2010年5月24日月曜日

Jブンガク

初めてのシュークリーム
昨日は一日中、雨だった。雨音とCDを聞きながら、抹茶のシュークリームを作った。シュークリームを作ったのは初めてだ。子どもの頃からの好物だが、初めて作る時はシュー皮がうまく膨らまないものだということをよく読んでいので、作る気になれないでいた。先日食べた、ヒロタの京抹茶シュークリームが美味しかったので、作る気になった。失敗するだろうと思っていたが、割合にうまく焼けた。ただし、生地をスプーンですくって横に平べったい形で置いていったので、平たい形に焼け上がった。まるで大福だ。本当は縦に高い形でないと、中にクリームを詰めにくいのだが。今度はちゃんと絞り出し袋で生地を絞り出して、縦型の生地を焼こう。

今日は、昨日焼いたシュー皮に抹茶アイスを詰めて、抹茶シューアイスにした。

Jブンガク
昨夜から夏目漱石の『道草』を読んでいる。4月中旬から聴いているNHKの「Jブンガク」の6月のテキストだから。『道草』は、親族間の付き合いの煩わしさに振り回されて本意の生活ができないでいる男の話で、その主題にも、登場人物の心理にも大して共感が沸かないわりにはスルスルと読めてしまう。不思議な魅力のある長編だ。
この「Jブンガク」の4月前半のテキストは、太宰治の『ヴィヨンの妻』だった。あいにくと、この時はこの番組を知らなかったので聴き損ねた。講師のロバート・キャンベル氏の解釈を聴きたかったのだが。

昨夜は太宰の「如是我聞」も読んだ。志賀直哉への批判ということで、両作家とも好きな私は興味をもって読んだ。文芸誌の座談会で志賀から自作を批判されたことに立腹した太宰が、別の文芸誌に載せた反志賀論だが、志賀を「おまえ」呼ばわりして、もう言いたい放題である。こんな身も蓋もない個人攻撃を書く作家も作家なら、それを掲載する編集者も編集者だ。それを面白がって読む読者も読者だが。自分がこんなに野次馬だとは知らなかった。

これが収録されている『太宰治全集 第11巻』(筑摩書房)には、太宰の死に付いて書いた志賀の記事も載っていた。お互いに相手の作品を深く読んでいるわけではなく、ごく限られた作品を表面的に読んで批判し合っているような、長屋住まいの亭主同士の口論に限りなく近い、楽屋落ちの喧嘩だ。「なんだとは、なんだ」「なんだとはなんだとは、なんだ」「なんだとはなんだとはなんだとは、なんだ」式の喧嘩。

そう感じた方も多いと見える。同時代の文壇関係者達もこの「論争」に言及しており、それ等も収録されていた。両者とも優れた、しかし異質な作家なのだから、太宰はあんなに志賀の批判を気にせずとも良かったのに、という主旨だったが、同感だ。大先輩にムキになって刃向かって行くドン・キホーテ的な、「永遠の思春期」風のところが、太宰の魅力でもあるのだが。

どちらの作家がより好きかともし尋ねられたら、迷ってしまう。二人とも対極的と言ってよいくらい異質で、その異質さゆえに同じぐらい好きなのだ。自分の内面性は太宰に似ていると思う。だからこそ正反対の志賀の、あの揺るぎない自己肯定感に立脚した骨太の作風や文体に憧れる。文章を書くときはいつも何人かの作家を心に思い浮かべているが、そのうちの一人が志賀なのだ。

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