2008年7月2日水曜日

ロアルド・ダールの “The Umbrella Man” 私訳

 左の写真はバナナスプリットです。縦に切った(=割ったsplit )バナナの間に3種類のアイスクリーム(バニラ、ストロベー、チョコレート)を盛り、ホイップクリームやチェリー、ナッツ、パイナップルなどをトッピングした、米国発祥のデザートです。翻訳学校の課題として訳したロアルド・ダールの “The Umbrella Man” に出てきたので、どんな物かと調べ、簡略版を作ってみました。甘党の私でも胃にもたれましたが、子どもの頃ならきっと大好物になっていたでしょう。
 以下は “The Umbrella Man” の私訳です。なお、既訳には田口俊樹訳「アンブレラ・マン」があります(『王女マメーリア』 (ハヤカワ・ミステリ文庫)収録)。


カサおじさん

ゆうべ、お母さんとわたしが出あった、おかしなでき事を話しましょう。わたしは十二歳で、女の子です。お母さんは三十四歳だけど、わたしはもう、同じぐらいの背丈です。

昨日の午後、お母さんは、わたしを歯医者へ診せに、ロンドンへ連れて行きました。歯医者は、虫歯を一つ見つけました。それは奥歯で、それほど痛くはなく詰めてくれました。それから、喫茶店へ行きました。わたしはバナナスプリットを食べ、お母さんはコーヒーを一杯飲みました。帰ろうと席を立つ頃には、六時ぐらいになっていました。

喫茶店を出ると、雨が降り始めていました。「タクシーを拾わなくちゃ」と、お母さんは言いました。わたし達はいつもの帽子とコートでしたし、どしゃ降りだったのです。

 「喫茶店へもどって、雨がやむまで待とうよ」と、わたしは言いました。バナナスプリットを、もう一つ食べたかったのです。あれはステキでした。

 「やまないわよ」 お母さんは言いました。「帰らなきゃ」 

 雨の中、わたし達は歩道に立って、タクシーを探しました。たくさんのタクシーが来ましたが、どれもお客を乗せていました。「運転手つきの車が、あったらいいのに」と、お母さんは言いました。

その時です、男の人が近づいて来たのは。彼は小柄で、とても年をとっていて、たぶん七十歳か、それ以上でした。彼はいんぎんに帽子を持ち上げて、お母さんへ言いました。「おそれ入ります。失礼をお許し頂けないでしょうか・・・・・・」 彼はステキな白い口ひげと、ふさふさした白いまゆ毛と、ほんのり赤らんだ、しわしわの顔をしていました。彼は高々とさしたカサで、雨をよけていました。

 「はい?」 お母さんは言いました、とても冷たく、よそよそしく。

 「ちょっとした、お願いをできないでしょうか」 彼は言いました。「大変ささいな、お願いなのです」

 お母さんが、彼をうさんくさげに見ているのを、わたしは見ました。彼女は疑り深い人なんです、わたしのお母さんは。二つのことには特に、うたがいを持っていました――知らない男の人と、ゆで卵です。ゆで卵のてっぺんを切ると、ネズミか何かを見つけるんじゃないかと思っているように、スプーンで中をかき回すのです。知らない男の人に対しては、こんな黄金の規則を持っています。「立派そうに見える男の人ほど、疑ってかからなくてはいけないわ」 その小柄なお年寄りは、特に立派でした。彼は礼儀正しかったのです。品のいい話し方をしました。きちんとした身なりをしていました。本物の紳士でした。紳士だと分かったのは、靴のせいです。「その人のはいている靴で、紳士かどうか、いつも見当がつくわ」というのが、もう一つの、お母さんの決まり文句でした。その男の人は、ステキな茶色の靴をはいていました。

 「実を申しますと」 小柄な男の人は言いました。「いささか困っておりまして。お手を貸して頂きたいのです。大した事ではございません、それは確かです。何でもないことです、実のところ、ですが、ご助力がいるのです。ごぞんじでしょうが、奥様、わたくしのような年寄りは、ちょくちょく、ひどい物忘れをするようになるものでして・・・・・・」

