2010年5月31日月曜日

アンリ・ルソー―熱帯への夢                 「オルセー美術館展2010―ポスト印象派」展を観て


先週の金曜日、久し振りに国立新美術館へ行った。オルセー美術館展を観るためだ。お目当てはアンリ・ルソーの「蛇使いの女」(右図)だ。この絵は子どもの頃から好きだった。熱帯の風物の絵やデザインが好きなのだ。それも現地の人が描いたのではなく、異邦人の目というプリズムを通して見た、楽園としての熱帯が。
以前、ベラルーシ料理店でパーティーがあったとき、クイズの景品として大判の布巾を頂いた。北国の陽の淡さを想わせる淡い薄緑の地に、棕櫚の枝にぶらさがる猿が大きく織り出され、両縁のボーダーに象、象亀、虎などのシルエットがオレンジ色で織り出された物だ。このデザインに北方人の南国への憧れを感じたが、ルソーの熱帯の絵もまさにそういう嗜好から生まれた作品だ。その中でも特に好きなのが「蛇使いの女」だった。

オルセー美術館展には115点の絵が出品されているが、まず「蛇使いの女」を観に行った。10の展示スペースのうち9番目が「アンリ・ルソー」というスペースで、「蛇使いの女」はそこに展示されている。彼の作品はもう1点、「戦争」も出品されている。「蛇使いの女」の前には半円の人の輪ができていた。思っていたより遥かに大きな絵だ。後で調べたら、縦169センチ、横189センチだった。
一目見て「上手い!」と思った。彼の絵には「ヘタ上手」なのがあるからだ。「フリュマンス・ビッシュの肖像」のように写実性を目指した作品にそれを感じるが、「蛇使いの女」の筆致は熟練した画家のものだ。そんな技術の完成度云々を飛び越えて人の胸に飛び込んで揺さぶる迫力がある。それはルソーの熱帯への夢の烈しさだ、と思った。
白い満月の浮かぶ密林に笛の音が流れる。横笛を吹くのは黒人の女。柔らかな音色に蛇やペリカンが誘われ出る。竪琴を弾くと野獣も草木も聞き惚れたという、オルぺウスの神話を彷彿とさせる。密林のオルぺウス。
女、密林、音楽、動物―ルソーの好きな物ばかりが描かれたこの絵は、ルソーの楽園なのだ。女と蛇の組み合わせは、月並みだがエデンの園を想わせる。ルソーのエデンの園。このイヴの顔立ちは暗くてはっきりしないが、よく観ると黒人の骨格ではなく白人の骨格に見える。白人の容姿をした黒い膚の美女。ルソーは実際に見たフランスの風景や人物を描くときより、憧れと幻想から絵筆を執るときに本領を発揮する画家だと感じた。

「蛇使いの女」と「戦争」を堪能してから入口に引き返し、展示の順に絵を観た。モネ、シニャック、セザンヌ、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、フェリックス・ヴァロットン等々の傑作に圧倒され、出口に近い「蛇使いの女」の前にまた来た時、改めて感動した。生前から評価されていた大家の傑作群への感動が吹き飛ぶほどの存在感。絵の前には相変わらずの人だかり。
この迫力はどこから来るのだろう? 空想家にとって、夢想の世界での出来事は現実よりリアリティがある。そういう人物が心の眼で見た熱帯。北の都市パリに住む貧しい画家が、実生活とは対極の世界に憧れた、その憧れの切実さが観る者の心を揺さぶるのだ。

展示を見終わって、売り場で買い物をした。「蛇使いの女」の絵葉書、ポスター、マグネットと、岡谷公二の『アンリ・ルソー 楽園の謎』(平凡社)だ。岡谷氏の講演をブリヂストン美術館の土曜講座で聴いたことがある。「岡鹿之助とアンリ・ルソー」という演題で、興味深く、かつ勉強になる話だった。話の内容もさることながら、美学美術史なんて実社会には役立ちそうもない学科を卒業されて美術史家になられた、好きの道に徹した生き方には羨望を感ずる。ルソーだってそう思うだろう。画業だけでは生活できずに、様々な副業をしていたのだから。

『アンリ・ルソー 楽園の謎』は、ルソーの評伝だ。美術館からの帰りの電車の中で読み始め、徹夜で読み終えた。ルソーの故郷ラヴァルはかつては樹木の多い町で、どんな小さな庭にも樹が繁り、春は鳥の囀りで町中が大きな鳥籠になったそうで、ルソーの樹木への愛着はそこに根差しているのだという指摘に、なるほどと思った。
「蛇使いの女」は友人の母親から依頼された作品で、発注者のインド旅行の話から想を得たという。してみると、これはインドの夜の絵なのだ。大きな絵なので広いアトリエで描いたのかと思っていたら、住居兼用の狭いアトリエで描かれ、部屋一杯を占めていたという。こうした原始林を描くときは不安と胸苦しさに襲われて、窓を開け放したそうだ。それほど頭の中のイマージネーションをありありと視覚化できる能力というのは、常人離れがしている。神の姿や声を見聞きしたという聖人達の同族だ。聖ルソー。

この本にはアポリネールの写真が載っている。彼の肖像画「詩人に霊感を授けるミューズ」にそっくりだ。肖像だから似ていて当たり前なのだが、ルソーの肖像画は時にヘタ上手風になるので、一目でモデルが分かるほど特徴をよく捉えているのが印象的だった。同じ題の作品が2つあるが、先に描いたほうの肖像は本人によく似ている。やっぱりルソーは上手いのだ。
この絵はアポリネールに全然似ていないと新聞に酷評されたが、ルソーもアポリネールも、この作品のモデルが誰かは言っていなかった。それなのに、どうしてアポリネールだと分かったのだろう。やはり、本人に似ているのだ。

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