2008年7月13日日曜日

『眠れる森の美女』の音楽

 英国ロイヤル・バレエ団の『眠れる森の美女』を観ました。バレエを観るのも、東京文化会館で舞台を観るのも数年ぶりで、心が浮き立ちました。
 実は、全幕物のバレエを観るのは苦手です。私がバレエに求めるのは、男性ダンサーの超人的な跳躍や、バレリーナの、日常生活ではあり得ぬほどの典雅な身のこなし、難度の高い技を一見いとも軽々と舞ってみせる非日常性、スター性なので、コールドバレエや踊りのない物語の部分は、たいてい退屈に感じてしまうからです。スター級ダンサーが見せ場を次々と繰り広げる、ガラ形式の舞台なら楽しめるのですが。
 しかし今日の舞台は、全幕を通してわりあい楽しめました。なんて、傲慢な感想ですが。ダンサー達が上手かったのはもちろんですが、チャイコフスキーの音楽の美しさ、衣裳や舞台装置の美しさのおかげもあります。バレエは踊りだけでなく、五感の感覚を全開にして楽しめるものなのだなぁと感じました。
 それにしても、音楽の心理的効果はすごいですね。オーロラ姫が16歳の誕生日に4人の王子から求婚される「ローズ・アダージョ」の場面と、百年の眠りから覚めた後、フロリムント王子と踊る場面の音楽から、彼女の内面の成長が伝わってきました。「ローズ・アダージョ」でのオーロラは、「その子二十 櫛にながるる黒髪の おごりの春のうつくしきかな」という与謝野晶子の短歌そのままの、憂いを知らぬ少女でした。それが百年の眠りを経た後では、成熟した淑やかな女性に変わっていました。『アンナ・カレーニナ』で、キチイがヴロンスキーへの失恋の苦しみと病いから癒え、リョーヴィンからの再度の求婚を謙虚に受け入れた場面を思い出させます。
 なお左上の写真は、今日の主演サラ・ラムの、「ローズ・アダージョ」の場面です。

 ところで「百年の眠り」が人生の試練のメタファなら、眠りに落ちる原因となった「錘(糸巻きの針)」は何を象徴しているのだろうと、いま考えています。

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