夜はコロー展行きを延期してもらおうかと思ったほどだが、行って良かった。絵が好きな人間は絵を観るべきだ。いい絵を観れば幸福になれる。いい絵とは、画家の魂が込められた絵だ。心が込められた絵、音楽、料理、言葉――真心が込もったものは全て人を感動させ、幸福にさせる。他人を幸福にする方法も人それぞれだ。私は気持ちのいい言葉と行動で、心を込めた応対、心をこめた仕事ぶりなどで周囲を幸福にできる。そのためには感謝を忘れないこと。日々接する人を幸福に、という気持ちを忘れぬように――なにしろ私は忘れっぽいので――と、コローの複製画を買った。彼が「周りの人を幸せにしたい」と言っていたことを教えてくれた友人にも、感謝した。
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