2010年5月18日火曜日

語りかける風景展を観て―ヨーロッパの光の淡さと点描画


語りかける風景展を観に、Bunkamuraザ・ミュージアムへ行った。ストラスブール美術館が所蔵している約80展の風景画が出展されていて、今日が初日だ。見応えのある作品ばかりで、2時間かけて観た。特に良かったのはフェリックス・ヴァロットン「水辺で眠る裸婦」(1921年)、ギュスターブ・ブリオン「女性とバラの木」(1875年)、ポール・シニャック「アンティーブ、夕暮れ」(1914年)(右図)だ。名前を知らなかった画家の作品も多く、私の美術の知識なんて「はとバスで巡る東京名所」のレベルだと思ったが、ヴァロットンを知ったのが一番の収穫だった。

ヴァロットンの「水辺で眠る裸婦」
この作品は、全裸の女が草の生い茂る川辺で眠る姿が画面の左手に大きく描かれ、右手の遠景の川面に、男達を乗せたボートが小さく描かれている。女の金髪の頭は深紅の布に置かれている。単純な線だが、写実的で力強い筆致だ。文明社会では通常あり得ないシチュエーションだがリアルさがあって、これもマジック・リアリズムと言えるのだろうか。遠景のボートは女の夢だろうか。アンリ・ルソーの「夢」(1910年)、密林に置かれた深紅の長椅子に横たわる裸婦を連想させる構図だ。

ヨーロッパの光の淡さ
シニャックの「アンティーブ、夕暮れ」は、モザイク風の点描画だ。点描画は大して好きでもなかったが、この夕暮れの港に帰港する船の絵を観て、点描画はいいと思った。そうして、ヨーロッパの淡い陽光と、それに照らされた微妙な光の陰影と色彩の濃淡に富んだ眺めの中でこそ、点描画は生まれ得たのだと思った。
ムンクの絵などは特にそうだが、ヨーロッパの風景画を観ると、光の淡い土地だなと思う。そうして反射的に、マダガスカル大使館で観た絵を思い出す。マダガスカルの画家が描いた現地の風景だろうが、沈みつつある夕陽が空を染めている画だった。その夕陽と空のピンクの鮮やかさは、日本の朱色の夕焼け空を見慣れた眼にはシュールだった。アフリカの夕陽はあんな色をしているのだろうか。大地を灼く熱帯の太陽の下では光も影も濃く、均質で、点描画のような微妙な色の濃淡からなる技法は生まれないだろうと思った。そうしてまた、このところ太宰治に凝っているので、十年ぶりに青森に帰郷した彼が、久し振りに見る津軽平野の稲田の緑や陽光は淡く薄く、心細かった、と書いていたのを思い出した。

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