 お母さんのあごがつき上がり、鼻先で彼を見下ろしました。ものすごくこわいのです、お母さんの鼻先にらみは。彼女がこれをやると、たいていの人は、すっかり、どぎまぎしてしまいます。お母さんがすさまじい鼻先にらみをしたら、校長先生がどもって、バカみたいにニタニタ笑い始めたのを、一度見たことがあります。でも、カサをさした、歩道の小柄な男の人は、まぶたをぴくりともさせませんでした。彼は優しくほほ笑んで、言いました。「どうぞ信じて下さい、奥様、いつも通りでご婦人を呼び止めて、やっかい事を話すわけではございません」

 「そう願いたいものですわ」 お母さんは言いました。

 お母さんのとげとげしさには、まったくきまりの悪い思いをしました。彼女には、こう言いたかったです。「ねぇ、ママ、どうしちゃったの、彼はとってもとっても年をとっていて、感じもいいし礼儀正しいし、困っているんだから、そんなにじゃけんにしないで」。でも、何も言いませんでした。

 小柄な男の人は、カサを片手からもう片方の手へ、持ち換えました。「今まで忘れたことは、けっしてなかったのですが」 彼は言いました。

 「何を、忘れたことがないんですって?」 お母さんは、いかめしくたずねました。

 「サイフです」 彼は言いました。「別の上着に入れたままにしてきたに、違いありません。実に、間のぬけたことをしたものですな?」

 「お金を下さいと、頼んでいらっしゃるの?」 お母さんは言いました。

 「ああ、何てことを、違います!」 彼は声を上げました。「仮にもそんなお願いをするなんて、めっそうもない!」

 「それなら、何を頼んでいらっしゃるの?」 お母さんは言いました。「早くして頂きたいわ。ここにいたら、ずぶぬれになってしまいます」

 「わかっております」 彼は言いました。「ですから、奥様が雨をしのげるように、このカサをお渡し致しますから、持っていて頂きたいのです、もし・・・・・・もし、ただ・・・・・・」

 「ただ、何ですの?」 お母さんは言いました。

 「ただ、そのかわり、わたしが家へ帰るだけのタクシー代を一ポンド、頂けるといいのですが」

 お母さんは、まだ疑っていました。「そもそも、お金をお持ちでないのなら」と、彼女は言いました。「どうやって、ここまでいらしたんですか?」

 「歩いてまいりました」 彼は答えました。「毎日、結構な長い散歩をして、タクシーを呼んで帰るのです。日課にしております」

 「それなら、どうして歩いてお帰りにならないんですか?」 お母さんは、たずねました。

 「ああ、そうできたらいいのですが」 彼は言いました。「本当に、そうできたらいいのですが。ですが、わたしの老いぼれた足では、歩いて帰れないでしょう、もう、ずいぶん歩きましたから」

 お母さんは下くちびるをかみながら、じっと立っていました。気持ちが少しやわらぎ始めたのが、分かりました。雨をよけるカサが手に入るという考えは、いい申し出だ、という気にさせたはずです。

 「結構なカサですよ」 小柄な男の人は言いました。

 「ええ、存じてます」 お母さんは言いました。

 「絹ですよ」 彼は言いました。

 「分かります」

 「でしたら、お受け取り下さい、奥様」 彼は言いました。「二十ポンド以上致しましたよ、うけ合います。ですが家へ帰れて、この使い古した足を休められるのでしたら、それは大したことではありません」

 お母さんの手が、おサイフのとめ金をさぐっているのを見ました。彼女を見ているわたしを、お母さんは見ました。今度は、わたし鼻先にらみをしたので、言っていることが、彼女には、すっかり分かりました。ねぇ、聞いて、ママ、と話しかけていたのです。そんなやり方で、くたびれたお年寄りの弱みにつけ込むなんて、絶対いけないよ。ひどいよ。お母さんはためらって、わたしを見返しました。それから、小柄な男の人へ言いました。「二十ポンドもする絹のカサを頂くなんて、まったくいい事とは思えませんわ。タクシー代だけさし上げて、カサはお持ちになって頂いたほうがいいと思いますけど」

 「いや、いや、いや!」 彼は声をはり上げました。「めっそうもない! そんなことは、思いもよりません! 絶対にいけません! そのようなお金、奥様からはけっして受け取れません! このカサをお持ち下さい、奥様、貴女方の肩がぬれないようになすって下さい!」

 お母さんは得意気に、わたしを横目で見ました。ほうら、ごらんなさい、と言っていました。あなたが、まちがっているのよ。彼は、わたしにカサを持っていてもらいたがっているんだから。

