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2008年7月26日土曜日

ウクライナ大使館のパーティー

 昨夜、ウクライナ大使館のパーティーへ行ってきました。大使館は六本木ヒルズに近い、各国の大使館が集まっている所にあり、久しぶりに六本木へ行きました。右は会場にいた、民族衣装の人形です。
 パーティーは、そうですね、期待が大き過ぎたせいでしょう、まずまずというところでした。ご馳走も飲み物もふんだんにありましたが、クワスはなく、ワインはオーストラリア産でした。なんて、文句を言ってはいけません。大使館の方達は熱心にもてなして下さったし、ウクライナ料理もおいしかったです。いかにもロシア的だと思ったのは、ロシア風餃子ワレーニキとキノコのマリネ、ビーツのサラダでした。ワレーニキはひき肉入り、チーズ入りの物の他に、アメリカンチェリー入りの物がありました。デザートのワレーニキを頂いたのは初めてです。一番おいしかったのは・・・・・・鰊の酢漬けでした。これを読んだら、ご馳走を作って下さった大使館の方々はがっかりするかもしれませんが、たんに味覚の問題です。私は火を通さない生に近い食感が好きで、ステーキはいつもレアです。

 パーティーの始めに挨拶をされた参事官の言葉はロシア語に聞こえましたが、後で書記官に伺ったらウクライナ語でした。この書記官は日本に赴任して4年目で、日本語が巧みな方でした。イタリア人のカメラマンが撮影に来ており、イタリア語を話すチャンス!でしたが、彼の日本語のほうがよほど達者だったので、日本語の会話になりました。彼も日本在住4年目で、それぐらい住めば外国語も流暢に話せるようになるものかと思いました。

 食後に、ウクライナを紹介するDVDを観せて頂きました。首都キエフと、黒海に面した二つの港町オデッサとヤルタに焦点を当てて、ウクライナの歴史と文化を解説していました。キエフには国立歌劇場があり、毎夜どこかでオペラやバレエが演じられているそうですが、このDVDを観る限り、ウクライナはロシアというよりヨーロッパという感じでした。ソ連邦解体後、いち早く独立したのも頷けます。でもヨーロッパの一国という観点から見たら、たぶんにロシア的な文化圏なのでしょう。
 このDVDで、ヤルタはチェーホフの「犬を連れた奥さん」の舞台だと言っていたので、帰宅後に読み返しました。この海辺の保養地の暖かな気候や、洗練され開放的な街の雰囲気を知った後では、冬と因習に閉ざされたモスクワからやって来た中年のグーロフが、ヤルタで若い人妻アンナと恋をしたのがごく自然に、身近に感じられました。

2008年7月24日木曜日

ウクライナ

 「その国の文化を知る秘訣は酒にある」と、あるルーマニアの外交官が言っていました。ワインの産地で生まれ、子どもの頃からワインを嗜んでいたという方で、赴任先の国々の酒と料理を楽しんでいるとのことでした。この方から、「越後さむらい ナポレオン」という新潟のお酒を教えて頂きました。ちょうど、中越地震があった頃です。いまだに、このお酒は飲んでいませんが。

 私がある国の文化を知る術は何だろうと考え、文学だと思いました。それ以来、他の国の方々とお会いするパーティーの前には、その国の小説を一冊は読むようにしています。明日はウクライナ大使館のパーティーですが、アルク翻訳大賞の課題の翻訳で手一杯だったので、何も読んでいません。ですが、数年前にアンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』(新潮社)を読んでいました。動物園から譲り受けた憂鬱症のペンギンと暮らす売れない作家の話で、ソ連邦崩壊後の何かと物騒な世情を背景に、作家が次第にギャングの抗争に巻き込まれていく話です。以前、ブリティッシュ・カウンシルのレッスンの前に、ロビーでBBCの衛星放送を見ていたら、ロシアの確か銀行家が暗殺された、というニュースが流れていました。隣りで見ていたロシア人のクラスメイトが、「また殺されたの」と言っていましたが、一見平穏な市民生活の裏に死が潜む、そんな時代の雰囲気が伝わってくるお話です。今は、どうなっているのでしょう?

 ゴーゴリーもウクライナの作家です。『外套』などの代表作は読みましたが、あまり好きでありません。話が貧乏臭いんですもん。ビンボーは現実の生活だけで沢山。

 大使館のパーティーでは、その国に関する懸賞クイズがあるので、ざっとおさらいをしました。ウクライナは旧ソ連邦南端の、黒海や東欧諸国に接した農業国です。食文化が豊かでボルシチが有名ですが、私のお目当ては7月4日のブログで書いたクワスと、ウクライナワインです。翻訳大賞の翻訳が一通り終わったので、明日は心置きなく飲むぞ!

2008年7月15日火曜日

近況報告―って誰への?

 昨日、美術展のチケットを買いました。東京都美術館の「フェルメール展」と、国立新美術館の「ウィーン美術史美樹館展」のです。今から行くのが楽しみです。
 また、先週末に木のいのち木のこころ〈天〉(草思社)を読み終えました。代々、法隆寺の宮大工だった西岡常一氏の聞き書きです。
 シャーロック・ホームズの"The Case-Book of Sherlock Holmes" (シャーロック・ホームズの事件簿) を、あと少しで読み終えそうです。数年前からホームズ・シリーズの原著を読みつつ、BBCのラジオドラマのホームズ・シリーズのCDやテープを聴いています。初めの頃は遅々として進まなかったのが、最近は以前よりはスラスラ読めるようになり、いま4冊目を読み終えつつあるところです。飽きっぽい自分としてはよく続いていると思うのですが、プロの翻訳家としては恐るべき読書スピードの遅さです。道はまだまだ遠い・・・・・・。
 

2008年7月7日月曜日

かものはしとは?

 先日、かものはしの会員になりました。正式名称「かものはしプロジェクトは、カンボジアの児童買春の被害を根絶する活動をしているNPOです。
 日本も戦前までは、貧しい親が幼い娘を売るということはよくありました。少女たちは置屋や遊郭で、芸者や遊女の見習いとして芸や礼儀作法を仕込まれた後、年頃になって「御目見え」させられたのですが、カンボジアの場合は待ったなしです。5、6歳でも客を取らされ(!)、抵抗すれば電気ショックのお仕置きを受け、HIVに感染したり、辛さを忘れるために麻薬に走ったり、自殺する子もいます。婚前交渉した女性は結婚できないという風潮のため、その後の人生は大きく歪み、HIV感染者の母親から、母子感染した子が生まれることもあります。
 当人も家族も、そんな事は望んでいません。では、なぜそんな事が行われているかと言えば、強制売春がはびこる社会に共通していること、貧困と女性の地位の低さが原因です。特にカンボジアは内戦の影響で、父親が亡くなったり、長い間行方不明になっていたり、また実質的な一夫多妻が容認されているため、父親はいても十分な援助が受けられない、というケースもあります。母親が働こうにも農村には仕事がなく、年長の子どもが都市へ出稼ぎに出ざるを得ない、そこで騙されて性産業へ売り飛ばされる被害者が跡を絶たないのです。
 「かものはし」が主に行っているのは、農村に「コミュニティファクトリー」という職業訓練と仕事を提供する場を造ることです。そこで藺草[いぐさ]や水草でハンドバックやゴザなどの手工芸品を作り、それを売った収益でファクトリーを経営して、村人の経済的・精神的自立を促すのが目的です。
 資金調達のために会費制の会員や寄付も募っていますが、 ウェブ制作会社も運営しています。社会問題解決のためにビジネスを立ち上げる「社会起業(ソーシャルベンチャー)」を、私はかものはしによって知りました。