 彼女はおサイフをさぐって、一ポンド札を取り出しました。それを、小柄な男の人へさし出しました。彼はそれを受け取って、カサを手渡しました。お札をポケットへ入れ、帽子を上げ、腰をかがめてペコリとおじぎをして、言いました。「おそれ入ります、奥様、おそれ入ります」 それから、行ってしまいました。

 「こっちへ来て、ぬれないようになさい」 お母さんは言いました。「わたし達、ついてるわね。絹のカサって、持ったことなかったのよ。買うゆとりが、なかったもんだから」

 「どうして最初は、あの人につっけんどんだったの?」 わたしはたずねました。

 「彼はペテン師じゃないって、納得したかったの」 彼女は言いました。「で、納得したわ。彼は紳士だった。役に立てて、とってもうれしいわ」

 「そうね、ママ」 わたしは言いました。

 「本物紳士よ」 彼女は続けました。「お金持ちでもあるのよ、でなきゃ、絹のカサは持てなかったもの。爵位を持った人だったとしても、驚かないわ。サー・ハリー・ゴールズワージーとか、そんな感じの」

 「そうね、ママ」

 「これは、あなたにはいい教訓になるわ」 彼女は続けました。「事を急かないこと。誰かを判断するときは、いつも、じっくり時間をかけること。そうすれば、まちがえっこないわ」

 「ほら、彼が行く」 わたしは言いました。「見て」

 「どこ?」

 「あそこ。道を渡ってる。あれっ、ママ、なんて急いでるんだろう」

 わたし達は、小柄な男の人が、行きかう車の間を、ひらりと身を交わすように、すばしこくぬって行くのを見ました。彼は通りの向こう側へ着くと、左へ曲がって、すごい早足で歩いていました。

 「彼がとっても疲れているようには見えないけど、そう見える、ママ?」

 お母さんは、答えませんでした。

 「タクシーを拾おうとしているようにも、見えないけど」 わたしは言いました。

 お母さんはじっとつっ立ったまま、通りの向こうの小柄な男の人を、見つめていました。彼は、はっきり見えました。ひどく急いでいました。他の歩行者をよけて、行進中の兵隊さんのように両腕を振って、あわただしく歩道を歩いています。

 「彼は何かをたくらんでいる」 お母さんは言いました、無表情に。

 「でも、何を?」

 「わからない」 お母さんは、ぶっきらぼうに言いました。「でも、つきとめてやるわ。いらっしゃい」 彼女はわたしの腕を取り、一緒に道を渡りました。それから、左へ曲がりました。

 「彼が見える?」 お母さんはたずねました。

 「うん。あそこにいる。次の通りを、右へ曲がっている」

 わたし達は曲がり角で、右に曲がりました。小柄な男の人は、二十ヤード(約百八十メートル)ぐらい先にいました。うさぎみたいに、飛びはねるように急いでいるので、遅れずに着いていくのに、早足で歩かなくてはなりませんでした。雨は、ますます激しくなり、しずくが彼の帽子のつばから両肩へしたたり落ちるのが、見えました。でも、わたし達は、大きくてすてきな絹のカサの下に寄りそって、ぬれずにいました。

 「一体、何をたくらんでいるの?」 お母さんは言いました。

 「もし振り返って、わたし達を見たらどうする?」 わたしは、たずねました。

 「そうしたって、かまうもんですか」 お母さんは言いました。「ウソをついたんだから。これ以上歩けないほど疲れ果てたと言っといて、わたし達が追いつけないぐらい、急いでるじゃない。ずうずうしいウソつきね! いかさま師よ!」

 「つまり、爵位のある紳士じゃないってこと?」 わたしは、ききました。

 「おだまんなさい」 彼女は言いました。

 次の交差点で、小男は、また右へ曲がりました。

それから、左へ曲がりました。

それから右へ。

 「こうなったら、あきらめないわ」 お母さんは言いました。

 「彼が消えっちゃった!」 わたしは声を上げました。「どこへ行っちゃったの?」

 「あのドアへ入って行ったわ!」 お母さんは言いました。「見たわ! あの家へ入ったのよ! まぁ、パプじゃない!」

 それはパブでした。入口に大きな字で、「レッド・ライオン」と書かれていました。

 「中へは入らないでしょ、ねぇ、ママ?」

 「ええ」と、彼女は言いました。「外から見はりましょう」

 パプの正面には、一枚の厚い板ガラスでできた大きな窓があり、窓の内側は少し湯気でくもっていましたが、近くに寄れば、ガラスごしに中がとてもよく見えました。

パプの窓の外で、二人はからだを寄せ合いました。わたしは、お母さんの腕を、しっかりにぎっていました。大きな雨つぶが、カサの上で、そうぞうしく音を立てていました。「彼がいた」 わたしは言いました。「あそこに」

のぞき込んでいる部屋は、人とタバコの煙でいっぱいで、その真ん中に、わたし達の小男はいました。もう帽子やコートはぬいでいて、人ごみをぬって、だんだんとバーへ向かっていました。そこへ着くと、バーに両手をついて、バーテンダーへ話しかけました。くちびるが動いたので、注文したのが分かりました。バーテンダーは、ちょっと彼に背を向け、あめ色の液体をふちまで注いだ、小ぶりのタンブラーを持って、振り返りました。小男は、カウンターへ一ポンド札を一枚置きました。

 「わたしの一ポンド!」 お母さんは、いまいましげにささやきました。「まぁ、あつかましいったら!」

 「グラスに入っているのは何?」 わたしは、たずねました。

 「ウイスキー」 お母さんは言いました。「ストレートのウイスキーよ」

 バーテンダーは、一ポンド札のおつりを渡しませんでした。

 「きっと、トレブルウイスキーよ」 お母さんは言いました。

 「トレブルって何?」 わたしは、たずねました。 

 「ふつうの量の三倍ってこと」 お母さんは答えました。

 小男はグラスを取り、くちびるへ当てました。それを少しずつ傾けました。それから、グラスの底を高めに傾けました・・・・・・もう少し高く・・・・・・もっと高く・・・・・・ウイスキーはあっという間にのどへ流し込まれて、長い一息でなくなってしまいました。

 「すっごく高い飲み物だね」 わたしは言いました。

 「バカげてる!」 お母さんは言いました。「ひと飲みしてしまうものに、一ポンド払うなんて、考えてもごらんなさい!」

 「一ポンド以上についてるよ」 わたしは言いました。「二十ポンドの絹のカサが、かかっているんだから」

 「そうね」 お母さんは言いました。「頭がどうかしてるんだわ」

 小男は空のグラスを片手に、バーのそばに立っていました。今はほほ笑み、ほんのりと赤らんだ丸い顔一面に、活き活きとした喜びの輝きのようなものが、ひろがっていました。舌が出て、貴重なウイスキーの最後の一滴をさがように、白い口ひげをなめるのを、わたしは見ました。

 ゆっくりと、彼はバーに背を向け、人込みの中を少しずつ進み、帽子とコートをかけた所へもどりました。彼は帽子をかぶりました。コートを着ました。それから、何も気づかれないような、ものすごく落ち着き払った、さりげない態度で、コートかけにたくさんかかっている、ぬれたカサのうちの一本を取って、その場をはなれました。

 「あれ、見た!」 お母さんは、金切り声を上げました。「彼のしたこと、見た!」

 「シィィィー!」 わたしは、声をひそめました。「出て来るよ!」

 二人は顔をかくすためにカサを下げ、その下からのぞきました。

 彼が出て来ました。でも、わたし達のほうは、見ようともしませんでした。新しいカサを高々と開き、来た道を、急いで去って行きました。

 「そう、あれはちょっとした商売なのね!」 お母さんは言いました。

 「あざやかだねぇ」わたしは言いました。「すっごい」

 彼の後をつけて、初めに出会った表通りへもどり、彼がすんなりと新しいカサを、また一ポンド札と取りかえるのを、見物しました。今度は帽子やコートさえない、ひょろっと背の高い男の人とでした。取引がすむとすぐ、あの小男は通りを急いで去り、人込みにまぎれてしまいました。でも、今度は反対の方角でした。

 「なんて、かしこいんでしょう!」 お母さんは言いました。「同じパブへは、二度と行かないのよ!」

 「一晩中、やっていられるね」 わたしは言いました。

 「そうね」 お母さんは言いました。「もちろん。きっと、雨の日になるのを、夢中で祈ってるのよ」 (完)

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